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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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名前のある椅子 ―アナ・メルフトの記述―

13/09/24 コンテスト(テーマ):第四十一回 時空モノガタリ文学賞【 恋愛 】 コメント:10件 クナリ 閲覧数:1575

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月夜の石畳の上で、一匹の野犬を前に、私は微動だに出来ずにいた。
十四歳の夏。大陸でも有名な水上都市、『歌と水の町』の劇場の歌い子として稽古に明け暮れていた私は、密かに月光浴をするのが唯一の楽しみだった。
けれど、路地裏になど立ち入るんじゃなかった。泣き出しかけたその時、私の後ろから人影が飛び出して、野犬に踊りかかった。
「逃げろ!」
けれどそう言う人影は小柄で、すぐに野犬に圧倒されそうに見えた。私は夢中で、木靴を脱いで野犬に投げつけた。それが鼻先に命中し、野犬は弱々しく鳴いて走り去った。
「凄いね。僕、格好悪いな」
「そんなことない。有難う」
月明かりが照らしたのは、痩せた少年だった。苦笑いするその表情が、なぜか月よりも明るく見える。
彼は、ジャンといった。

私と同い年のジャンは、家具工房『ベル・フーチ』の見習いだった。籠の鳥の私とは違い色々なことに詳しく、私の夜の息抜きは彼とのお喋りに変わった。彼も同世代の友達が他におらず、二人で毎晩の様に話した。
ある休日の午後、ジャンは街の裏山にある丘へ私を誘った。丘から街を見下ろして、私は
「綺麗ね……」
と呟いた。
でも、白と煉瓦色の混じった街並は、見た目程には平和ではなかった。革命軍の兵士が潜んでいるという噂で、貴族警察もボウガンの常時携帯を許可されている。
「怖いことが起こるのかしら」
「君は守るさ。いつかここから、二人で平和になった街を見ようよ」
丘に吹く風の中で、私達は寄り添った。
お互いにたった一人の友達。いつまでも、彼の傍にいたいと思った。

夏の終わり、街に騒ぎが起きた。ベル・フーチの棟梁が革命軍を手引きした罪で、警察に連行された。関係者は皆容疑者だとして、ジャンにも手錠が掛けられた。
目抜き通りを警察に引かれていくジャンに、私は駆け寄った。しかし、私まで巻き込むことを恐れたのか、彼が視線で私を制した。
立ち竦む私に、傍にいた大人が気の毒そうに告げた。
「友達かね。記録も残さず、薬殺されるよ」
「いいえ。ジャンは悪いことなんてしてない。すぐに戻るわ」
自分に言い聞かせる声は、頼りなく震えた。

それから、私は何度もあの丘へ行った。工房が閉じた今、ジャンが帰った時に会える所はここしか思いつかなかった。
でも、誰もいない丘は、何度訪れてもただの空き地でしかなかった。
抱く期待は僅かなのに、裏切られた時の傷は容易く私の胸を両断する。一年も経つと、私は耐え切れなくなって丘へ行くのをやめた。
こんな思いをするなら、いっそ出会わなければよかったのだと、何度も泣いた。

五年が過ぎた頃。
劇場で私を見初めたという若い貿易商が結婚を申し込んで来た。
彼の純粋な好意と優しさに、知らずささくれていた心が癒されていく感覚は心地よかった。半年程して、私は求婚を受け入れた。
相変わらずの治安の街を離れ、私は彼の故郷で嫁ぐことになった。
「離れる前に、寄りたい所はあるかい」
彼にそう言われたが、この街に格別好きな場所などない。
……でも、忘れられない風景が一つだけある。もう戻れないのなら、一度だけあそこへ行ってみたい。

丘に着くと、以前よりも少し草が伸びていた。
相変わらず、見た目だけは綺麗な街が見下ろせる。
「こんな所があるんだね」
彼がそう言い、続けて、
「あの椅子は、君が置いたの?」
私は、身動きが出来なかった。
二つの木製チェアが、街の方を向いて置かれている。
彼が椅子に近付き、背もたれに彫られた文字を読む。
「”ベル・フーチ謹製 Jean”……こっちには、”Ana”。君の名だ」
胸が痺れ、眩暈がした。
生きている。
この世界のどこかで、ジャンは呼吸をしている。
涙が溢れた。
なぜ私はここへ来ようと思ったのか、その理由が今解った。
私を守ると言ったジャン。傍にいたいと思った私。
友達だった。でもあれは、恋だった。幼すぎて気付かなかったけど、あれが恋だった。
初恋のまま取り残された私の恋に、私は会いに来たのだ。
静かに、彼が傍に立つ。私は涙声を絞った。
「ご免なさい、私、どうしていいか判らなくなってしまったの……」
勿論、彼を断ってジャンを探すことなど出来ない。けれどただとにかく、私は自分の胸も意志も今この時、粉々になってしまったのを感じていた。
「なら、何でも出来るさ。会いたい人を探すだとか」
驚いて、私は彼を見た。
「そんなこと……」
「僕だって、どうしたらいいのか判らないのだぜ。そんな君を見るのは初めてだから」
そう言って苦笑する。

