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ポテトチップスさん

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クラブホールディング

13/03/04 コンテスト(テーマ):第二十六回 時空モノガタリ文学賞【 サーカス 】 コメント:0件 ポテトチップス 閲覧数:1531

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 アパートの階段を矢田誠司は重たい気持ちで一歩一歩上った。
 分厚い雲が、月と星を遮っていた。
 「ただいま……」と、玄関を開けて言ったが返事は返ってこない。靴を脱ぎ、狭く短い廊下を進むと、居間に妻の美香子と4歳の奈菜美がテレビを観ていた。
 「ただいま……」と改めて小さく言うが、いつものごとく返事は返ってこない。
 美香子がテレビに顔を向けたまま、誠司に掌を見せた。誠司は、紺色の作業服のポケットから給料袋を取り出し、美香子の掌の上にそっとのせた。
 作業服を脱いでハンガーに掛けていると、給料袋の中身を確認していた美香子が舌打ちをした。
 「安月給なんだから」
 誠司は唇を固く結び、美香子に聞こえない程度にため息を鼻からついた。
 「晩御飯、台所で食べてよ。換気扇も忘れないで点けてよ」
 「うん。分かった」
 「は〜」と、美香子がまたため息をついた。
 「奈菜美、今日の幼稚園楽しかったか?」と、誠司が聞くが返事は返ってこない。
 台所で手を石鹸で洗ったあと、美香子が夕方に作った野菜炒めを、レンジで温めて食べ始めた。
 食事を食べ終え、自分で使った食器を洗った後、お風呂に入った。
 湯船に浸かりながら誠司は目を瞑った。もう別れたいと思った。 何度も何度も考えたが、決して口に出来ない言葉だった。
 5年前の3月、誠司は美香子と結婚した。その数ヶ月前、美香子の実家に結婚の挨拶に行ったとき、義理の父から「絶対に離婚はするなよ」と念を押された。
 その時、誠司は義理の父に「何があっても離婚はしません。僕を信じて下さい」と言ったのだ。この時言った自分の言葉を、今は酷く後悔していた。

 「パパ遅いね」そう奈菜美が言った。
 美香子は部屋の壁時計に目を向けた後、「パパなんか、家に帰って来ないほうがいいよ」と奈菜美に言って、またテレビに顔を向けた。
 23時が過ぎても誠司は家に帰って来なかった。
 きっと昨日、給料袋の中身を見て「安月給なんだから」と言ったのを聞いて、誠司は残業をしているのだろうと、美香子は思った。
 朝になって目が覚めたが、誠司の姿はなかった。
 1週間後の金曜日、同じアパートに住む田中さんと階段下の集合ポストで顔を合わせた。
 「あら矢田さん、こんにちは」
 「田中さん、どうもこんにちは」
 「最近、朝のゴミ捨て場で旦那さんに会わないけど、病気でもされてるの?」
 「違いますよ。ただ、家に帰って来ないんです」
 「あら、どうして。喧嘩でもされたの?」
 「いえ、旦那の前で給料が安いことを愚痴ったら、翌日から家に帰って来なくなったんです」
 「あら、大丈夫なの?」
 「あと数日したら、家に帰って来ますよ。たんなるプチ家出ってやつですよ」
 「そうなの」
 「ええ、ご心配なく」

 街の街路樹の葉がこの間、赤く染まって落ち始めたと思ったら、季節はあっという間に桜が咲き始める季節に変わっていた。
 美香子は連日、誠司の知り合いに片っ端から電話を掛け、誠司から何か連絡がなかったが確認することで1日が終わった。しかし、何の手がかりも得られない日が続いた。
 警察にも、3ヶ月前に行方不明捜索の手続きをしていたが、こちらも何の手がかりもつかめずにいた。
 誠司が失踪して6ヶ月近くが経つが、その間に美香子は10キロも体重が落ちていた。
 今日も、誠司の知り合いに片っ端から電話を掛け続けたが、結果はいつもと同じだった。奈菜美のために晩御飯を作っている時、玄関のドアがノックされた。
 誠司が帰って来たと思った美香子は、包丁を乱暴にまな板の上に置き、急いで玄関を開けると1階に住む田中さんだった。
 「あっ、田中さん……」
 「ごめんなさいね。こんな時間に」
 「いえ……」
 「実はね、断言は出来ないんだけど、うちの旦那が出張で広島県に行って、近くでたまたまサーカス団が公演をやってたらしいの。それで珍しいからって、うちの旦那サーカスの公演を観たらしいの。そのサーカス団の中に矢田さんの旦那さんらしき人がいたって、旦那がさっき出張から帰って来て私に言ったのよ」

 翌日、奈菜美を実家の両親に預けて、美香子は飛行機で広島県に向かった。
 13時公演の森川サーカスを観ようと、多くの観客が観客席で始まるのを待っていた。
 13時ちょうどに公演が始まり、公演の中盤あたりでジャグリングを楽しそうに披露する誠司の姿がそこにあった。
 美香子は涙を流しながらそれを観続けた。
 15時に公演は終了し、美香子はサーカス団の関係者に誠司を呼んでもらった。
 5分後、誠司がやって来て、美香子を見るなり驚いた表情をした。
 涙を浮かべながら「ジャグリング上手だね」
 「……」
 「生きていてくれてよかった」そういって、バッグから離婚届を取り出し、泣きながら誠司に渡した。


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