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四島トイさん

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雛の作法

13/02/19 コンテスト(テーマ):第二十五回 時空モノガタリ文学賞【 雛祭り 】 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1320

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 女の子のお祭りなんだから、と母は肩越しに言った。
「だからそんなに膨れっ面しないの」
 着物の帯を整えながら、鏡に映る私に困ったように笑いかける。
「だってそれって私がまだ子どもってことでしょう」
 人形のように着付けられていく自分の姿。日常からかけ離れた鮮やかな色彩が、まるで幼さの烙印のように目にちらつく。
「あら素敵じゃない。お母さんには羨ましいくらい」
「私は嫌」
「贅沢なひとねえ」
 母は眉を下げると、宥めるように私の肩を叩いた。
「さ、あとはお化粧するだけよ」
「まだやるのお」
 この上、唇に紅などひくのかと思うとぞっとする。
「そりゃあ、お婆ちゃんのお家にお呼ばれしたんだもの」
「お呼ばれって同じ町内なのに……」
 鏡から目を外し、後ろの母に視線を送る。棚の上の化粧箱に手を伸ばす後姿と、背中で揺れるポニーテールが見えた。母は小学生の私でもわかるほど小柄な女性だ。でも、均質の取れた体型をしているせいか、スタイルがいい。凛とした母の後姿が好きだった。
 再び鏡を見る。ちんまりとした丸顔の小学生が、着慣れぬ着物に包まれていた。ため息が出る。
「あなたも難儀な女の子ねえ」
 母が呆れたように言う。「そんなにお雛祭りが嫌なんて」
「子どもに『あなたは子どもです』って言って何が面白いのか、て思うだけ」
 ひねてるわねえ、と母は膝をつくと化粧箱を開けた。
「だって。大人はこんなことしないじゃない」
 そうね、と母は笑ったものの、少し考えるように手を止めてから、でもね、と口を開いた。
「例えば、着慣れない服を着る。お化粧をする。誰かを訪ねる。もしかしたら馴染みのない方にもご挨拶する。皆に見られて食べたり飲んだりする。お雛祭りはふわふわばかりしてられないのよ」
「……だからなあに」
「きっと、私達大人はそういうことをあなた達に伝えるのが下手っぴなのね。だからお祭りを言い訳にするんじゃないかしら」
 母はいたずらっぽく笑った。
 化粧を一通り終えると、私達は並んで家を出た。まだまだ冷たい風が頬を撫でたが、降り注ぐ陽気はかすかに春を感じさせた。
 陽だまりの道を祖母の家へ向かう。一人暮らしの祖母は書道教室の先生で、背筋のぴんと伸びた一見近寄りがたい女性だ。でも、私を迎える声はいつも優しく、祖母を恐いと思ったことなど一度としてなかった。
「あら、こんにちは」
 郵便局の近くの交差点で、着物姿の同級生の女の子とそのお母さんに偶然行き会った。でも、普段見慣れた彼女だと気づくのにしばらく時間を要した。薄桃色の着物も、手にした小物も、何より顔つきがまるで年上の子のようだったからだ。呆ける私を他所に、母は彼女に話しかけている。
「素敵ねえ。着付けも上手」
「ありがとうございます。母に手伝ってもらいながら何とかできました」
「すごい。器用なのね。綺麗にできてるわ」
「そんな。ここの帯下のところに悩んでしまって……」
 彼女が母に臆することなく、はきはきと応じる姿は普段からは想像もつかないほど、大人びて見えた。不意に、この場で自分だけがとても幼い子どものように思えて、恥ずかしくなった。
 去り際に彼女は少し顔を寄せると、その着物の色すっごくかわいいね、と微笑んだ。ありがとう、と言うのに精一杯で他の言葉をかけることもできずに、その後姿を見送った。
 しばらく黙ったまま歩を進めたが、祖母の家の近くまで来て母が口を開いた。
「さっきの子。とってもしっかりしてたわね」
 うん、と消え入りそうな声で応じる。「……みんな、ああなのかな」
「あら。あなたもできるってお母さんは思うけど」
「本当。どうやって」
 うーん、と母は考える仕草をして「思う存分、背伸びしなさいな」とだけ言った。
 気づけば、祖母の家の玄関前に立っていた。見慣れたガラスの引き戸の向こうで、祖母もまた先ほどの子のように受け答える私を待っているのかと思うと緊張で心臓が跳ね上がりそうだ。
 震える手で呼び鈴を押すと、しばしの後に戸が引かれ祖母が現れた。その目が、静かに私に向けられていた。挨拶をしなきゃ、と焦りばかりが増す。優しい祖母の前でこれまで一度としてかいたことのない汗を手のひらに感じる。
「ほ、本日は、お招きいたたただきありぎゃとうございます」
 慣れない言葉を盛大に噛みつつも、そう言って頭を下げる。
 祖母はしばし私を見つめた後、ピンと伸ばした背をゆっくりと折り「ようこそお出でくださいました」と言って目を細めた。
 脇に立つ母に視線をちらりと向けると、親指を立てて微笑んでいる。よし、と緩みそうになる頬を必死に堪えて、気合を入れ直す。
 背筋を伸ばして、玄関をくぐった。


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