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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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お雛様を飾る日

13/03/01 コンテスト(テーマ):第二十五回 時空モノガタリ文学賞【 雛祭り 】 コメント:9件 そらの珊瑚 閲覧数:2512

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 江ノ電は民家の壁すれすれに走っていく。洗濯物に手が届きそうな近さだ。まるでオモチャのようなこの愛らしい電車に乗ると、かつて女子高生だった頃の自分が戻ってくる気がする。しばらくすると海と並走する。春まだ浅い銀色の鱗を鎌倉の海は浮かべていた。
内向的な少女だった私は、学生鞄に一冊の詩集を常に忍ばせ、集団で群れることにいつまでも慣れず、孤独であることはさみしい事ではないと思い込もうとしていた。
──人はその車窓をなぜじっとみつめるのであろうか。あたかも未来の自分を見つけるような熱心さで。
 好きだったワンフレーズを頭の中でなぞる。二十代半ばで夭折した詩人だった。彼は自分の未来をみたのであろうか。長谷駅を降り実家まで歩く。海の匂いがする。躰に馴染んだ私の海だった。お正月ぶりであろうか。結婚して横浜で暮らすようになってからも事あるごとにこうして訪ねる片道一時間ちょっとの時間。三年前に父を送ってから、それは少しずつ頻繁になったようだ。三十年ローンで四八〇〇万円で買ったマンションからも海は見えるが、それは絵画のように美しいだけで、よそよそしい。
「お雛様を飾りたいのだけど、手伝ってくれない?」母から電話をもらった時、生理の痛みに耐えかねて病院で処方された痛み止めを飲んだばかりで、ベッドの中で海老のように丸まっていた。
「じゃあ、来週日曜日、仕事が休みだから行けたら行くわ」口を開くのさえしんどかった。体調の悪さを悟られまいと私はそそくさと電話を切った。母の間の悪さをほんの少し恨んで冷や汗の浮かんだ顔を乱暴に枕に沈めた。お雛様なんて。何の役にも立たないものを後生大事にしていることにさえ、かすかな嫌悪感が湧いた。
──チョコレート嚢胞ですね。子宮に出来た塊です。子宮内膜症の症状で、重い生理痛に加えて日常的な腹痛、性交渉時の痛み、不妊の原因にもなります。銀縁のメガネをかけた若い男性医師から無機質にそう告げられたのがちょうど一か月前。ああ、それで……。原因が分かって、どこかぎくしゃくしてきた私達夫婦のパズルのピースがぴたりと合わさる音がした。CT検査の結果、嚢胞はかなり大きいのがわかり、一応薬をもらって帰ったが、将来的には外科的処置、つまり子宮そのものを取ってしまうのが最良の方法だと付け加えられた。残酷ですね。そう言ったら不覚にも涙が出そうだったので、「考えてみます」平静を装って言ったひとことは、子を産みたいという希望を捨てなければならないと意味している。せっかく出来上がったパズルを壁にかけることもなく捨てなければならいのだろうか。
     ◇
「ただいま」数年前から玄関の引き戸の滑りが悪い。母は台所で水仙を活けていた。石油ストーブの火の上で薬缶が湯気をたてている。「おかえり」早春の香りは薄荷に似ている。母から手渡された割烹着は糊が強く効いていて硬くどこか母そのものという気がした。
「淳さんは一緒じゃないの?」「彼は日曜日ごとゴルフよ」「そうなの。まあ男の人にはお雛様なんて退屈よね」「本当にゴルフかどうか怪しいけどね」「うまくいってないの?」「冗談よ。結婚十年もたてば夫婦なんてそんなもんでしょ」「そうねえ、お父さんだって、たたけば埃が出たくらいだからねえ」真面目だけがとりえのようなあの父が?初耳だった。窓辺に飾られた父の写真を睨んでみたが、上手に知らんぷりされた。あたかも死んだ者の特権だよ、といっているように。「でもね、埃が立つまで、たたいちゃだめよ。お布団と一緒。それが長持ちさせるコツよ」そういって母は軽く笑った。七段飾りのお雛様を飾るのはひと仕事だ。まずは階段状になっている土台の組立から始まる。
「このお雛様はね、ざわざわ鴻巣まで行って求めたものなのよ」私が産まれた時既に母の親は亡く、若い両親は我が子のためにわざわざお雛様の産地まで出向いたらしい。日焼けを恐れて昔は日当たりの悪い客間に飾られていたおかげで、西陣織という人形の着物は美しさを保っている。「日当たりのいいリビングに飾っていいの?」「日陰の部屋で我慢させるはもう忍びなくて。長い事あなたの災厄を身代わりになって引き受けてくれたお人形だから」お雛様は身代わり人形。それが本当ならどうして私はこんなに苦しまなければならないのだろうか。  
 お雛様、三人官女、五人囃子、牛車から小さな箪笥、その他大勢を引き連れた賑やかな大所帯が完成したのは一時間もしてからだった。「もうひとつお雛様には大切な役割があるの。こうしてお雛様を飾る幸せな気持ちを母親にくれるってこと。どんな女の子になるのだろうって、あれこれ未来の姿を思い浮かべるのよ。あなたにもそんな幸せをあげたかったわ」数前からこらえていた涙が堰を切ったように流れ出てくる。ああ、母の間の悪さは今日に始まったことではなかった。


