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来良夢さん

まだまだ未熟……書くのは好き。

性別 女性
将来の夢 作家
座右の銘 おいしいものは正義。

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空の君

13/09/23 コンテスト(テーマ):第三十九回 時空モノガタリ文学賞【 待つ人 】 コメント:0件 来良夢 閲覧数:1127

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待つ人


 僕の筆箱はもうぼろぼろなんだ。でもそれは僕がこの筆箱を乱暴に扱ったというわけではなくて、もともとこれは僕のではなくて、僕が使い始めたときにはもうかなり古くなっていたんだ。
 これを初めて手にしたのは小学校6年生のときで、その頃はそう、僕はまだ今よりはクラスに溶け込めていた。派手な女子たちがいて、サッカーの好きな男子たちがいて、ごくたまに勉強好きな子がいて、僕は特に目立つ子ではなかったけども、彼はそうじゃなかった。目立たなすぎるせいで目立っていた。隣の席でいつも俯いて絵を描いていて、僕はそれをときどき覗き込んではなんでこんなに空の絵ばっかり描いてるんだろうとそればかり気になって、小さく縮こまった背中がチャイムが鳴るごとに大きな体のクラスメイト達に蹴飛ばされるのを眺めていた。不思議とその背中は傾いたりよろめいたりすることがなくて、ただ固くなって自分の空を守っていた。彼の筆箱からは何色のペンでも出てきた。
 オレンジの夕空があった。真っ白な曇り空もあった。晴れ上がった昼の空があり、雨の降る夜の空があった。ある暑い日にちらりと見た絵は薄い透明な青色をしていて、あ、冬の空だなと、僕にはわかった。図工の授業で小さい白い紙が配られたとき、空の絵を描こう、と思った。先生に何と言われたのかは覚えていないけれど、空、と一言頭の中に浮かんで入道雲が膨れ上がっていくみたいに頭の中がその言葉でいっぱいになってしまったあのふわふわした感じは覚えてる。湿った手で鞄を探ると、僕の色鉛筆はなかった。何度か手を突っ込んで底の布を引っ張り出してみて、なんで今日に限って、どうしても見つからなかったから隣の机の上を恨めしく睨んだ。空を描くためのペンも色鉛筆もそこにはあった。
 あまり、躊躇わなかった。筆箱はすでに手の中にあった。
 聞いたことのない声が、僕の背中をどんと押した。重い鉄の壁が音を立てて後ろからぶつかってきたような衝撃が僕を驚かせて、そんなつもりはなかったのに僕は筆箱を掴んだまま逃げ出した。あの小さくて細い体からあんな声が出せるなんて思わなかった。何も感じてないようなたくさんの顔の間を走り抜けて飛び出すと、図工室から校庭まではすぐだった。誰もいない校庭の真ん中で、また、背中に衝撃、今度は声じゃなくて細くて固い体ごと飛んできて、迫る地面、突き飛ばされるまま、ざらざらした砂の上に嫌と言うほど強く打ちつけられた。呻き声のようなものを上げて立ち上がった彼は、筆箱の中身を力任せにぶちまけた。砂が飛び、ペンがちかちか太陽を反射して一瞬目を閉じた。動けなかった。
 あのとき、目を開けなければよかったんだろうか。眩しい空を背景に、ペンが、鉛筆が、螺旋階段のように伸びていた。どこに向かって、と思ったけど、空に向かってに決まってる。じりじりと焼けるような校庭の上、鉛筆が、ボールペンが、シャーペンが、サインペンが、色鉛筆が、マーカーが、持ち主を連れていこうとしていた。小さかった背中がどんどん小さく、見えなくなっていく。足音が遠ざかる。一歩一歩、彼の手の中に包まれ続けた空に、近づく。階段がぼやけた。僕が最後に見たのは青空に溶けていく僕の色鉛筆だった。僕の手には筆箱だけが残った。
 彼を待ち始めたのもあの日からと言っていいのかな。僕は空っぽの筆箱を抱えて空ばかりを眺めた。消えていった彼と、彼のペン、それが今日の空を描いてるんだって確信した。
 ふと教卓の上のペンを手に取ったときに、彼のペンは、彼のペンではなかったと気づいた。僕はそれを筆箱にしまい、たぶん彼も、そうやってペンを盗みながら集めてきたんだ。空を思うように描きたかったから。何故だろう、自分のペンでは、上手くいかないんだ。嵐の夜の空も、澄み切った朝の空も、吸い込まれそうな春の空も。先生の赤ペンが真っ赤な夕日を描いた。おもちゃのようなボールペンが重たい夜の闇を描いた。人の数だけ、空が描ける。
 空に憧れた彼を僕は責められない。僕も同じように、そんなふうに、今日まで過ごしてきてしまった。
 なんでこんな話を君にしたのかって?
 お願いがあるんだ。
困ったことに、僕はもう彼が待ちきれない。これから、会いに行こうと思う。一人で行っても良かったんだけど、でも僕は、できれば帰って来たいから、空に消えていってしまった彼ほどは強くないんだ。
 帰って来るまで、ここで待っててくれないかな。その筆箱は好きにしてくれていい。それを持ってて、僕が空にいて、いつか帰ってくることを覚えていてほしいんだ。
 返事はすぐにじゃなくていい。大丈夫、ちゃんと待ってるから。


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