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実さん

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夜空の下、夢の向こう

13/01/29 コンテスト(テーマ):第二十四回 時空モノガタリ文学賞【 受験 】 コメント:0件  閲覧数:1875

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 受験を受けることが人生にとってどんな意味があるんだろうと、三夫は考えてしまうことがしばしばあった。本当はそんなことを考えても意味がないとわかっているにもかかわらず、周囲の人間が試験が近づいていくにつれ、「勉強だりぃ」と言っていた不勉強なはずの人間まで熱心に参考書を読んでいる姿を見ると、受験というものがいっそう不思議なものに思えるのだった。センター試験に良いと言われる参考書をそろえるために派遣登録してアルバイトをし始めると、想像していたよりも同じ境遇にいる人たちが多いことに気づく。彼らのうちの殆どは浪人生だったが、同じ道を志す仲間がこの中にもいるということが心強かった。
「もし大学を受験するなら奨学金を使わないとダメよ」
そう言われるほど裕福ではない彼の境遇からすると、たまにテレビで取り上げられる仕送りの多い大学生を見るとうらやましく思う。将来は企業の研究員になろうという夢を持っている三夫にとって、住み込みで新聞社につとめて学費を貯めるという道もあまり良い選択のように思えなかったので、将来働けるようになってから奨学金という借金を返す道を歩むことを決めた。
 将来のための投資と思えばさほど苦しい道ではない。むしろ恵まれているとさえ思う。母が生きていた時代は将来の夢を目指すことよりも現実的に生きていける道を勧めるという風潮が強かったから、母はイラストレーターになりたいという夢を諦めて商業高校に進み介護事務の資格を得、今でも介護士として働き続けている。
「大学に行けるなんてうらやましい。お母さんの時代はそんな時代じゃなかった」
将来の進路の話をする度にしばしば聞くことになった彼女のそんな言葉には、今も捨てきれない未練が残っているようだった。
 まだ三夫が小学生の頃、母が介護をしている老齢の片足の不自由な女性の家に連れていかれた時に、「いつもママには感謝しているのよ」と言われたことを覚えている。三夫にはまだ人間にとって何が幸福であるのかわからなかったが、例え思い通りの仕事につけなかったとしても人から感謝を受ける仕事をしている母をその時は誇らしく思えた。
 たとえ貧乏でも幸せであればという言葉は一部は正しくて、一部は間違っているんだと、三夫は思っている。現に母は人から感謝される素晴らしい仕事をしているにもかかわらず、母は今後もイラストレーターになれなかったことを後悔し続けるだろうし、介護士はそれほど給料も高くない。また家が貧乏であることで将来の道が狭められたと三夫は思っていた。生活の切実さは幼いときから少しずつ将来を蝕んでいくものだった。旅行にもほとんど行けなかったことや、月謝のかかる習い事は出来なかったこと、クラスメイトが海外旅行の思い出やピアノの発表会の思い出を語るとき三夫は肩身が狭くなったものだ。母から堅実に生きることが良いことだと何度も聞かされた教育が、今でも彼の心の中を巣食っている。そんな三夫にとっては一番大きく考えられる夢が企業の研究員なのだった。
 あと3日で受験本番を迎える。三夫は5時間勉強したあとふと息抜きをしたくなって夜に沈む多摩の夜空と街を眺めた。遠くのほうにはもう午後11時にもかかわらず、ブックオフの黄色い看板がライトに照らされているのがわかる。山の麓にたたずむ街並みは地平線上にずっと続き、まだ消えることのない郊外の明るさにほっと胸を撫で下ろす。
「この街にはどれぐらいの人がいるんだろう?どれぐらい人たちが夢や思いを抱いているんだろう?」三夫は思った。「もうすぐ受験本番がはじまる。まずセンター試験だ。こんな凍えるような寒空の下で、まだ僕らは勉強をしなくちゃいけない。大学に行くために。そして何より将来のために」
 空に向かって白い吐息をもらした。ぬるい靄はやがて空気の中に霧散していく。母はどんな気持ちだったんだろうか?専門学校を諦めて就職するとき、そして今の仕事を通して感謝を受けてきた時。三夫にはその気持ちはわからなかった。たぶん、複雑な心境だったのだろう。泣きたいような、微笑みたいような気持ち。言葉では表すことなんてできないような、喜びと悲しみが混濁したような気持ち。そんな気持ちを人はみな抱えながら、この寒い冬の夜空の下で過ごしている。数々の思いが、たくさんの思いが重なり合ってこの綺麗な街並みは出来ていったんだ。数々の人が夢を諦め、そして数々の人が感謝と悲しみを重ねて、まるでこの静かな夜空の微笑みのようにゆらめきながら。


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