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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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うさぎ島

13/08/10 コンテスト(テーマ):第三十六回 時空モノガタリ文学賞【 無口な人 】 コメント:11件 そらの珊瑚 閲覧数:1703

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八月になると母さんは無口になった。それはほとんど不機嫌にも見えるほど。子供だった私は単純に母さんは暑いから夏が嫌いなんだろうと思ってきた。
 その本当の訳を知ったのはつい最近、私は既に五十歳になっていて、母さんがそれを語るには半世紀も長い道のりが必要だったことになる。
 ◇
 瀬戸内海に浮かぶ大久野(おおくの)島。忠海(ただのうみ)港から沖合三キロほどに位置し、確かに見えているのに、かつて地図から消されていた島。
 そこには毒ガス工場があったという。
「優子、母さんはこの島で終戦まで働いていたんよ。戦争中の勤労動員でな。まだ十五歳じゃった。ここで人を殺すための怖ろしかもの作ってたんじゃ」
 母が島に足を踏み入れるのは終戦後、今日が初めてのことだという。
「毒ガスじゃ。はっきりと何を作っているかは知らされてなかったけれど、みんなで噂しよったものよ。毒ガスじゃって」
 
 島を歩けばあちらこちらでうさぎに出会った。野生化したうさぎであろうが、人懐こく寄ってきて餌をねだってくる。けれどよく見れば首をかしげるほどの多い確率で奇形があった。手足が奇妙に折れているものや耳の中にグロテスクな瘤のあるもの。それらを見つけるたびに私は目をそらしたくても、そらすことが出来なかった。しゃべることが出来ないうさぎ達が何かを私に伝えているのではないだろうかって。心の底がしーんとして冷たくなった。

「あの頃島ではたくさんのうさぎが飼われててな。毒ガスの動物実験としてその命が使われていた。毒ガスが漏れた時先に死んでそれを知らせる役目もあった。何しろ毒ガスは透明じゃけんね。こんなに可愛いうさぎが毎日死によるのに、かわいそうとも思わんと、仕方ないって割り切ってな」
「仕方ないんじゃなかったの? だって戦争中だったんだし」
「それだけじゃない。毒ガスは爆弾と違って建物は壊さんで人だけを殺すことが出来るいい兵器だって胸張ってたんよ。お国のために頑張ろうってかずこちゃんやフミちゃんやらと励まし合っていたんよ。意気揚々と人殺しの兵器を作ってたんよ」
 私は返す言葉を失った。
「広島に原爆ば落とされて、たくさんの人が亡くなった。毎年夏が来るたび、手を合わせながら、母さんは思ったんじゃ。母さんは加害者じゃと。母さんが作った毒ガスはどこかで人を殺したんだと。人殺しじゃと」
 車椅子に乗った母さんの肩が震えている。
「その報いなんじゃろうか。フミちゃんは戦後すぐ病気で亡くなりなさった。毒ガス病だって言われて母さん、怖ろしかった。だからおまえが生まれてきた時、ちゃんと手足があるのを見た時心から安堵したんよ。でも……」
 潮風が吹きぬけるとさざ波のように緑の草がうねってゆく。

「おまえが結婚して流産を二度もしたんは、きっと私のせいじゃ。あの時吸った毒がおまえに受け継がれてしまったせいじゃ。ほんとに悪かことしたね。謝ってすむことじゃないけんど、ほんとにごめんなさい、ごめんなさい」
 何年も前の、あの日のことが浮かんできた。あの日、流産した産院で母さんは今と同じように私と夫にこんな風に謝っていたのじゃなかったっけ。
「そんなこと、言わないで。あれは誰のせいでもないの。そうなのよ、母さん」
 母さんを責めてみたって仕方ない。母さんは長患いの末、視力まで失っていた。

「あっうさぎが母さんの足元に来たわ」
 うさぎをよく見れば背中の一部が赤く変色し、明らかに血が固まったあとだとわかる。どこか病気なのかもしれない。たぶん長くは生きられないような気がする。
「あの時のうさぎの子孫かもしれんわねえ。どんなうさぎかいね?」
「白いうさぎよ。ふふっ。餌をくれないってわかったのかしら、ぴょんぴょん跳ねて行っちゃったわ」
「元気なうさぎだったかい?」
「ええ、とってもかわいいうさぎ」
「私を恨んでないじゃろうか」
「ええ、恨んじゃいないわ、ちっとも恨んじゃいないわ」
 
