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汐月夜空さん

切ない話が好きな空想好きです。 なんでもない日常がなんでもある日常に変わる物語を読んだり書いたりするのが特に好きです。 ブログの方でも小説やエッセイ、ネタなどを書いておりますので、よければどうぞ。 twitterの方は私生活も含めて好き放題呟いてますので、汐月夜空のことが気になる方フォローお願いします。 ブログ:http://ameblo.jp/shiotsuki-yozora/ twitter:https://twitter.com/YozoraShiotsuki

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もうはなさないで

13/07/17 コンテスト(テーマ):第三十六回 時空モノガタリ文学賞【 無口な人 】 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1264

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 華の金曜日の夜はどこの居酒屋も人でいっぱいだ。
 ピンポンと、遠くで呼び出しのベルが鳴り響いては、女性店員が元気よく駆けていく。
 そんな笑い声、囁き声、統一性のない感情が籠ったガヤガヤとした喧噪の中。
「兄ちゃん、良く見る顔だけど、奥さんと喧嘩でもしたのかい?」
 左隣に座ったスキンヘッドの男が満面の笑みを浮かべながら僕に声をかけてきた。
「……ええ、まあ、そんなところです」
 僕は突然話しかけられたことに戸惑いながらも、ガーゼを張った左頬を撫でて答えた。じんわり熱を持ったそこは、まだ疼くような痛みがある。
 結婚して三年目。最近仕事が忙しくてめっきり構えていないから、感情が高ぶっているのは分かるけれど、帰ってきて早々叩かれるとは思わなかった。
『今日が何の日か分かる?』から始まって、みるみるうちに曇っていく彼女の空模様。あっという間に土砂降りになって、繰り出された雷が僕の頬に突き刺さり。
『出て行って! 顔も見たくない! 声も聞きたくない!』と、回れ右させられて今、というわけだ。
 まあ、山の天気のように気分が変わりやすい彼女のこと。時間をつぶして帰れば元に戻るだろう、と、反省も兼ねつつ近所の居酒屋で晩酌を嗜んでいたところ、こうして男に声をかけられたのだった。
「そいつは良くないな、兄ちゃん。こんなところに居ていいのかい?」
 男は左手のウイスキーグラスを口に運び、目を閉じて、鼻でいっぱい息を吸い込み、実に美味そうに頷いた。
「良いんです。彼女に顔も見たくない、声も聞きたくないと言われてしまったので。それに、いつものことなんです。時間を置いて帰れば彼女の方から何でもなかったように話しかけてきてくれますから、大丈夫だと思います」
「いつものこと、ねえ。それは本当に、いつものことなのかい?」
 コトリ。空になったグラスをカウンターにおいて、男は言った。
「なあ、兄ちゃん、一つ話を聞いちゃくれないかい? 面白くもなんともない、一人の男のつまらない話だ。なに、飽きたら聞き流してくれたらいい」
 どうだい? と尋ねる男に、僕は良いですよと頷いた。
 帰るまでにはまだ少し時間がある。それなら、何もしないでいるよりも男の話を聞いた方が有意義だろうと思ったのだ。

「もうはなさないで。これは、俺の妻の口癖だった」 

 ☆ ☆

『もうはなさないで』
 あいつは実に良くできた女でな。喧嘩した際に俺が言い訳をしようとしたり、ごまかそうとした時に、そう言って涙も浮かべずにいつも俺を力強く抱きしめてきたんだ。
 そうなると、俺も野暮はやめよう、って黙ってあいつを強く抱きしめ返す。そうして、しばらく無言の時が過ぎると、お互いのどうでもいい感情もどっかに行っちまった。
 俺はその瞬間が好きだった。こいつを嫁にもらって良かった、ってその度に実感していた。
 だけど、俺はいつの間にかその言葉に甘えちまってたんだろうな。
 あれは三年前の今頃のことだった。仕事の飲み会があってな、ついつい呑みすぎちしまった。気持ちよく呑んで、意識がなくなって、目が覚めたら知らない部屋の中だった。
 あ、起きましたか。おはようございます、って。聞こえてきたのは当時仲の良かった後輩女子の声だった。
 ヤバイ、と思った時には遅かった。もちろん、不倫とかそんなことはなかった。固く誓ってな。だけど、会社の同僚はそう思わなかったし、そこから妻に連絡が行くのも当然の流れだった。
 帰ってすぐに言われたよ。
『もうはなさないで、って言ったじゃない』
 あの時のあいつの顔は今でも忘れられない。笑ってた。大粒の涙を流しながら、それでも笑ってた。それが痛々しくてたまらなかった。
 初めて知ったよ。はなさないで、の本当の意味。知った時には遅かった。

 それを最後に、あいつは二度とその言葉を俺に言わなくなったよ。

 ☆ ☆

「それでどうなったんですか?」
「別になんとも。その後すぐに俺の方から、もう離さないと誓って終わりだ。あいつと俺は今もラブラブさ」
 尋ねる僕に、ガハハと笑い、男は語った。
「俺が言いたいのは、相手のメッセージを取り違えるな、ってことだ。顔も見たくない、声も聞きたくない兄ちゃんの奥さんは、何を待っている? 一時的にでも、兄ちゃんより大事なものがあったんだろう?」
「……心当たりはあります。だけど、明日でも良いかなって、思ってました。今日は何も買えなかったので」
「何事にもタイミング、ってものがあるってことだ。さて、兄ちゃん。この店には丁度よく名物のイカの焼売がある。それ買って帰んな」
 僕は立ち上がり、男に礼を言った。
 男は応えた。

「結婚記念日おめでとう、兄ちゃん」


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このストーリーに関するコメント

13/07/17 光石七

「もうはなさないで」の意味、なるほどです。
素敵な夫婦のお話をありがとうございます。

13/07/22 メラ

女性の言葉の意味。これは男性にとって永遠に難しい問題です。どう受け止めるべきか。いつも男はてんてこ舞いです。

13/07/27 汐月夜空

光石七さん、コメントありがとうございます。

こんな夫婦になりたいな、と思って書きました笑
ずっと一緒に生きていたいと思える人と結婚したいです♪

13/07/27 汐月夜空

メラさん、コメントありがとうございます。

難しいですよね、本当に笑
言っていることと逆のこと思っていることもしばしば。いいから全部本音で話して。受け止めるから、って思うことが多いです。
出来る限り気付ける男でありたいなあと思う今日この頃です。

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