1. トップページ
  2. 馬鹿と煙は高いところへ上る

佐々々木さん

性別 男性
将来の夢 何も決まってません。
座右の銘 Whats the worst that can happen?

投稿済みの作品

1

馬鹿と煙は高いところへ上る

18/07/11 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 佐々々木 閲覧数:113

この作品を評価する

「働くのってしんどいな」
 高校からの友人は、煙草の煙を吐き出しながらそう零した。顔をしかめて軽い調子で続く。
「こんなに仕事が辛いもんだとは思わなかった。大学時代に戻りたいよ」
 この春就職した彼とは違い、大学院へと進んだ僕はその気持ちがまだわからない。そんなことを言われても相槌を打つくらいしかできないんだけど、と内心困りながら、しばし間を置き、「そうなんだ」とだけ返した。
 飲み会帰り、数か月ぶりにこの街へとやって来た彼はホテルへ向かうためタクシーを呼んでいた。その待ち時間に付き合わされ、僕と彼は店の前で煙草を吸っている。
 夏の盛り、昼も夜も関係なく茹だるような熱気に包まれているこの街だが、今日に限っては涼やかな気温で、微かに頬を撫でていく風が心地良かった。しかし、日を跨ぐ時間にもなるとそれは肌寒さへと打って変わり、半袖は失敗した、と後悔する。
「いや、仕事が辛いっていうか、上司と……まあ、合わなくてな」
「上司がね」
 濁された言葉を察しながら、心の中で驚く。僕の知る彼は昔から思っていることがそのまま口から出てくるような性格で、身もふたもなく言えば口が悪かった。そんな彼が、遠回しに愚痴を零している。どうしたのだろう、と疑問が湧いた。
「どんな上司なの?」
「あいつはヤバい、くそみたいな上司の権化だ。声も聴きたくない」
 具体的な説明が何一つない、と思いつつもこの口汚さはいつもの彼だと安心する。
「大変だね」
「ほんとだよ。一刻も早く異動してくれって毎日神様に祈ってる」彼は首を振りながら大げさに嘆いた。
「転職でもすれば?」
 半ば冗談で笑いながら問いかける。まだ彼が就職して半年も経っていない。さすがに転職はないだろうな、となんとなく思う。
「いや、まだ就職して半年も経ってないんだから」彼は明後日の方向を向きながら半笑いで答えた。「さすがに転職はないだろ」
 僕の内心をなぞったような言葉に特に返す言葉もなく「だよね」と肩をすくめる。
 そこで会話は途切れ、妙な沈黙が訪れた。その空気を誤魔化す様に二人揃って煙草を口にし、小さく息を吸う。酔った頭に染み込む煙が心地よくも、少しだけ舌に苦味を感じた。
 彼は虚空を眺めながら黙り込んでいる。思い返すと、随分ぼうっとする時間が多かった。今日飲んでいる最中も、ふとした瞬間に何を見るでもなく放心していた。そんな疲れ切った彼の姿を見てさすがに心配になってくる。
「かなり疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
「ああ」彼は指先で目頭を揉んだ。「ここのところ寝不足でな」
 よくよく彼の目元を見ると、確かにくまがあるようだった。何かで巧く隠しているようだが、注視すればわずかに不自然さが残っている。
 そういえば大学でレポートが出た時や試験前は毎回徹夜をして眠そうにしていたな、と思い返しほっとした。簡単に睡眠時間を削る癖が彼にはあった。
「仕事のストレスなんじゃないの?」先程の会話の流れを汲んでからかうように言う。
「ストレスだよ、ストレス。俺はストレスに殺される」おちゃらけた口調で彼は言った。「現代社会における唯一の人間に対する天敵だ」
 唯一は言い過ぎだろうと、他の例を探そうとするもこれといって思いつかない。
「孤独は、孤独」なんとなく違うと感じながらも、仕方なく浮かんだものを口にする。「孤独死とか言うよ」
 ふむ、と彼は呟き、考え込むような真面目腐った顔で顎に手を当てた。
「確かに孤独も天敵だな」頷きながら彼は言う。
「天敵なんだ」
「ストレスと、寂しさで、人間は、死ぬ」
 仰々しい言い方に噴き出しつつ、小動物か、と突っ込み二人で肩を揺らす。
「そういえば、大学院はどうなんだ?」
 しばし笑い合った後、彼は話題を変えた。
「どうって」何が訊きたいのかわからず問い返す。
「忙しいのか?」
 忙しいのか、と問われたら、まあ忙しい、と言える。しかしそれは学部生と比べたらそう言えるという程度で、おそらく彼が求めているものからは少しずれているのだろう。
「ぼちぼち、かな」
「かなって」
「君と比べたら大したことないってことだよ」
 彼は「そうか」とだけ返し、煙を吐き出した。何を見るでもない様子で宙を見つめている。
「俺も大学院に行けば良かったかな」
 彼がぽつりと零す。一瞬、彼から全てが抜け落ちた気がした。
