1. トップページ
  2. 神童たちの夜

四島トイさん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

2

神童たちの夜

13/08/23 コンテスト(テーマ):第三十七回 時空モノガタリ文学賞【 神 】  コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1342

この作品を評価する

 彼女は両手を広げて縁石を渡る。月に照らされて。しなやかに伸びる腕の先にヒールを揺らして。
「ほらほら見て。月がまあんまる。きれいねえ」
「危ないよ。ガラスでも踏んだら」
 白っぽく浮かび上がった縁石のせいで、夜道はいっそう暗くみえる。素足の彼女はそんなことを気にする様子もなく、酒気を帯びた笑いを吹く。
「平気よ。落ちないもの」
「そう思ってるときに落ちるものなんだ」
「あら。それってコンクールのこと?」
 何でもないような口調に、ハッとして足を止める。彼女の流し目が僕についと向けられる。
「いじわる」
「……そんなつもりじゃなかった」
「あはは。気遣ってもらっちゃった」
 そして、もうワイン二本分も気遣ってもらっちゃってるけど、と小さく続けた。
 彼女は人よりも大きな手を広げて、宙に鍵盤を描く。周囲の音の全てを演奏してみせるかのように、仮想のピアノをなぞる。
 ふうっと息をついて、手を下ろす。
「でもそうね。あんな曲、初心者だって間違えないわ。これでプロなんて笑っちゃう」
 先日のコンクールが思い出す。舞台の上で、真っ青になった彼女の姿を。
「だから……そういうつもりじゃ」
「あなたなら間違えなかったでしょ? かつての神童さん」
 彼女はぺたぺたと歩を進める。艶やかな黒い光沢のあるドレスが、闇とこちらを行き来する。裾を揺らす夜風の向こうで、秋を呼ぶかのような虫の音が溶けていく。
「先生がよく言ってた。あなたの演奏は精密で正確。唯一無二の生徒だって」
「……子どもの頃の話だ」
「そう。過去の話。私たちが神童だった頃のね」
 彼女の声はあくまで軽いのに、どこか憂いを含んでいた。
 音楽の世界はとても広くて、とても狭い。特に僕たちの世代はコンクールの入賞者に大番狂わせはほとんど起きなかった。同じ学院の誰かが入れ替わるだけ。僕たちだけの世界。
 僕たちは神童と呼ばれた。
「学院の皆で関東のコンクールを制覇した時のことを覚えてる?」
 くるくるとヒールを弄びながら、彼女が問うた。
「……もちろん」
「ふふふ。入賞回数はわたしが一番だったわ」
「覚えてるよ」
「いつだって音楽に祝福されてた」
 身を翻すその上空に真っ白な月が浮かんでいる。ねえ、と彼女が口を開いた。
「……本当に、もう弾かないの?」
 ああ、と短く応じる。包帯を巻いた右手にちらりと視線を送る。
「これからはリハビリだよ」
「その後は、どうするの?」
「わからない」
「そう……」
「ピアノとオサラバして、放蕩息子にでもなるさ」
 彼女は寂しげに目を伏せた。
「……時々、思うの。ああ、本当に過去になっちゃったんじゃないかって。今になってコンクール入賞なんて無理なんだって。だから」
 わたしも、と口の中で言葉が躊躇するのがわかった。
「君ならできる」
 意識するより早く口は動いていた。しばしの間があって、彼女がかぶりを振る。
「できない」
「できる」
「……できない、よ」
 絞り出すようにそう言って、彼女は顔を背ける。その拒絶の中に、誰かを求める姿が垣間見えた。
 無意識に口が動いていた。
「約束する。君には才能がある。技術や知識みたいな後付なんか相手にならない魅力がある。きっと誰もが君を求めずにいられない日が来る。『君を待っていた』って皆に招かれる。だから信じて弾き続けてほしい。君だけには」
 淡々とした声はまるで自分のものではないようだった。
「大丈夫。君は祝福されてる」
「わたしじゃ……もう……」
 振り返った彼女を真っ直ぐに見据える。
「僕たちは神童なんだろ?」
 夜風が道端の草を揺らした。虫の声がいっそう遠くなる。
 月の光の下で、彼女の瞳が透き通っていくのがわかった。
 大丈夫だとその瞳に頷きかける。催眠や暗示をかけるように。
 彼女が困ったように笑って首を傾げる。
「こんなに大人なのに?」
「神様から見ればまだ子どもだよ」
 そうね、と微笑む彼女の目の端で涙が一筋流れた。視線を空に移す。
 僕たちは毒を飲んだのだろう。絶えることのない賞賛の言葉。羨望の眼差し。己の全てが肯定される世界。
 とても強い力を持つ毒。僕のようにそれに耐えられない者も、いる。自ら絶った右手を見下ろす。
 でも、彼女は違う。僕ら全てが逃げ出し、押し潰された世界で彼女なら生きていける。僕らが神童だったと証明してくれる。
 そう信じたかった。
「……きれいねえ月が。本当に」
 彼女の少しくぐもった声が耳をついた。
 目を上げると、スポットライトを浴びるように、彼女が月の光の中にいた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