この冷たい世界の中で、人の想いなど一体何程のものだろう。
でも、一度は呪った出逢いすら間違いではないと、気付かせてくれたのも人の想いだった。この名前のある椅子が、ここでそう唱え続けてくれていた。
それは、眼下の虚ろな街よりも、遥かに確かだった。


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このストーリーに関するコメント

13/09/24 青海野 灰

「アイドル」で登場した『歌と水の街』の世界設定が素敵で、これで終わるのはもったいないなぁと思っていたので、今回冒頭で同じ名前を見かけてこれはっ!と喜びました。
同じ世界で展開される別のお話、というのはとても好きです。
綿密な設定と切ない展開、美しい情景描写はさすがです。本当に。
貿易商に結婚を申し込まれた辺りはヒヤリと嫌な予感がしましたが、いい人だったようで安心しました。
触れないまま、言葉もないまま、静かに生き続けていた恋と約束が、主人公をその後も支え救い続けて行くだろうことが想像できます。
きっと二人は、どれだけ距離が離れても、心のどこかで繋がっていることを感じながら生きて行くんだろうなと思いました。
(それが時に痛みになろうとも)
素敵なお話でした。この世界はぜひ、これからも展開してください。

13/09/25 光石七

美しく切ない世界に魅了されました。
気付かなかった初恋に心が揺れる様が、少ない言葉で的確に伝わってきます。
求婚者の彼もいい人ですね。
人の想いの素晴らしさにじんとします。

13/09/26 平塚ライジングバード

クナリ様、拝読しました。

作者名を見ないようにして読んでいたのですが、前半でおそらく…
と思い、後半でクナリさんだと確信しました。
こんな作品を作れる方は、そういないと思います!
丘に行ってからの描写は本当に神がかっていますね。
『初恋のまま取り残された私の恋に、私は会いに来たのだ』
という言葉は非常に巧いと思いました。
きっと、彼も初恋のまま取り残され、私を待っていたのだろうなと、
そして、もし二人が再び出会うことがあれば、その時、
『恋愛』は成立するのだろうなと感じました。

彼にとって私は『アイドル』であり、その気持ちの強さから
私を『待つ人』となります。
しかし、『神』は二人を再会させず、私は『迷う人』になるも、
最終的には『無慈悲な人』として別の男性と結婚します。
丘の上の名前のある椅子だけが『無口な人』として、決して
訪れることのない『恋愛』が成就する日を待っています。
…と、そんな恥ずかしいことを勝手に妄想しながら読みました。

読んでて長く感じるというのは、場合によっては短所にもなりますが、
ことクナリさんの作品については、大きな魅力だと思います。
本作もそうですが、2000字とは思えない物語の奥行には、いつもただただ
驚嘆するばかりです。

長文コメント失礼しました。

13/09/26 草愛やし美

クナリさん、拝読しました。

あの街の世界を、また覗くことができて、懐かしい気持ちになりました。自分は行ったことも見たこともない世界にある街だというのに……。それほど、クナリさんの描写は素晴らしく、私の粗末な脳みそにも鮮やかな街並を描いてくださったのです。
今回は、丘の上の情景、それも椅子が二つ。哀しく切ないお話だと思います。ジャンの事情がどうあったかより、必ず彼女を守ろうとしたことが余計辛いですね。ジャンと彼女それにこのお相手の貿易商の方も良い人で、三人の切なさをどうすることもできないのが悲しいですね。

13/09/28 クナリ

皆様こんにちは。
JeanとAnaはフランス語系の表記なのにベル・フーチがカタカナ表記の永遠の愚者、クナリでございます。

青海野さん>
「恋愛」というテーマに対して、こう、映画みたいな、ビジュアル的な演出のある話にしたいなと思ったんですよね。
精神的な展開よりも、印象的なシーンのある話というか。
で、丘に置かれたいすが町を見下ろしているというのをやろうと思ったら、現代が舞台だとどうしても出来すぎて、浮いた感じになりそうで。
で、この世界観に出張ってもらいました(^^;)。
また不意打ちで書くかもしれません。その時はよろです。実は『カミツレとジギタリス』も同じ世界という設定です。だからどうしたという感じですが。
情景描写については、実は『歌と水の町』の二作品については、ちょっとした試みをしています。それはあまり具体的な描写をせずに、「石畳」「水上都市」「月明かり」「煉瓦色」「丘」という中世ヨーロッパ風ファンタジ世界系統のキーワードを入れ込むことで、読み手様にある程度自由に想像していただこうというものです。
字数省くためちゃうんか、と言われればまったくそのとおりですが!(おい)
したがって、美しい情景描写というのは青海野さんの脳の産物なのです。
その脳を、お大事になさってください(なんやそれ(^^;))。

OHIMEさん>
「恋愛」テーマって難しいと思うんですよ。
恋愛とは何ぞや、なんて話をしても面白くならなさそうだし、まさに恋愛の渦中のいちゃいちゃらぶらぶを描いたって、裏やましこそすれ、面白くはなさそうですし。
じゃあお前これ「恋愛」と言うテーマに真正面から取り組んだと言えるのか、といえばちょっと変化球かなあとも思いますし。
「そばにいたい」「守りたい」という原始的な感情が恋に発展する、という考え方をストーリーに落とし込んだつもりですが、お褒めの言葉をいただき、とてもうれしいです。
こちらこそありがとうございます!