 フェリーで帰る時、島は夕日に照らされてオレンジ色に光っていた。
 ◇
 あの夏の母さんはまるで見知らぬ人のように饒舌だった。そんな母さんを見たのは、あの時一度きりだった。
 母さんはそれから半年後に亡くなり、今は先に逝っていた父とともに同じ墓に眠っている。

 


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このストーリーに関するコメント

13/08/11 光石七

拝読しました。
胸が詰まるお話でした。
これも戦争が生んだ闇ですね。自分の意志でなくても、体に、心に、傷が残る。話したくないというのもわかる気がします。

13/08/11 そらの珊瑚

画像はwww.flickr.com さんからお借りしました。
実際にあったことを基にしたフィクションです。

光石七さん、ありがとうございます。
実際にこの島で働いていたという人の話を聞いたことがあります。思い出したくない、話したくないというのが本当だと思います。
対岸から眺めれば美しい島だといいます。そこで起きた事実を忘れないためにも負の遺産として語りつなげていくべきものだと思います。

13/08/11 ドーナツ

拝読しました。

間もなく終戦記念日ですね。その日にまさにふさわしいお話だと思います。

間接的であれ、人を殺すことは後々までも罪の意識でくるしみ、流産のことや何か良くないことが起こると すべて自分の過去と絡めてしまうというおかあさんの心の中にある重苦しさが、すごくよくわかります。

実験に使われた兎も、かわそう。でも、スしなければならな方お母さんの過去を思うと、なにかやりきれない思いです。

「恨んじゃいない」という言葉に救われます。

おかあさんは、やっと苦しみかラ解放され、天国で幸せに暮らしていると思います。

13/08/12 鮎風 遊

こういうことは事実としてきっとあったのでしょうね。
戦争は、この世に生きるものすべてが犠牲者なのだと実感しました。
テーマ性のある物語で良かったです。

13/08/12 泡沫恋歌

珊瑚さん、拝読しました。

戦争をテーマにした深い物語ですね。

私は最近、日本の戦前史をいろいろ調べていますが、結論としていえることは
戦争は勝者に寄って捏造される。
勝っても負けても戦争には被害者しか存在しない。
心の傷を背負うのはいつも逆らうことのできない弱者たちなんだと・・・。

深く考えさせられる作品でした。

13/08/12 草愛やし美

そらの珊瑚さん、拝読しました。

哀しいですね、こういった歴史がこの島にあったことを聞いたことがあります。瀬戸内海の美しい海に浮かぶこの島で、そんな恐ろしいことが行われていたなんて、思いたくないことです。昨年行った和歌山県の加太沖にある友が島にも同じような旧日本軍の基地が多くあり、戦中は一般人の上陸を禁じていたそうです。戦争だから、仕方なかったで済まされない現実が、未だに残っていることは辛いことだと思いました。
また、今年も、広島・長崎の悪夢の日が過ぎましたね。十五日は、終戦記念日、戦後生まれの私達も、遠い日々の歴史へ想いを寄せる時を持ち続けたいと思います。絶対忘れてはいけないことだと思いますから……。

13/08/14 そらの珊瑚

ドーナツさん、ありがとうございます。

この島のうさぎは実際には戦後持ち込まれたものだそうです。けれど毒ガス処理で埋め立てた影響で土からは高濃度のヒ素が出るようです。そこに生えている草を食べているうさぎはその影響を受けてしまうということです。戦争は終わりましたが、まだあの島ではちゃんと終わっていない、そんな気がします。

13/08/14 そらの珊瑚

凪沙薫さん、ありがとうございます。

地球から戦争がなくなる日がいつかきますように。
ほんとうにそう願います。

13/08/14 そらの珊瑚

鮎風さん、ありがとうございます。

戦争は人間だけでなく動物、そして地球さえも傷つけますね。
今朝も海で不発だった地雷が爆発処理される映像をみました。
まだ多くの地雷が美しい瀬戸内の海にあるそうです。

13/08/14 そらの珊瑚

恋歌さん、ありがとうございます。

戦争の勝者によったねつ造、それはたぶん太古の時代からあると思います。権力者によって記された書物には権力者目線というかじぶんたちに有益なことしか描きませんから。
また、原爆を落としたアメリカのいいぶんがそうですね。
戦争によって加害者にならざるをえなかった人、その人たちもまた被害者であると思います。

13/08/14 そらの珊瑚

草藍さん、ありがとうございます。

他にもこういった役割をさせられた島があったのですね。
ある意味島というのは海によって守られた要塞ともいえますから秘密裡に行う場所としては最適だったのでしょうね。
戦争を知っている人はいつかいなくなります。それで忘れてしまうことが無いよう、戦争を知らない世代でも語り継いでいかなければいけないと私も思います。

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