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しのき美緒さん

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エンディング・ノート或いは終わりの始まり

18/07/12 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:4件 しのき美緒 閲覧数:280

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 「あなた、いったい何をしていらっしゃるの?」
 シルクジャージーの濃紺のワンピースにほっそりとした身を包み、百貨店の紙袋を提げた京子は、ダイニングに一歩踏み込むや、その光景に驚いて声をあげた。
 京子が丁寧にワックスで磨き上げる無垢材のダイニングテーブルの上一面に書類が乱雑に積み重ねられ、ペンやラインマーカーが転がっている。その中で夫の宏が、電卓を手に何やら懸命にノートに書き付けていた。京子は眉を顰めた。テーブルにインクの染みなどがついたら大変だ。
「何をしていらっしゃるの?」
再び尋ねたその口調は勢い厳しくなった。宏は顔を上げて京子をみると、大判のノートを閉じて黙って京子に差し出した。
「エンディングノート?」
京子は頓狂な声を出した。名前くらいは知っている。が、自分たちはまだ50代であり、ようやく子どもたちが巣立ったところなのだ。これから自分たちだけの生活が始まるのでなかったか? 何で死ぬ準備を始めるのだろう。
 怒りと疑問を押しこめて、京子は無理やり笑顔を作った。
「まだ早いんじゃない?」
京子の問いには答えず宏は淡々と続けた。
「証券類と預貯金だけで二千万円くらいはある」
まあすごいわね、と京子は答えた。
「俺が退職したら退職金も二千万くらいは出るな」
まあすごいわね、ともう一度京子は鸚鵡になった気分で答えた。
「ここを売ったら結構いい値段になりそうだ」
家は都心から1時間以内。最寄り駅から徒歩10分以内の好立地だ。京子が選んだ。
「嫌よ、わたしは。この家を売るなんて。マンション暮らしなんてしたくないわ」
宏は京子を見つめていたがおもむろに口を開いた。
「別れてほしい」
「え」
京子は意味がわからずに聞き返した。
「離婚してほしい。子どもたちも賛成してくれている」
「バカなこと言わないでよ」
シアトルで暮らしている長男の忠宏と、東京のベイエリアで暮らしている長女の清美の顔を思い浮かべる。
「だいたい、会ってもいないのに」
疑問がそのまま口をついて出た。
「……忠宏が戻ってきたときにみんなで会った」
みんな? みんなのなかになぜわたしが入らないの? そもそも忠宏が帰ってきたなんて知らない。
「黙っていて済まない。子どもたちがそう望んだんだ」
そんなはずはない。ふたりとも優しくて素直な子だ。娘がおかしな男と付き合ったときも、息子がピアノで食べたいと言ったときも、京子はどれほどその考えが未熟で向こう見ずであるかを説いた。そのアドバイスを受け入れたおかげで娘は人も羨む結婚をし、息子は誰でも名前を知る商社に勤めている。
「忠宏な、会社を辞めたんだよ」
「知らないわよそんなこと」
京子は金切り声をあげた。
「芸大を受験するためにピアノの個人レッスンを受けている」
「……」
「僕ももう一度小説を書こうかと思ってね」
結婚して間もない頃、宏は大手出版社主催の新人賞を獲ったことがあった。小説を書きたいと言った夫に、京子は妻子の口を養うのが夫の務めだ、それができないのであれば小説は諦めてほしい、と迫った。あのとき夫はわかった、と言ったではないか。京子の世界がぐらりと揺れた。
「君へはできる限りのことをしたい」
「清美はなんて言ってるの」
いつも優しい娘は自分の味方をしてくれるに違いない。
「清美も賛成している。清美な、離婚するんだよ。偉いよな、一人で悩んで一人で決めて。子どもを一緒に育てて欲しいって俺と忠宏に頭を下げるんだ」
「なんでよ、あんなにいいお婿さんなのに」
「暴力を振るうんだそうだ。酒を飲むと」
「何で相談してくれないのよ、わたしに相談してくれたら……」
そう言い募る京子を宏は目で制した。
「ふたりとも自分で決めたんだ。君が決める必要はない」
京子の目から涙が溢れ出る。
 京子はエンディングノートをぱらぱらと捲った。数字が無機質に流れていく。
これがわたしが築いてきた三十年なのだろうか。
 遠くで宏の声がする。
「あとがきってさ」
「何のお話?」
「あとがきっていうのはさ、作者が自分の作品について解説をするんだよ」
「はっきり言ってくださらない?」
京子は夫の顔を睨みつけた。
「本編は僕らふたりで書いてきた。あとがきはそれぞれの視点で書いてみようよ」
「よくわからない比喩だわ」
宏は少し笑った。
「君はわかろうとしないから」
そういうと静かにリビングを出ていった。
 京子は椅子にしがみつきながら思う。みんな間違ってる。早くどれほどみんなの考えが間違っていて、選ぼうとしている道が愚かなのか説得しなくちゃ。わたしが言ったとおりにすれば、全てが上手く行くのだから。
「さあ、とびきり美味しいシチューを作らなきゃ。絶対にまだ間に合うわ」
京子はマスカラとアイライナーが溶け出して墨を流したようになっている顔を華やかに綻ばせた。


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このストーリーに関するコメント

18/07/12 村野史枝

徹頭徹尾、自分以外の人間の気持ちを思いやろうとしない。

ある意味ホラーです。

クリスティの『春にして君を離れ』を彷彿とさせます。

18/07/12 しのき美緒

>村野史枝様
こんばんは。早速のコメントありがとうございます。
涼しいのが書きたかったのと、拙作スノウ・ホワイトに続いて
歪んだ母親、自分こそが正義、という思い込みだけで生きている人間を書きたくて、
こういう話になりました。
『春にして君を離れ』を彷彿、などとは恐れ多いことです。
あの作品は、主人公はもっと頭がいいし、もっと家族が優しいですよね。
しのきverは徹頭徹尾頭の悪い中流の奥様で、わたしの好きな信賞必罰?に落とし込みました。

しのき美緒

18/07/12 村野史枝

返信ありがとうございます。

涼しいというより背筋が寒い……とくにラスト一行……。

スノウホワイトも良かったですよ(о^∇^о)。

18/07/12 しのき美緒

村野史枝様
い、いつのまに!(;・∀・)ヘンシーン
最後の一行、ツイッターでもフォロワー様に褒めていただきました。
字数の関係で削ろうかどうしようか迷ったところなのですが、
涼んでいただけてよかったです\(^o^)/

しのき美緒

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