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早川さん

大学院生です。

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彼の死んだ世界

18/07/10 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 早川 閲覧数:75

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 夕暮れの中を彼と歩いていた。電柱や家々の窓がある。やけに街灯の明かりは明るい。
 二人で酒を飲んだ帰りだった。
「俺の家泊って行けよ。明日は休みだろ?」
 大学生の彼はそう言って、僕らは彼の住むマンションに向かった。すごく見た目が立派なマンションだった。とても一人暮らしの若者が住むようなところじゃない。
「ずいぶん立派なところだな」
「だろ? うちの親は医者だから。金持ちなんだよ。本当は俺も勉強ができれば医学部に行くはずだった」
「医学部に?」
「そう。医学部に」
 彼はマンションのエントランスで鍵を開けた。僕らは中に入っていく。
 部屋の中はずいぶん綺麗でソファとかベッドとかテーブルとか必要なものは全て揃っていた。
「ずいぶんいい部屋だな」と僕は言った。
「だろ? 一生懸命集めたんだ」
 彼は冷蔵庫を開けて、酒の缶を取り出す。
「お前も飲むか?」
「うん」
 二人でソファに座りながら酒をまた飲んだ。酒に強い僕も彼もいくら飲んでも平気だった。
「この間、彼女をこの部屋に呼んだんだ。そうしたら一緒に住まないかって?」
「お前は何て返事したんだよ?」
「別にいいけどって。でも正直一緒に住む気はなかった。どこか一緒に住むことに抵抗があるんだよな。彼女のことは好きだし、大事に思っているんだ。でも今の距離感のままでいたいというか」
 彼はそう言って酒を飲み干した。
 その日が彼との最後の夜だった。彼は次の日、マンションの最上階から飛び降りて死んだ。
 警察なんかが来て僕は様々なことを聞かれた。その度に僕はあらゆることを知らないと答えた。
 大学へ行くと、彼と付き合っていた彼女が僕に話しかけてきた。
「どうして止めてくれなかったのよ」
 彼女は泣きながらそう言った。
「俺にはどうすることもできなかった。本当に理由がわからないんだ」
「私だって理由がわからないわ。自殺する前の日まで普通に会話していたのよ」
「ねえ、僕らは彼が死んだ理由について考えているんだ。それで、たぶんだけど理由は僕達にはずっとわからないんじゃないじゃないかな?」
「どうしてそんなこと言えるのよ?」
 彼女は感情的になって泣いた。涙は無限に彼女の瞳から零れ落ちてくるようだった。僕はただそんな様子を眺めていた。
「そういえば最後の夜、君と同棲することについて彼が話していた」と僕は言った。
「ああ、それね。私は断られたわ。ずいぶん長い間一緒にいたのにね」
 彼女は悲し気にそう言った。
 僕らはレストランに大学の講義が終わると行った。
「自殺前の彼のことについて教えてよ」
「俺にも理由はわからないんだ。彼は楽しそうに話していた」
「どんな話をしたの?」
「君との同棲を断ったって話を最後にしていた」
「私のことを気にしていたのね」
 彼女はそう言って、テーブルの上の赤ワインを飲み、ステーキを口に運んだ。僕も同じように食事をした。
 帰り道、彼女と彼と一緒に歩いたように一緒に帰った。
「よかったら、私の家に来る?」
 僕はなんだか不吉な気がした。だって彼ともこうやってこの前過ごしたからだ。
 僕らは深夜に彼女の家に向かった。綺麗な月が瞬いていた。
 僕は彼女が早く歩く後ろを付いていった。
 彼女の家までつくと、そこは普通のアパートだった。僕はなんだか安心した。
 部屋に入り、僕は靴を脱ぐ。彼女は部屋の明かりをつけた。
 部屋の中には死んだ彼がいた。
「どうしてお前が?」
 僕はそう言った。彼女はびっくりして唖然としているだけだった。
「どうやら幽霊にでもなったらしい」
 彼はそう言って、髪を触った。なんだか気まずそうだった。
「とりあえず酒でも飲もうぜ」