13/08/24 四島トイ

▼凪沙薫様
 前回、前々回に引き続いてコメント本当にありがとうございます。書き込んでいただけるのがとても嬉しいです。拙い文章に過分のお言葉、身に余るとはこういうことかと実感しております。

 コメントについてですがあまり自信がありません。以前、コメントしたこともありますが、未熟な己には過ぎたことであったと後悔している部分もあります。ですが、凪沙薫様ご自身にお許しいただけるようであれば、精一杯コメントさせていただきます。

 今回はありがとうございました。

13/09/22 猫兵器

拝読しました。
挫折の暗闇の果てに、再起の予感という救いがほんのりと明るいお話でした。ほろ苦さと清々しさが、丁度よく合わせっていると思います。
「彼女」が裸足で歩く冒頭の描写が好きです。特に、『艶やかな黒い光沢のあるドレスが、闇とこちらを行き来する』という一文に鋭さを感じました。
四島様の作品は何編か拝読致しましたが、簡潔なのに、驚く程広がりのある文章に、いつも感心します。勉強させて頂いております。
ひとつ気になるのは、自ら絶ったという「僕」の手が、どのような状態か、分かりにくかったという点です。
切ったのか、潰したのか。もう完全にピアノの演奏は出来ないのか、あるいは「彼女」と共に再起の道を探る余地が少しはあるのか。
それが明らかになった方が、音楽の道を「彼女」に託した「僕」の気持ちに、よりピントが合うような気がしました。
最後の一文が、とても美しいと思います。
ありがとうございました。

13/09/23 四島トイ

▼猫兵器様
 たびたびのコメント本当にありがとうございます。この話はプロット段階では、嫉妬とか羨望とか焦燥感のようなものが渦巻くもっとドロドロした展開になるはずだったのですが、力不足でした。男性もそういう感情にのまれて、衝動的に自分の手をひどい有様にするわけですが、私のイメージでは潰すか焼くかのどちらかでした。中途半端な話作りでお恥ずかしい限りです。併せて言えば、黒い光沢のあるドレス、ではなく、光沢のある黒いドレスにすべきだったかもしれません……恥ずかしいです……
拙い作品でしたが、読んでいただいた上に過分のお言葉までありがとうございました。

13/09/25 猫兵器

四島トイ様

度々失礼します。
『光沢のある黒いドレス』について。
そこはやはり『黒い光沢のあるドレス』が良いと思います。
『光沢のある黒いドレス』では普通すぎます。『黒い光沢』という一見矛盾した表現が逆に読者の目を引き、暗闇に紛れながらもなお存在感を放つ「彼女」の姿を表しているのだと感じます。

蛇足極まる意見を述べさせていただきました。
重ね重ね失礼いたしました。

ログイン
アドセンス