1. トップページ
  2. 永遠の好敵手

草愛やし美さん

時空文学コンテスト開催100回、おめでとうございます。思えば、初めて私が、こちらに投稿したのは2012年5月のこと、もう4年近く経ったのですね。時空モノガタリさまが、創作の場を与えてくださったお陰で楽しい時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 また、拙い私の作品を読んでくださった方々に感謝しております。 やし美というのは本名です、母がつけてくれた名前、生まれた時にラジオから流れていた、島崎藤村作詞の「椰子の実」にちなんで……大好きな名前です。ツイッター:草藍やし美、https://twitter.com/cocosouai 

性別 女性
将来の夢 いっぱい食べて飲んでも痩せているっての、いいだろうなあ〜〜
座右の銘 今を生きる  

投稿済みの作品

5

永遠の好敵手

13/09/09 コンテスト(テーマ):第三十八回 時空モノガタリ文学賞【 ライバル 】 コメント:7件 草愛やし美 閲覧数:1358

この作品を評価する

「ママさん、うちの人また暴れたそうで……いつも迷惑かけてすんません」
「奥さんこっちこそいつも迎えに来てくれはって助かりますわ。重さん、奥さん来やったでぇ」
「なんや、お前、こんなスナックまでのこのこ来んでえぇのに、帰れ! わからんのか、くそったれが帰れて言うとんじゃわしはまだ飲むんや」

 美代はわしにはすぎたよぅでけた嫁やった「言うといたるわ、わしには、見合いするずっと前から好きな女がおる、そいつはお前みたいなへちゃむくれ違うべっぴんさんやわかったな」──結婚式終わった後でそう告げたら、美代はちょっと涙目なっとった、けど、泣かなんだ。美代は親に言われ見合いした女。世間さんには、重さん、えぇ嫁もろうたな、あんた絶対美代ちゃんには勝たれへんぞって言われた。けど、わしは認めん、そんなこと口が腐っても言えるか、それ認めたら、わしの負けや。あいつとわしはライバルやからな。わしは、酒乱で賭け事、女好きと、飲む打つ買うの三拍子揃った昔人間の男、戦前生まれの男はそれが当たり前や。わしら男は、好きなように生きるもんやった。
 
 戦後すぐ勤めてた電気会社からお払い箱なった。えらいこっちゃ明日から食うていけへん、そう思いながらそれでも空元気つけてわしは家に帰った。
「今日で、会社首なった。さあ、首祝いや酒持って来い」
「何で、重さんが首なるん、誰よりも技術持ってるのに酷い会社や」
 美代はわしをちゃんと認めてくれてた。嬉しかったけど素直にそれは言えん。
「技術あるから首なんや。会社で一番の高給取りのわしを首切りして経費節減するんや、わっかたか、酒や酒や」
 美代はそれ以上なんも言わんと酒持って来た。なけなしの退職金で町工場始めたけど、商売は難しい、初めのうちは食うにも困った。そんな時でもわしの飯は真っ白い米やった。けど、美代はフスマやおから食っとった。もうその時分には息子も二人おって苦労した。その息子も立派に育ててくれたわ。
 商いが下手なわしのため美代は帳面つけの事務やる言うてくれた。税務署や決まり事わしはさっぱりわからん、正直なとこ、あいつがしっかり経理してんかったら、湯水みたいに金を遊びに使うわしは会社潰してた思う。けど、美代はしっかりして助けてくれたんや。それに、わしの会社の経理は、絶対他の誰にもでけへん。実は、わしがごまかした金も工面して帳面うまいこと細工してくれてた、これ内緒やでぇ、まあ時効やけどな。
 あいつをライバルや思い始めたんはこの頃やった。しっかり家と自営業守って、何事にも動じよらん。わし、ほんまのこと言うたら、弱気になったこと何回もあった。そういう時も美代はドシーンと構えていてわしを安心させてくれた。けど、美代に絶対弱み見せられん、助けられても感謝言うたこともなかった。あいつはわしを社長として持ちあげていつも裏方に徹してた。まあ社長言うてもそない立派なもんやないけど、そんでも一応は社長や、嬉しかった。周りのもんはよぅ知っていてえぇ評判は美代にばっかり持ってかれてしもうた。今にわしのこと世間に認めさせたる、そう思うて必死で頑張れた。美代が、凛とすればするほど、わしは燃えた。頑張らな美代に負けたとこ見せとうない思うて歯食い縛って我慢もでけた。
 わしにはいつも遊びの女がおったけど、一度本気で女にのめり込んだことがあった。美代にそいつを家に入れたいと脅した時もあいつにしてやられた。
「わかりました。その人、ここへ連れて来たらえぇ、けど私は出て行きます。経理もみな会社のことその人にやって貰ったらえぇわ。それでよろしいか」
 わしはなんも言えんようなってしもた、降参や、悔しいけど、その足でわしは、その女に別れ告げに行ったわ。しゃあないやんか、好敵手のあいついなかったら、わしはやっていけんてよぅわかってる、美代がいるから頑張れるんや。けど礼は言えんかった、わしの性格では無理やった。
 年いって小さい町工場閉鎖してから今までの感謝言わなあかん思うたけど、結局言えんままやった。そやけど、近場の旅行は連れて行ってやった。美代はえらい嬉しそうやった。ライバルのあいつ喜ばすのもえぇもんや思うた。けど、あかん、わし、もうあの世が呼んでる。胃潰瘍で入院したんは昨夜やいうのに、夜明けに吐血して今は意識不明や。
「お前来てくれたんか、声聞こえるでえ、けど、お前には聞こえんのか。ありがとうな、今までライバルやってくれて、お前がしっかりすればするほど、わしは燃えた。負けとうない、お前にビッグやて思わせたいって。そやけど、負けやった、ようわかってる、言われへんかったけどな。一足先にわしあっちの世界行ってあの世の達人なっとくわ。お前が後から来た時、負けんようにしとくわ。この世では負けたけど、あの世ではそうはいかんでぇ。美代、お前とは、永遠の好敵手やからな」