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このストーリーに関するコメント

13/03/01 そらの珊瑚

誤りがありました。最後から一行前の記述で(数前から)→(数日前)に訂正します。申し訳ありませんでした。

13/03/01 草愛やし美

そらの珊瑚さん、拝読しました。

女性ならではのお話ですから、女性である珊瑚さんは書かれたのでしょうね、こういう思いをしている女性が、世間には大勢おられると思います。
お雛祭りの行事は、そんな境遇にある女性にとって、辛いもの──女性のお祭りだからこそ、子宮を余計に意識する日だと思います。

祝いの日に辛く悲しんでいる人のいることもいることを知るということは大事なことだと思います。そういったことが心にしみじみと伝わってきました。とてもよい作品だと思います。

13/03/03 ドーナツ

拝読しました。
早いもので、もうお雛様。この前、正月だと思ってたら、日の経つのは早いですね。

主人公の女性の心境を考えると、おひなさまをを飾ってる場面、辛いものがあります。
短いお話の中に、深い人生が見える文章は、素晴らしいです。

13/03/05 泡沫恋歌

珊瑚さん、拝読しました。

この話はずっしりと重いですね。
何気なく言った母親の最後のひと言が・・・ああ、可哀想!
と読んでて、心の中で叫んでしまった。

確かに残酷だけど、立ち向かわなくてはならない現実でもあるんだ。
だから、辛いよね。

だけど、お母さんの「埃が立つまで、たたいちゃだめよ」この言葉は
人生(妻)の先輩の至言ですよね。

興味深く、言葉のひとつひとつに頷きながら読ませて頂きました。

13/03/06 そらの珊瑚

草藍さん、ありがとうございます。

境遇によって、お雛様に対する想いは人それぞれなのではないかと思ったことがこのお話を書くきっかけになりました。

13/03/06 そらの珊瑚

ドーナツさん、ありがとうございます。

ほんとに、もう三月かとびっくりしますね。
主人公にとって今はつらい季節かもしれませんが
あとになってみれば、母とすごしたこの日のことを
懐かしく思ってくれればいいなあと思います。

13/03/06 そらの珊瑚

恋歌さん、ありがとうございます。

埃はどうしたって、たつものでしょうからねえ。
そしてどこまでだって、立つものだと思います。
辛い現実は人それぞれだ思いますが、自分で乗り越えていくしか
ないものですね。

13/03/09 鮎風 遊

母と娘の微妙な関係。

お雛さんを飾るという儀式の中に表現されてありました。

ホント、そばで見ていて、ようわかりませんが。

13/04/02 そらの珊瑚

鮎風さん、ありがとうございます。

お雛様を飾るって、母から娘に継がれていく行為なのかも
しませんね。

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