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四島トイさん

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放浪屋台

13/06/17 コンテスト(テーマ):第三十二回 時空モノガタリ文学賞【 ラーメン 】 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1453

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 これは意地なのだと思う。
 そうだ。職業人としての意地だ。役立たずとか、偉そうとか、口だけなんていう不名誉をゼロにする意地だ。
 石段を一歩一歩踏みしめながら、強くそう思った。握り締める鞄の持ち手が軽く汗ばむ。不意に、竹林を抜けた風がわたしを横切った。先週切ったばかりの前髪が揺れる。昼間の熱を宿した土の香り。夏の夜の匂いが鼻腔をくすぐる。そのなかに微かに塩気を含んだ匂いが混ざる。ラーメンのような匂い。ヒサカキがこの辺りにあるはずがない。つまり、これはラーメンのような匂い、ではなく、ラーメンそのものの匂いだ。
「……当たりってことよね」
 キッと目を上げる。階段の先は空き地だ。商店もなければ民家もない。ましてや飲食店などあるはずがない。
 慣れないスーツの襟を正して、ポケットに隠していた身分証を首から提げる。
 保健所食品衛生課技師。
 入庁三年分の経験と肩書きで武装して、わたしは更なる一歩を踏み出した。

 放浪ラーメン屋台が都市伝説のように語られて数年が経つ。場所を選ばず夜更けに店を構え、気まぐれに開店と休業を繰り返す。その実態を知る人間は、いない。
「いない、で済むかっ」
 なるべく声を落としてひとりごちる。露天営業は保健所の許可が必要だ。ラーメン屋台など最たるものだ。取り締まらねば、危ない食品が世に出回るとも限らない。

「……こんばんは」
 階段の先には確かに屋台があった。噂の屋台をついに目にしたというのに、わたしは予想外な店主の姿に唖然としていた。それは高校生ほどの少年だった。
 彼もまた、わたしに驚いているようだったが口を開いた。
「えーっと。もしかしてラーメンですか」
 応えないでいると彼は、参ったな、と頭を掻いている。
「……君、この店のひと?」
 何とか声を振り絞って問う。そっすけど、と何でもないように彼は応え、ため息をついた。
「やっぱラーメンですか」
 そう言いつつ麺を茹で始める。
「ちょちょっと待ちなさいっ」
 慌てて手で制すると、なんすかー、と気のない返事が続く。
「……君わかってやってるの? ここ無許可でしょ」
「あーそーゆーの必要なんすか」
 あまりの意識の低さにお腹の底がぐらぐらと煮える。
「必要に決まってんでしょっ」
 叩きつけた声が無人の空き地に広がって夜をわずかに揺らした。少年が目を丸くする。
「飲食業の許可をとってないのよ。ルールを無視してるの。わかる? 守りなさいよ。食べるのあんた達なんだからっ。どうせ保健所なんて面倒ごと押し付けてくるくらいにしか思ってんでしょ。お生憎様。これでも死人が出ないように必死なんだからっ」
 後半は日頃の鬱憤だと気付く事もなくわたしは捲くし立てた。目頭が熱くなって、涙がほろろっと零れる。疲れと眠気で情動が不安定なのだ。暗闇の向こうので救急車のサイレンが遠く聞こえた。
「……なんか。すんません」
 彼は戸惑うように頭を下げた。しばらく手持ち無沙汰な様子であったが、丼を手にとった。
「え、と……ラーメン食います?」
「ひと……ひ、ひとの話、聞いてた?」
 鼻をすすりながら訴えるわたしの声を無視して、彼の作業はするすると続く。慣れた手つきに醤油ダレが注がれる。
「……母親を待ってるんすよ」
 え、と顔を上げるのと少年がスープを加えるのが同時だった。もつれを梳かしながら麺を沈める。
「うち、父親も母親も喧嘩ばっかで。で、大抵、母親が出て行くんですけど」
 メンマとのり、チャーシューの横にナルトが盛り付けられる。
「でも何日かすると父親がこの屋台引っ張り出すんですよ」
 母方の祖父の形見らしいんですけどね、と言っいるうちに丼が目の前に置かれる。
「まあ仲直りのサイン? みたいな。母親もラーメン好きなんで」
 でも、と反射で反論する。
「……なんで空き地で」
「この辺、親戚の土地なんすよ。家の前じゃやりづらいし。御近所に迷惑かけちゃいけないから毎回場所探すの大変ですよ」
 しかも母親待ってたらスーツのお姉さん来るし、とぼやく彼はどこか照れているようでもあった。
「じゃ、じゃあお父さんは? いないじゃない」
「夕方、屋台出すときに腰やっちゃって。代役っす」
 だから、と彼は前置いてラーメンを顎で示す。
「大した味じゃないすよ。それ」
 目の前で湯気を立ち上らせるそれを見つめる。割り箸を手に促されるまま麺を口にする。
「どっすか」
 吹っ切るように、わたしは思いっきり麺をすすり上げて、素直な感想を口にした。
「……お店とかじゃない誰かんちの味」
 ですよね、と苦笑しながら肩をすくめる姿に、張りどころを失ったわたしの意地は、湯気のように宙に解くしかなかった。


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