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世忍仮姿(よしの かすが)さん

性別 男性
将来の夢
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朝焼けの海で、君と

18/07/12 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 世忍仮姿(よしの かすが) 閲覧数:69

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「海が見たい」
 カナが祈るようにつぶやいた。
 僕らが座るベンチにオレンジ色の陽射しが差し込んで、カナの真っ白なパジャマを彩っていた。
「どうして海が見たいの?」
 肩まで伸ばしたカナの黒髪が風に揺れる。パッチリと大きな瞳を僕に向けて、カナが微笑んだ。
「私がまだ元気だったころに、家族で行ったんだ。とっても綺麗だった」
 寂しそうに空を見上げたカナが、小さな口から息を吐いた。あどけない目の中に茜色の雲が泳いでいて、僕はつられるように空を見上げる。「このままじゃあもう、行けなくなっちゃうからさ」消えそうな声が、かすかに僕の耳を撫でた。
 カナは僕のひとつ年下、小学六年生だ。年が近いこともあり一週間前に入院した僕はあっという間にカナと仲良くなった。
 盲腸の手術で短期入院している僕は、あと三日もすれば退院だ。けれどカナは名前も聞いたことがない難しい病気にかかっていて、もうすぐ集中治療室に入ってしまうのだという。
 カナの病状がとても難しいものであることを、僕は看護師さんの立ち話で知った。
 病院の最寄駅から海岸に面した駅まで、電車でほんの数駅だった。その距離すら、今のカナには果てしなく遠いのだろう。
「ヒロが連れていってやればいいじゃねぇか」
 隣のベンチで煙草を吸っていたゲンさんが、軽い口調で言った。僕と相部屋で入院している、無精ひげを生やしたおじさんである。
「僕がカナを海に連れて行く? 怒られますよ」
 カナが慌てて口を開く。
「ゲンさん、私そんなつもりでヒロ君に話をしたわけじゃ……」
「お前さんは、今ぐらいわがままになってもいいんじゃねぇの?」
 煙草を携帯灰皿に押し込むと、ゲンさんは僕らに手を振って立ち上がった。
 僕が、カナを海に――。
「日が暮れちゃうね。私たちも戻ろう」
 カナに促され、僕たちはそれぞれの病室に戻った。
 彼女を海に連れていく。当然、そんなことをすれば両親やほかの大人たちに叱られるだろう。だけどカナが見たいと望むのなら、僕は彼女に海を見せてあげたかった。
 まるで秒針に背中を押されるように、時間が経つほど気持ちは急き立てられていく。
 そして夜が明ける頃には、僕の考えはすっかり決まっていた。

「今日の夜、病院を抜け出して海に行こう」
 翌朝、カナの病室を訪ねてそう告げると彼女は目を丸くした。
「えっ、いきなり何を言い出すの?」
「カナを海に連れていくって決めたんだ」
 驚くカナに、僕は昨晩考えた海への道のりを語った。
 僕のお小遣いで、カナと僕が海辺の駅まで往復する電車代は足りる。決行は消灯時間のあと。非常用階段からこっそり外に出て、駅に向かい電車に乗る。
「消灯時間は夜の九時。電車は十二時過ぎまで動いているんだから、簡単だよ」
 僕の話を聞いているうちに、カナの頬がほころんでいく。小さく頷くと「ヒロ君、ありがとう」と嬉しそうな声で言った。
「パジャマじゃ目立っちゃうよね。カナ、着替えはある?」
「ううん、私ずっと入院しっぱなしだから……」
「じゃあ僕の着替えの予備を使って」
 コンコンとドアをノックする音で、僕は椅子から飛び上がりかけた。看護師さんが検温ですと告げ病室に入ってくる。僕はなんとなく居心地が悪くなり、口だけ「夜に」と動かして、自分の部屋に戻った。
 消灯時間まで落ち着かない時間を過ごす。そして夜、看護師さんが僕の病室を確認しに来たのをやり過ごし、そっと身を起こして静かに布団を抜け出した。
「おい、ヒロ」
 ドアに手をかけた時、後ろからゲンさんの声がして息をのんだ。
 シャッとカーテンを開けたゲンさんが、僕に向かって水筒のようなものを投げる。
「持っていきな」
 渡されたものは懐中電灯だった。ゲンさんに固い笑みを浮かべると病室を出て、ナースセンターを避けてカナの部屋に向かう。
 音をたてないようにそっとカナの病室のドアを開くと、僕の着替えに身を包んだカナがベッドのうえに身を起こしていた。
「ヒロ君、ほんとに来てくれたんだね」
 華奢な身体に不似合いな男物の白いTシャツと紺のハーフパンツを身に着けたカナ。その小さな手を引いて、僕は非常階段まで足を忍ばせて歩いた。
「こっち」
 音がしないように慎重に非常ドアの扉を開きカナを先に通す。そっと扉を閉めて、二人で金属の階段を音をたてないように降っていった。
 非常階段を出ると夜の世界が広がっていた。真っ暗な細い道に、わずかな街灯がポツポツとたよりなくたたずんでいる。
「ついてきて」
「すごい、ドキドキするね」
 懐中電灯を手に、夜道を早足に進む。警察や怖い人に会いませんようにと願いながら、春の生温い夜のなかを歩いた。少しすると、カナが小さなうめき声をあげてしゃがみこんだ。
「カナ!? 大丈夫?」
「ちょっと、めまいが……」
 カナの病気は本当にひどいのだろう。僕は束の間まよった。
 このまま海を目指すべきか、今からでも引き返すべきか――。カナが僕の顔をじっと見つめて頷いた。その目には、諦めるという気持ちは少しも見当たらない。
「背中に乗って。おぶってあげるよ」
「ヒロ君、ごめんね。ありがとう」
 照れくさそうにしながら、カナは僕の背中に身を預けた。
 立ち上がる。想像していたよりずっと軽いカナの身体を背負い、再び歩き出した。
 盲腸の手術跡がチクチク痛む気がしたけれど、気にしなかった。汗を流しながら、僕はひたすら足を前に運ぶ。
 駅の光が暗闇に浮かび上がるように見えた。
 カナの手を取って駅に入る。券売機で切符を二枚買い、駅員さんの目を気にしながら早足で改札を越えて一番線のホームで電車を待った。
 すぐにホームに電車が滑り込んできた。
「良かった、ガラガラだ」
 空いた長椅子にカナと一緒に腰をおろす。すぐに電車は発車のベルをならし動きだした。電車の明かりのなか、向かい側の窓が色褪せた鏡のように僕たちを映し出す。
 真っ白い蛍光灯の光はカナの顔色を必要以上に悪く照らし、そのたびに僕は不安になってカナの横顔を眺めた。
「家族以外と海に行くのは初めて。緊張しちゃうな」
「無事に連れ出せて良かったよ。あとで叱られちゃうかもだけどね」
「その時は、私も一緒に叱られる」
 僕とカナは顔を合わせて笑いあった。
 電車が目的の駅に着くと、僕たちはホームに降り改札を出る。
 カナは波の音に耳をすまし、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで嬉しそうだった。
 浜辺に出るとすぐそばに小屋を見つけた。夏は海小屋にでもなるのだろうか、戸は開けっ放しで奥にベンチも見える。僕たちはここで夜が明けるのを待つことにした。
「修学旅行の夜みたい。こういうの憧れてたんだ」
 声を弾ませたカナをベンチに寝かせ、彼女のそばに腰かける。スマホを見ると十時を過ぎていたけど、夜明けまではまだ時間があった。
 心地良い達成感とともに張りつめていた緊張が解け、疲れと眠気が訪れる。僕は波の音に揺られるように、微睡の中にゆっくりと落ちていった。

