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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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味噌汁に焼餅

18/07/13 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:2件 秋 ひのこ 閲覧数:96

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 空港からのびる県道の両側には青々とした田園が広がり、色濃い山々が四方を囲んでいる。
 タクシーの運転手は「ニイミ」と名乗る若い男だった。
「仕事ですか、観光ですか」
 ニイミが鏡越しに朗らかに話しかける。
「いえ、珍しいので。空港からの行き先がN村の食堂というのが。今はグルメの取材とかツアーとかあるでしょう。田舎のただの蕎麦屋まで秘境の隠れ家とか言われたりね。そういう関係かなと思ったので」
 なるほど確かに、と司郎は思う。運転手と会話を始める気分ではないが、ふと尋ねてみた。
「有名なんですか、その店」
「『はぎの屋』? まさか。あ、まさかって言ったら失礼ですね。これまでお客さんから『はぎの屋』連れてけなんて言われたことないですよ。こう言ってはアレですが、N村もその付近も何もないでしょう。ないんですよ。流行りの道の駅とかもないんです。国道沿いにぽつんとある店で、地元の人間しか行かないですよ」
「ニイミさんは行ったことあるんですか」
「私? 月に1回くらいですかねえ」
「結構行ってるじゃないですか」
「安くてうまいんですよ」
 ニイミが日焼けした頬をゆるませた。
「お客さんはどうしてあの店をご存知なんですか?」
 ニイミの気さくな人柄と、青く波打つ田園、少し開けた窓から入る瑞々しい土の匂いに気がゆるみ、気がつけば口を開いていた。
「この前読んだ本のあとがきにね、その店の味噌汁のことが書かれてあったんですよ。沖縄みたいに丼鉢一杯に盛って白飯と出してくれるって。小説そのものには一切触れず、ひたすら味噌汁のことばかり書いてある。具は豆腐や野菜や肉がこれでもかと入ってる。極めつけが餅。焼餅をのせるんですよ」
「へえ、味噌汁に餅! それでお客さんはその味を求めてわざわざこんなところまで。やっぱりグルメな方なんですねえ」
 ニイミが無邪気に笑った。

 その店は、ニイミの言う通り国道沿いにぽつんとあった。周囲は相変わらず農地で、『食事処はぎの屋』という巨大な看板も色褪せ妙に溶け込んで見える。
 そこまで聞いて食べないわけには、とニイミもはりきって車を降りた。
 引き戸を開ける。店を満たす出汁の匂いとワイドショーの音声。それらをゆるくかき回す天井の扇風機。
「いらっしゃい」
 溌剌とした女の声。
 ニイミがこんにちは!と愛想よく片手を挙げ、壁際の四人席に向かう。昼時を過ぎ、客はまばらだ。
 司郎はその場に立ち尽くし、水が載った盆を手にした給仕の女と真っ向から向き合う形となった。
 女の丸顔にちょんと乗る双眸が大きく見開く。
「あれ? 司郎? あらやだ!」
 ニイミがぎょっとする。「え? お知り合いですか?」
「お父さーん、ちょっと! 司郎よ!!」
 厨房からエプロン姿の男が現れる。
 司郎は男を一瞥し、ぼそりと言った。
「ただいま、親父、お袋」

 司郎が東京に行くと決めた時、父は猛反対した。親を裏切る気持ちを深々と胸に刺し込まれ、それでも家を出た。
 皮肉なことに東京では飲食業界に入った。店を渡り歩いて腕を磨き、今では都内の一等地で高級店を複数経営している。
 その間ただの1度も、実家に帰ったことはない。もう、帰る理由を完全に見失っていた。

「この暑いのに」と苦笑しながら、母が味噌汁定食を運んできた。ニイミが歓声を上げる。
「そういえば、あんた夏でもこれよく食べてたっけね」
 湯気で具が霞む味噌汁。焦げた焼餅をぷかりとのせ、箸の先でその膨らんで薄くなった焦げを突いてちょっと汁に沈めてやる。

 あのあとがきを読んだ時、やられた、と思った。
 何度も何度も繰り返し読み、子供の頃から食べてきたあの味噌汁を思い描いては生つばを飲み込む。
 知らない味だからここまで引きずりこまれるのではない。
 知っている味だから、どうしようもなく頭に浮かんでしまう。
 グルメ記事でもなく、小説本文ですらない、単なるあとがき。それを偶然読んだばっかりに。
 もうどうにもこうにも、食べたくて仕方なかった。20年、帰るに帰れなかった司郎を、体の奥底から理屈を越える衝動が突き動かした。

 司郎はうまいうまいと食べるニイミの汗だくの横顔を見つめる。
「おかわりあるからね。お餅も」
 皺は増えたが、20年の不義理をなかったことにするような笑顔で母が言った。
「僕いただきます!」
 ニイミが即座に応じた。
 司郎は黙って汁をすすり、くたっと煮えた茄子を口に含む。自分はこの荒削りで田舎臭い、自分の店では絶対に出さない味噌汁が好きなのだと思い知る。悔しいことに。
 おしぼりを両手で持って顔を覆い隠すように汗を拭く。
 あまりにも長い間そうしているので、ニイミが「大丈夫ですか?」と心配そうな声で覗き込む。その背後で、母が父と「ほら、行きなさいよ」「うるさい」と押し問答していた。


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このストーリーに関するコメント

18/07/14 文月めぐ

拝読いたしました。
味噌汁と家族の温かさにほっこりした気持ちになりました。
味噌汁って家庭ごとに違って、お袋の味、と言えますよね。

18/07/15 秋 ひのこ

文月めぐさま
こんにちは。コメントをありがとうございます!
入れる具もうちでは絶対に使わないような食材を友だちの家では当たり前のように食べていたり……。本当に色々です。
個人的には、最近「具だくさん」にはまっています。だからかもしれません、こんな話を書いたのは(^^;)

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