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四島トイさん

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長崎ちゃんぽんと生姜焼き定食

13/06/29 コンテスト(テーマ):第三十三回 時空モノガタリ文学賞【 迷う人 】 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:1467

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「……どっちがいいと思う?」
 そっと振り返るわたしに、友人の橋本裕美がため息をつく。「どっちでもいい」
 そうはいかない。不満に頬を膨らませると、裕美はやれやれと頭を振った。
「休憩、食券機の前で終わらせるつもり? せっかく実験抜け出してきたのに」
「だって、ちゃんぽんと生姜焼きだよ」
 私は日に焼けたメニューを指差して訴える。
 午後二時近いせいか、大学食堂に混雑はない。厨房も気だるげで、大きく開かれた西向きの窓の向こうには、夏を待ちわびる六月の空が広がっていた。
 売り切れランプの点灯する食券機に向き合う。残っているのは、野菜たっぷり長崎ちゃんぽんと、塩ダレ生姜焼き定食。
「『だって』の意味がわかんない」
「お腹の感じはお米なの。でも野菜とらなきゃだから、ちゃんぽん惹かれるでしょ。でも、私のお腹は米騒動状態なわけ。でもでもやっぱり、ちゃんぽんかな。ううん。生姜焼きなのかも。裕美だったらどっちにする?」
「自分で決めなさい」
「……冷たい」
「あら、ランチがどっちも温かくてよかったじゃない」
 裕美は口元をわずかに緩めると、手にしたレポートに視線を落とす。しなやかな指が動いてレポートが捲られる。背が高く、綺麗な黒髪を一本に括った彼女が目を伏せている。毎日のように顔を合わせているというのに、同姓の目にも美しい横顔は今でも私をドキリとさせる。
 彼女は大学入学後に知り合った一番の友人だ。迷ってばかりの私が、どれほど助けられたことか。それでも呆れず一緒にいてくれることが単純に嬉しかった。
 不意に裕美が、葵はさ、と口を開いた。
「研究室選ぶときも随分悩んだよね」
「ああ。細胞生物学と生物物理学ね。あれは迷った」
 笑いながら発券機に視線を戻す。手の中の五百円玉を転がす。「どっちも興味あったからねえ」
「あの時は、おはようからおやすみまで『どっちがいいと思う?』だった」
「ご迷惑おかけしました」
 頭を下げると裕美が小さく笑った。
「結局、同じ研究室だしね。これ、流されてない?」
「いやいや熟考の結果ですよ」
 私は胸を張った。
「迷いつつも熟考が尽くされれば、決定はさして重要じゃないのよ」
「何それ。持論?」
「そ。私、戸山葵の持論でございます」
「じゃあ。緒形君と付き合うときも考えたんだ?」
 瞬間、先月から付き合い始めた緒形涼平の坊主頭と彫りの深い顔が頭を過る。自然と頬がわずかに熱を帯びた。
「そりゃあ、ね……」
 動揺を抑えて、注文が決まらないまま硬貨を投入する。人差し指を立てて、その行き先を探す。
「告白、されてたんだよね。葵はもっと悩むと思ってた」
 小さな彼女の声に、そういえば付き合うことは事後報告で相談しなかったけな、とぼんやり思い出す。
「まあ、うん。私ももっと悩んだり迷ったりすると思ったよ」
「迷わなかったんだ」
 うん、と声に出さずに頷く。
「……私も緒方君のこと、好き、みたいだってわかったからね」
 あれが直感というものであれば、いつも悩まずにはいれない私には、ひどく単純なプロセスに感じられた。
 ふと、顔を上げると裕美が静かに私を見つめていた。その目元の寂しげな様子にはっとする。
「……なあんてねっ」
 自分の発言に、顔が急速に火照りを覚える。冗談めかしたものの、熱は容易に引かない。
「あれ、戸山さん?」
 突然の声に振り返ると、緒形涼平が食堂に入ってきたところだった。作業服姿の彼もまた、何かの実験を抜け出してきたようだ。
「昼飯まだなんだ?」
「う、うん。緒形君も?」
 さっきの今で熱の引かない頬を持て余しながら目を合わせずに応じた。
「そ。朝からずっと振動試験やって、やっと抜けられた。橋本さんも飯まだなの?」
 裕美は無言で首を振った。急いで私が付け足す。
「何にしようか迷っちゃって」
 ちゃんぽんと生姜焼きかあ、と緒形君はメニューを覗き込みながら呟いた。
「俺、生姜焼きにしようかな。写真だとこっちのが旨そう」
 あ、じゃあ私も、と応じようと口を開いた。
 視界の端で影が動いた。
 つい、と伸びてきた指はあまりにしなやかで、自然で、目で追うこと以外の反応は、できなかった。発券機から食券が吐き出され、ボタンのランプが消える。
 顔を向けると、指を伸ばしていた裕美が目を見開いていた。彼女自身が何よりも驚いているようでもあった。
「……休憩、終わっちゃうから」
 途切れそうなほど小さな声と共に食券が差し出される。私がその小さな紙片を受け取ると、彼女は小走りで食堂を出て行った。
 長崎ちゃんぽんの食券を手にした私にはその背中を見送ることしかできなかった。


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このストーリーに関するコメント

13/06/30 光石七

拝読しました。
日常の迷う出来事ですが、女同士の複雑な心も滲んでいて、感嘆してしまいました。

13/06/30 クナリ

些細なように見えて、激しい感情の流れが胸の裡で起こっているのが感じ取れました。
とっさに抗えない激情というのが、ありますよね。

13/06/30 四島トイ

>光石七様
 読んでくださってありがとうございます。何度もコメントをいただいているのに、代わり映えのしない作品で恥ずかしい限りです。『感嘆』なんて身に余ります。ありがとうございました。


>クナリ様
 コメントありがとうございます。もしかしたら橋本女史の視点で書くべきだったかと悩んでいました。感じ取れたと言っていただけて少しホッとしました。ありがとうございます。

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