 彼はそう言って、冷蔵庫を開ける。彼女は唖然としたまま、何も言わなかった。
「お前はいったい?」
 僕はそう言った。彼は彼女の冷蔵庫からビールを取り出して僕に手渡した。一瞬触れた彼の手は冷たかった。
「さて、何から話そうかな」
 彼はそう言ってソファに座った。
「どうしてあなたは死んだのよ?」
 彼女は激しく泣きながら彼に問い詰めた。
「なんでだろうね。俺にもよくわからない」
 彼はビールを飲みながらそう言った。ソファに座りながら、テレビをつけた。テレビでは深夜のニュースがやっていた。
「とりあえずお前が死んだ理由を知りたいんだ。なんで死んだお前がここに幽霊となって現れたのかは置いておいて」
「だから、理由なんかないんだって」
 彼はけらけらと笑った。彼の特徴的な笑い方だった。
「どうして私を置いて死んだのよ。私はあなたと結婚することも考えていたのに」
「なんだか悪かったな」
 彼はなんだか少し悪い事でもしたように髪を触りながら、そう言った。
「お前は自分の命について重く考えたことはあるのか? まるでゲームみたいに死んだな」
 僕はそう言った。
「本当にゲームみたいだったよ。もともと俺はどこか他人とは違うんだ。だから正直死ぬことに抵抗がなかった」
「少しは私のことも考えてよ」と彼女は言った。
 彼はなんだか気まずそうにしていた。そして口を開いた。
「お前のことを愛していたよ。本当に好きだったしね。それでもどうやら俺はこの世界で生きるには辛すぎたようだ」
 彼はやけに真面目になってそう言った。
「何が辛かったの? 私じゃ救えなかったの?」
「元々そういう運命なんだよ。俺は死ぬべき人間なんだ。ああ、なんだか幸福な人生だったと思う。今思い起こせば、生の重圧から解放された今となっては」
「私はあなたが若くして死んでしまったのが、惜しくてたまらないのよ。私個人の問題じゃないわ。ただあなたのような人が簡単に死んでしまったのが惜しいの」
「もったいないってこと?」
 彼は彼女にやけに真剣な目で尋ねた。僕はただそんな二人の様子を眺めていた。深夜の部屋の中、僕らの声だけしかしなかった。
「そう。あなたが死んだのは凄くもったいない」
 彼女は涙交じりにそう言った。
「もったいないか」
 彼は何度も反芻するようにその言葉を小さくつぶやいた。
「まさか、そんな風に思ってくれる人がいたなんてな。俺はそんな言葉全てが嘘に聞こえたんだよ。正直、生きている時は誰のことも信じることができなかった。お前のこともな」
「俺のことも?」
 僕はそう言った。何より今のこの状況にすらついていくことができない。どうして人間が幽霊になって現れるのか、そんな事実を受け入れることもできなかった。
「なんで俺を疑うんだよ? 俺はお前に対して誠実に向き合ってきたはずだ」
 僕は自分でも何を言えばいいかわからずそう言った。
「俺には他人の善意も優しさも信じることができなかった」
「俺にだって優しさはあるよ」
 僕はそう言った。
「それを上手くつかうことはできないかもしれない。それでも優しさも善意もちゃんとお前みたいに持っている」
 僕はそうつぶやいた。
「死んでから他人の優しさに気付くなんてな。死んだ身なんだ。好きなことを言わせてくれよ。お前らのことが大切だったんだよ。なんだかんだあってもな」
「何よ? なんだかんだって?」
 彼女は悲し気に涙を拭きながらそう言った。
「じゃあそろそろ俺は行くよ。この先に何が待っているんだろう?」
 彼は風に舞うように部屋から消えた。後には何も残らなかった。
「ねえ、今の本当に彼なの?」
 彼女は戸惑って僕に問い詰めた。
「たぶん」
 僕はそう言った。
 それから二度と彼は僕らの前に姿を現さなかった。不思議な彼の幽霊は僕らに何かを残し去っていった。彼女と僕はそれ以来時折彼との思い出について話し合った。
「ねえ、なんで彼は死んだの?」 
 彼女はしばらくしてからも僕にそう聞いた。
「だから僕達にはきっとわからないんだよ」
「それって悲しくない? 私、彼の幽霊が言っていたことを今でも思い出すの」
「僕だって思い出すよ」
「その度に彼の言った言葉を反芻するのよ」
 彼女の目には涙が浮かんでいた。


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