 目を覚ますと、小屋にわずかな明かりが差し込んでいた。
 隣にカナの姿がない。僕は慌てて外に出た。水平線から弓なりの朝日が昇っている。その日差しを受けて、華奢な影が浜辺を舞っていた。
「カナ!」
「ヒロ君、海だよ! 本当に海に来れた。ありがとう!」
 裸足で海水につかり両手を広げ、カナが笑う。
 まだ眠っている世界でカナの時間だけが自由になった光景。
 輝く朝日と水面を背にしたカナの笑顔は何よりも眩しくて。

 どれくらいの時間を二人で過ごしていただろう。
 不意に、僕たちの背後でクラクションが鳴った。振り返ると、すぐそばの駐車場に白いワンボックスカーが止まっていた。
「お父さん、お母さん……」
 現れた人たちを見て、カナが声をもらした。緊張で身を固くしたけれど、カナのお父さんは僕の頭を撫でてくれた。
「カナを海に連れて行くべきか、ずっと迷っていたんだ。あの子の笑顔を見て連れていくべきだったと確信したよ。ありがとう」
 カナの両親の車に乗せられて病院に戻り、看護師さんたちにお説教をくらって僕たちの冒険は幕をおろした。
 カナは翌日から集中治療室に入ってしまい、家族以外は面会も出来なくなった。仕方なく僕は窓越しに手を振ったりしたけれど、手を振り返すカナの笑顔を弱々しい。
 退院した翌日、学校を終えて病院へ足を運ぶと治療室からカナの姿は消えていた。看護師さんが言うには、カナは彼女の病気を専門に扱う病院に移ったらしい。
「よう、ヒロ」
 帰り際、いつもカナと過ごしていたベンチでゲンさんに会った。
「お嬢ちゃんからだ。お前にってな」
 そういって、一枚の手紙を僕に差し出す。
「お前はやるべきことをやったんだろ? あの子に望んだ景色を見せてやったんだ。いつまでもそんな顔してんじゃねぇよ」
 緊張で震える手で、手紙を開いた。そこには震える文字たちが記されていた。苦しい中で、カナが一生懸命に書いてくれたのだろう。

『大好きなヒロ君へ。
 ヒロ君。私を連れ出してくれて本当にありがとう。
 海を目指して歩いたこと、ヒロ君がおぶってくれたこと。朝日のなかで海辺を歩けたこと。全部全部、私の宝物。大切な思い出。もしもまた海に行ける時が来たら、またヒロ君と二人で海辺を歩きたい。私、がんばって病気を治すから。その時まで、待っててね』

 頬をつたう涙をぬぐう。こんな顔、カナには見せられない。
 空を見上げた。海が見たいとカナがつぶやいた時と同じ、オレンジに染まる空。大丈夫、僕たちはまた二人で海を歩けるはず。
 手紙をそっと握りしめ、目を閉じる。
 海を背に笑うカナの姿が、今もまぶたの裏に焼き付いていた。


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