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

13/09/09 草愛やし美

昭和初期に関しての解説:文中に出ています「フスマ」とは、麩・麬(ふすま)のことで、 小麦を製粉したときに篩い分けられる糠をさしています。
戦後食べ物がない時に、麦ご飯に混ぜものをしてかさ増やしなどして食事をしていました。おからや大豆糟などの主食で過ごした家も多かったそうです。それでも、昔から、男性上位の日本では、主(あるじ)には白米や魚を膳に並べていました。女や子供と、お膳の内容が違うことは当たり前の時代でした。
白米も今のような精製でなく糠も多かったようで、そのうえ、米は配給品で限られた分量しか購入できませんでした。また塩や煙草などは専売品として国の管理のもとに販売されていました。

13/09/10 鮎風 遊

こんなヨメハン、ええなあ。

今の時代、絶対いない。
絶滅しました。

昭和のにおい、郷愁を感じました。

13/09/10 泡沫恋歌

草藍さん、拝読しました。

いかにも昭和堅気の頑固おやじと言った感じですね。

奥さんを殴ったり、暴言を吐いたら、DVで訴えられるし、
こういうお父さんは今はいなくなった。

どこでも、年取ったら旦那さんが小さくなってるわ(笑)

13/09/10 そらの珊瑚

草藍さん、拝読しました。

今だったら結婚式の翌日離婚になったでしょうね〜
時代が変わると夫婦の在り方もかわってきますね。
妻の立場としては、平成の今で良かった〜って思います!

13/10/10 草愛やし美

鮎風遊さん、お読みくださりコメントをありがとうございます。

この話のモデルは、大正生まれの私の嫁ぎ先のお父さん、お母さんです。戦後、大きな電気工場を退職させられ、町工場をしていました。人も3人雇うまでになりましたが、小さな町工場、パソコンなどIT時代になると仕事が来なくなり、廃業しました。約一年、私財を勤めている人の給与にして、ひたすら工場の隅で仕事要請の電話を待っていました。その時のお父さんの様子が今も忘れられません。もう、亡くなって十六年にまります。時々、舅姑のことを思い出します。誇張して書いていますが、戦後の混乱期を含め、昭和の混沌とした時代を生き抜いてきた二人の供養にと、書かせていただきました。

13/10/10 草愛やし美

泡沫恋歌さん、コメント励みになります、ありがとうございます。

実在した私の舅と姑がモデルになっています。名前も、愛称ですが、そのまま使っています。今の私が、こういして趣味の創作ができているのも、この二人が頑張って昭和を生きてきてくれたお蔭といつも感謝しています。
亡くなってもう十数年、少しでも供養になればと、拙い文ですが、書かせていただきました。

13/10/10 草愛やし美

そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます。読んでいただきとても嬉しいです。

結婚式の後、姑は本当にこのように舅に言われたそうです。「女三界に家なし」と思い、ここで私の城を築いていこうと強く思ったそうです。
お姑さんは、大変しっかりして強い人でした。今の人には信じられないような話ですが、昔はこういうのも普通にあったのです。
こんな時代もあって、今の私達の住む世界が築かれているということも分かって欲しいなと思い、拙作ですが、書かせていただきました。

ログイン