光石さん>
美しく、明るく、幸福な世界…というものが逆立ちしても書けないこのクナリ、せめて切なくなければ! んんー、意味不明!
「魔法の無いファンタジ世界」というのは好きなんですが、同時に感情移入を阻害することも往々にしてあると存じてますので、気に入っていただけてよかったです。いえ、魔法も好きなんですが。
求婚者は、悪者にしたくなかったんですよ。そんなにわかりやすくしちゃいけませんよと。
『風とともに去りぬ』の影響かもしれませんけども、傍にいて大切にしてくれる人を、むげにしてはいかんぜよと。

平塚さん>
丘に行ってからのところは、時間かけて書きましたであります。
あんまり大げさにしてもだめだし、さりげささすぎてももったいないし(おい)。
褒めていただけてうれしいであります。ありがとうございます。
この人たちの恋愛ねえ、どうなるんでしょうねえ。
物語の奥行、というのは何かいいですね。なんだかいい褒め言葉ですね。うれしいです。
架空の世界の架空の人物なので(身も蓋も無いな)、彼らの生活の背景を最小限の言葉で説明した上で話を展開させたいと思っているのですが、うまくいっているということでしょうか。よしよし。

草藍さん>
これからもこの世界の話はたまーにだすかもしれません。
青海野さんへのレスにも書きましたが、行ったことも見たことも無い世界を、キーワードを元に頭の中で構成しておられるのは、ほかならぬ草藍さんなのです。
今作には、実際には町並みの描写など、ほとんどありません。「路地裏」「石畳」。そんなものです。
人物が動き回る世界を、この数少ない要素から想像してくださってるのはずばり、草藍さんの脳なのです。粗末などころか! という話です。
アナの半生に直接関係ない部分は省いておりまするが、本当はジャンのこともちゃんと書かないといけないんでしょうね。
どうなるんでしょうねえ、この三人(おーい)。

凪沙さん>
さらに繰り返しになりますがッ!
この世界の広大さや緻密さを構成しているのは、ずばり凪沙さんの脳細胞なのです。
「別に広大でも緻密でもない、ただこれだけの世界」と感じるのが普通なのです。
皆さんの脳細胞の性能により、クナリの作品は助けられているのです。
現代日本や、精神世界を舞台にした話も好きなんですが、異世界を自分なりに構築すると言う作業はやはり楽しいです。
産業やら通貨やら、大陸の構成や歴史などもうんうん考えたりして。
その成果が、掌編を書くときに少しでも出ればいいんですけどね。
一大大河ファンタジが展開されるほどの世界の中の、一人ひとりの人生を切り取って紹介する、というのもまた楽しいです。
え、皆やりますよね?
中学くらいのときに、「自分だけの壮大なるファンタジ世界」作りますよね?
やると言ってください。言いなさい(コラ)。

ジャンとアナはめぐり合いますよ。
いつか、どこかで。


13/10/04 かめかめ

なぜ、ジャンはアナに会いにこなかったのでしょう

13/10/04 クナリ

かめかめさん>
犯罪者となった自分が会いに行けば、アナの迷惑になると思ったからです。
また、それなりの年月が過ぎた以上、アナにとって過去の人間である自分がいまさら会いに行って、すでに彼女なりの人生を送っているであろうアナの重荷になるのもいやでした。
それでも彼女との約束を忘れていない証に、せめて自分が作ったのだとわかる椅子を置いて、無言のメッセージとしました。
コメント欄で言わなければならないあたりが、未熟ですね、自分。


13/10/15 そらの珊瑚

クナリさん、拝読しました。(遅ればせながら)

この舞台がある限り、お話は無尽蔵に生まれてくるのではないかと思ってしまいました。この街にまた来ることができてうれしかったです♪

ふたりに立ちはだかる悲しい運命、それさえ純愛を輝かせる装置だと思います。

求婚者はいずれ失恋してしまいそうな(もし再会したらアナの背中を押してくれそうな人ですね)予感がしました。

13/10/17 クナリ

そらの珊瑚さん>
ありがとうございます。
町の中のいろいろな営みを空想するのが好きなので、これからも便利にこの町を使ってしまいそうです。
この求婚者は、完全に損をしますね。
ただ、その後で得をとりますね。
現実にいれば損したままで終わるタイプだと思うのですが、これはフィクションなのでこやつ確実に幸せになりますね。



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