 瞬くと、ただぼんやりとしただけのなんて事はない彼の姿が眼に映る。空目だろうか、と彼を凝視するが先程幻視した姿は見当たらない。
 まるで悟りを開いた僧のような無色の表情、しかしそれというには影があり、モノクロの絵にすら見えたあれは何だったのだろう。ぞわぞわとしたものが胸の底を這っている。蠢くそれを追いやりたくて、返す言葉を探す。ただ僕は空気を変えたかった。
「無理だよ」
「なんで」彼が眉をひそめながら唇を尖らせた。
「君はね」あっけらかんと言い放つ。「馬鹿だから」
 彼は眼を見開き「おお」と唸った。「そこまではっきり言われると清々しいな」
「だろ」震えそうになる喉を抑えながら、淡々と舌を動かす。「光栄に思ってくれ」
「なんでだよ」
「馬鹿と天才は紙一重っていうだろ」
「ああ」
「つまり君はニアリーイコールで天才と言える」
「なるほどな」と頷きながら彼は眼を細め頬を上げた。嬉しそうな顔をしているように見える。
「君さ」呆れた風を装って肩をすくめた。「馬鹿と煙は高いところへ上るっていう諺知ってる?」
「知ってるよ」彼は手を叩いて喉を鳴らした。「おだてられたな」
 彼は唇の端を歪め、肩を震わせている。笑っている姿のはずなのに、何故かそうは思えなかった。彼の口から発せられる音がやけに空々しく鼓膜を打つ。
 黒いものが胸の中で大きくなっていく。これはなんだろう。不安だろうか。焦燥だろうか。それとも、全く別の何かか。良くわからない感情に鼓動が早まる。
 一旦落ち着こうと、すっかり短くなった煙草をスタンド灰皿に押し付け、同じものを取り出し口に運ぶ。火をつけようと先端にライターを寄せてホイールを回すが、火花が散るだけだった。
「ごめん、ライター貸してくれない?」
 僕の言葉に彼は「ああ」と答え、考え込むように固まった。が、それはほんの微かな間のことで、すぐにライターを持った手を伸ばしてきた。受け取り、火をつけ、煙草に近付ける。深く息を吸い込むと、煙が喉を通り肺へと至った。煙でこの黒いものが薄まらないだろうかとそんなことを考える。
「ありがとう」彼にライターを返そうと差し出す。
「いや、いい」しかし彼はそれを拒んだ。「やるよ」
 え、と僕は戸惑いの声を漏らす。このライターはブランド物で、確かそこそこ良い値段がしたはずだ。煙草を吸い始めて少ししてから買ったこれを彼はずっと愛用していた。
「新しいのを買ったんだ。だから、やる」平淡な音が耳に届く。
 ああ、モノクロだ。
 こちらを向きながらも焦点が合わない目で話す彼にそう思った。煙草から昇る煙越しに見える彼は霞み、消えてしまいそうだ。
 こわい。
 彼が何を考えているのかわからないことがこわい。
 彼は何も言っていない。言葉通りに受け取ればいいはずだ。胸を蠢いているこれを無視して、笑って受け取ればいい。言葉の裏に濁されているものなんかない。
 そうなんだ、と僕は音を絞り出し、自分に言い聞かせるように伸ばした手を戻す。
 その時、真正面の車道脇に車が停まった。タクシーだ。
「来たか」彼はそう言って歩き出す。彼の背中がとても小さく見えた。
「いくのか」どこにいくんだ、と訊きたい。ホテルに決まってるだろ、と笑いながら答える彼が浮かぶ。
「ああ。一緒に待ってもらって悪かったな」振り向きながら彼が言う。彼の顔はいやに白かった。
「いいよ、どうせ暇だし」だから、もし悩みがあるなら聞かせてほしい。煙草の値段が上がったことだよなあ、と心底困り果てた彼の声が耳を抜ける。
「じゃあな」タクシーのドアが開く。それの色は黒だった。
 本当に行かせていいのだろうか。わからない。全部僕の思い違いかもしれない。ただ単純に疲れているだけという可能性もある。気にしすぎだと言われればそれまでだろう。言い訳はいくらでも思いつく。
 わからないことがこわい。
 知ることがこわい。
 彼がタクシーに乗り込む直前、なあ、と声を発する。彼はドアに手を添えながら、首だけで振り向いた。
 かける言葉は何も考えておらず、ただ唇だけがぱくぱくと動き、舌が乾いていく。口ごもった僕の言葉を彼は黙って待っている。
「ライター」やっと出した声は震えていた。「ありがとう」
 それを聞いた彼は何も言わずに笑った。その笑顔に僕は懐かしさを感じる。
 そのまま彼はタクシーに乗り込み、窓越しに軽く手を上げ、僕の目の前からあっけなく去っていった。
 僕はその場で立ち尽くし、天を仰いだ。ぼんやりとした頭で考える。
 また、会えるだろうか。
 手に持った煙草の火種は途中で燃え尽きていた。吸い直そうと煙草を口に咥え、もらったライターで火をつける。煙を吸い込むと、乾ききった口内に沁み、咳き込んでしまった。
 吐き出した白煙は少しずつ霞みながら闇へ溶けていった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン