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四島トイさん

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財布初心者

13/03/12 コンテスト(テーマ):第二十七回 時空モノガタリ文学賞【 財布 】 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:2356

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 ぱたぱたと財布を開けては閉める。寝そべる畳からは、かすかにい草の香り。落ち着かないまま頭をずらせば、大きく開かれた窓の向こうに八月の白い雲が見えた。
 車が砂利を踏む音がする。エンジン音が止んで、玄関の戸が引かれた。
「おうい。迎え行ってきたがぞお」
 兄を迎えに行っていた父の声が響く。
 来た。ぱっと立ち上がり、階段を駆け下りる。玄関では家族に出迎えられて兄が荷を下ろしていた。私の足音に気づいて顔を上げる。
「おおサチ。正月ぶりだな。元気にしてたか」
 うん、と小さな声で応じると、母が笑いながら手招きをした。
「サチ。何を照れとるが。お土産あるよ」
「新しいお財布ば持ってどうしたがかねえ」
 目敏い祖母の指摘に咄嗟に後ろ手に隠す。
「前はお財布いらずで全部ポケットに入れとったにねえ。お姉さんになったが」
「財布までポケット入れて洗濯出さんでよ」
「しないってばっ」
 憤然としながら祖母と母の声をかき分け、兄の手を引いて玄関を出た。どこ行くがあ、と問う父に叩き返すように叫ぶ。
「お昼ご飯行ってきますっ」

 兄が大学に進み、一人暮らしを始めたのは去年の春。年の離れた妹の私は、突然の置いてけ堀を食らって不貞腐れた。
 さらにお正月。兄は貯めたバイト代で家族を食事に連れ出した。初任給で買ったという財布も、当たり前のように会計を済ませる姿も、どれも大人びて見え、置いてけ堀感は私をぎゅうぎゅうと圧迫した。
 だから今日はリベンジだ。
 近所の洋食店で、メニューに視線を落す兄と向かい合って座る。
「サチは中学生なのに、こういう店に来るんだな」
 枯茶色を基調とした店内を見回しながら感心したように呟く。来るのは初めてだ。背伸びしすぎたかな、という不安感は首を振って、追い払う。
「今日は私が、お兄ちゃんに奢ってあげるから」
 手元の真新しい財布をポンッと叩いてみせる。兄が本気にしてない様子で笑う。
「妹の小遣いをたかるわけにいかんだろ」
「お小遣いじゃないよっ。伯母さんのお店で働いたの。お給料なんだからっ」
 商いに厳しい伯母の店で、働かせてもらえたのはたった三日間。それでも、やる気だけは買おうかしらね、とお年玉よりずっと渋い封筒に、お年玉くらいの金額を包んでくれた。そのほとんどは憧れの革財布に変わってしまったが、残金はしっかり中に入れてある。千円札が三枚。どんな食事だってドンと来いだ。
「伯母さん厳しかったろ。よくやったなあ」
 驚く兄の表情に頬が緩む。兄に追いつけると思うだけでむず痒い。注文を聞きに来た店員さんが、私のふにゃりとした笑顔にぎょっとしているのも気にならなかった。

 手が止まったのは、パスタを完食し、紅茶を飲み終えた時だった。脇に置いたメニューがふと目に入ったのだ。まさか、という思いにすっと体温が下がる。
 兄がトイレに姿を消したのを確認して、急いで伝票を手に取る。手書きされた料理名の下にコーヒーと紅茶のサイン。さらにその下、合計金額欄からにゅっと伸びてきた手に心臓を握られた。
「……うそ」
 予算オーバーだ。ほんの数百円。飲み物が別料金になっている。きっと店員さんの説明を、舞い上がって聞き逃したんだ。恥ずかしさに頬が熱くなる。同時に、お金を払えなかったら、警察を呼ばれたりしたら、という不安に鼓動が速くなる。
「お待たせなー」
 兄の声にすぐに伝票を伏せる。そろそろ帰るか、と言われても動くことができない。
「お、お兄ちゃん。先、帰ってて」
「どうした。どっか具合悪いのか」
 そうじゃなくて、と口ごもったところで勢いよく立ち上がる。
「とにかく出てっ」
 困惑する兄の背中を押して会計前を通過。外へ追い出してドアを閉める。店員さんが目を丸くしていた。
 さあ、覚悟を決めろと心で唱える。とにかく謝って電話を借りよう。家に電話してお金を持ってきてもらう。これしかない。恥ずかしいけど、悔しいけど、それしかない。顔からしゅうしゅうと湯気が出そうだ。でも言うしかない。ジーンズをぎゅっと握って、店員さんを見上げる。
「あの」
 その時ふと、ポケットに何か硬いものを感じた。指で探って、手にしたものに呆気にとられる。それは紛れもなく五百円玉だった。何で、という疑問は、洗濯の時入れっぱなしだったという情けない理由でかき消された。でも信じられない思いだった。
 財布いらずの子どもの私に助けられるなんて。

 まだ治まらぬ鼓動に手を震わせつつ会計を済ませる。店を出ると、やっと深く呼吸ができた。
 道の向こうに兄が待っていた。
 安堵感に足元が覚束なくなる。でも悟られてたまるか。精一杯の見栄を張って、空っぽの財布片手に、私はまだ遥か先の兄へと足を向けた。


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このストーリーに関するコメント

13/03/15 クナリ

何気ない日常の中で、周囲から見ればきっと取るに足らなくても、ある人にとってはとんでもない大事件だったりすることはままありますが…リアルな描写に、つい主人公の身になって慌てふためきました(^^;)。
伏線の発動だけでなく、「財布いらずの子どもの私に〜」の一文が加わることで主人公が愕然とする様子が目に浮かび、より印象的なラストになっていますね。

13/03/16 光石七

誰にでも起こりそうなありふれた出来事が、心に波を立て頬を緩ませる。
主人公の気持ち、よくわかります。
その姿が懐かしくて、微笑ましくて…
自然にすっと読める文章で、ノスタルジーに浸らせていただきました。

13/03/17 四島トイ

>クナリ様
 いつもご感想をくださりありがとうございます。なかなか文章が成長せず、お恥ずかしいばかりです。伏線、と言えるほどのものが書けたのかどうか……自信はありません。これからいっそう精進します。ありがとうございました。


>はぐれ狼様
 はじめまして。お読みいただいた上にコメントまでありがとうございます。題材に気をとられて登場人物の描写がおざなりになってしまったと自分では反省しております。今回はありがとうございました。

>光石七様
 はじめまして。コメントありがとうございます。本来ならば御意見をいただけるほどの文章ではないかと存じますが、このコメントを励みに今後も精進します。ありがとうございました。

13/04/02 草愛やし美

四島トイさん、拝読しました。

年の離れた妹さんのいじらしさがとても微笑ましいですね。初めて持った財布、それだけで大人になったような気がして、お兄さんに近づけたんですね。ポケットに残っていたコインの終わり方がとても素敵です。最後のシーンでは、妹さんと一緒に私まで、動悸が激しくなりましたよ(苦笑)
とても筋立てのよい作品だと思いました。

13/04/08 四島トイ

>草藍様
 お礼が遅れてしまい申し訳ありません。読んでくださってありがとうございます。詰め込み過ぎたと個人的に反省ばかりの本作を、筋立てのよいと言ってくださったお優しさに恐縮しきりです。コメントありがとうございました。

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