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三ツ矢ちかさん

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冷たい結晶

13/12/03 コンテスト(テーマ):第四十五回 時空モノガタリ文学賞【 雪 】 コメント:4件 三ツ矢ちか 閲覧数:1033

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 今年は雪が降らないかもしれない。湿った鉛色の空を、窓の向こうに見た。
 ぼんやりと聞こえてくるラジオから天気予報を伝える男の声がする。今日はあいにくのお天気となりましたが、明日、明後日はカラリと晴れてお出かけ日和でしょう。空気が乾燥していますので、火の元には十分注意してください。
 仕事納めの金曜日。いつにも増して気合いの入った工員さんたちの姿を見ながら、指についたオレンジ色の蛍光ペンのインクをメモ用紙にこすりつけて落とした。
 定時きっかりに、工場からは人影が消えた。静まり返った職場には、私ともうひとり事務員の小山内さんがいて、着替えをすませて髪を結き直しているところだった。
「それじゃあ、お先に失礼します。良いお年を」
 小山内さんはそう言って笑って、足早に工場を出た。買い物袋いっぱいに、寄せ鍋の材料を買い込む小山内さんの姿が目に浮かんだ。袋からネギが出ていて、潔癖症の夫に怒られるけど、それでも幸せそうに笑う小山内さん。本当のところどうなのか知らないし、これといって興味もないけれど、きっと私よりは幸せな小山内さん。良いお年を。

 家に帰って持ち帰った制服を洗濯機の中に入れたら、ひとり分の夕飯を用意する。昨日作ったロールキャベツを温めて、フランスパンをギザギザのナイフで切って焼く。朝食なのか夕食なのかわからないなと思いながら、タイマーを二分半にセットした。
 私の夫は今日も残業なのだろう。帰宅時間を聞くことすらもうやめた。画面の向こうに、私からのメールをとりあえず読んで「嫁がうるさくて、ごめん」と若い女に謝りながら、みずみずしい肌をなぞる夫の指が透けて見える。もう怒りも悲しみも感じない。慣れた。この感情に、慣れたのだ。
 世間は今日も一日平和だったのだろう。これといって緊迫したニュースはなにひとつなく、小麦の値段が上がったとかパンダの赤ちゃんが産まれたとか、どうでもいいことばっかりがテレビから垂れ流されている。ああ、ついに私はパンダにまで先を越されたのか。チン、と間抜けな音がして、焦げたにおいに苛立った。

 雪を見たことがないと言って、驚かなかったのは夫だけだった。沖縄から出てきた私のことを周囲はひどく珍しがって、まるで異国の人間のように接されることが常だったから、私はそれだけで嬉しかった。大学のサークルで知り合い、出身地が同じだったことから急速に仲良くなり、そして結婚した。東京で初雪が降った日にプロポーズされた。雪をきっかけにしてつながった縁が、雪の日に結ばれた。これこそ運命だと思った。断る理由なんてなかった。
 しばらくは幸せだった。お互い月給で働いていたし、まあまあ広い家にも住めた。両親の関係も良好だし、近所付き合いだって至って普通。
 でも、私にはどうしても子供ができなかった。
 始めは夫も私を励ましてくれたり、栄養のあるものを食べさせてくれたりした。俺たちは雪に縁があるから、子供が産まれたら名前に『雪』って字を入れよう。そうだね、雪の日に産まれてきたりしたら、すごく嬉しいね。
 他人事だと思っていた。私が一体、なにをしたって言うのか。
 それから病院に通い始めた。同じ苦しみを味わう人たちが集う場であると認識していても、それを認めたくなかった。私は違う。私はそんなに不幸な顔をしていない。つらい検査や訳の分からない質問攻めにあったりもした。出来るだけ夫にも協力してもらいたくて、家の中にいても美しくいることを心掛けた。それでも、行為は日を追うごとに減っていった。
 子供がいるわけでもないのに仕事を休みがちになった私のことを会社は煙たがり、その雰囲気を察し、自ら辞めた。たまたま近所の工場で事務員を募集しているのを見つけて、そこでまた働き始めた。夫が働いているのに、私が休んでいるわけにはいかない、そう思った。

 夫の浮気を知っても、私は何も言わなかった。なるべくしてなった結果のように思えたからだ。今までの努力や心労を思い出すことも、不思議となかった。それだけ、自分にとってはどうでもいいことだったのだと気がついた。結局、夫は私ではなく私から産まれてくるはずの『雪』にしか興味がなかったのだ。私からその望みがほとんどないとわかった途端、彼は私を捨てた。
 運命を感じてつながった縁は、コンクリートの上に積もった都会の雪のように、翌日には氷となって、そしてあっけなく溶けていく。
 黒く焦げたフランスパンのボソボソとした舌触りを感じながら、私は泣いていた。
 今日はあいにくのお天気となりましたが、明日、明後日はカラリと晴れてお出かけ日和でしょう。空気が乾燥していますので、火の元には十分注意してください。つけっぱなしのテレビから聞こえる声。同じことを、二度聞いた。
 
 今年も雪は降らない。乾いた夜空に瞬く星が、私を見て笑う。


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このストーリーに関するコメント

13/12/04 光石七

拝読しました。
気付いたらお話の世界に引き込まれていました。
怒りも悲しみも感じなくなった主人公の心が切ないです。
最後の一文が印象的でした。

13/12/07 三ツ矢ちか

光石七さま
もうなにも感じなくなることで主人公は現実から逃げてるんだと思います。弱いなあって思いますが、人間だったら多分誰でもそうなのかな、とも思います。
最後の一行は後味悪くしようと思って書きました。笑
コメントありがとうございました!

OHIMEさま
すごい!素敵な解釈ありがとうございます。そういうことです!笑
読んでくださった方を苦しめたかったので、お言葉嬉しいです。
コメントありがとうございました!

14/03/12 リードマン

拝読しました!
夜空に瞬く星は、鏡です。笑ったというのであれば、笑ったのは彼女自身でしょうね

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