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あとがきがない

18/07/08 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 あらしお 閲覧数:85

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「おい待てよお前」
「おい、待てよお前」
「矢部くん振り返って、なんだよ」
「なんだよ」
「それで井川、お前さ・・・」
「お前さあ」
 そして鈴原さんは止まった。正確に言えば右手で唇を触りながら左足は貧乏ゆすりのように小刻みに動いているが、それまで激しく稽古場を動き回り大声を上げていた様子からすれば、鈴原さんは止まった。
 鈴原さんが次の台詞を発するのを待つ間、矢部くんと井川くんは先ほどまでの芝居の流れを確認し始めた。他の役者も各々台詞を呟いたり、実際に動いてみたりしている。
「宮田くん、さっきの私の台詞なんだったっけ?」
 顔を上げると、長い髪を後ろに一つでくくったTシャツ姿の伊藤さんが立っていた。グレーのTシャツは首元が汗で濃くなっている。
「ちょっと待ってください」
 俺は慌てて、自分の殴り書きの大学ノートをめくっていった。ハルコの文字を探す。
「あった。えっと『あんた私のことあんたって言うけど、私もあんたのことあんたって言わないようにするから、私のこともあんたって言うのやめてくれない?あんた』」
 俺がたどたどしくハルコの台詞を読むと、伊藤さんは隣で復唱しながら俺のノートを覗き込んだ。
「あんたのノート汚いね」
 伊藤さんが無意識に「あんた」と言ったことに妙にくすぐったいような気持ちになった。
「とりあえず自分が読めればいいかなって」
「台本は綺麗に書いてよね」
 鈴原さんが稽古場で作り上げていく物語を台本の形にまとめ上げるのが俺の仕事だ。自らも動きながら台詞を発し、役者に動きを指示する自由奔放な鈴原さんの一挙手一投足をノートに書き留めていく。見逃さないように常に神経を研ぎ澄ましているから、鈴原さんの動きが止まったときだけは一息つける。
 伊藤さんが俺のいる机を離れると入れ替わりで鈴原さんがやって来た。無意識に背筋が伸びる。
「さっき伊藤に言ってた台詞見せてくれ」
 書き殴りの汚い字でハルコと書かれた箇所を指で示しながら、再び台詞を読んだ。
 鈴原さんはうんうんと頷きながら俺に背を向け、稽古場の中心に歩いて行った。役者たちが静かになっていく。矢部くんと井川くんは数分前の状況を再現した。
 矢部くんと井川くんとの間に立った鈴原さんはまたしばらく止まっていた。どんな言葉が繰り出されるのか、みんな息を飲んで待っていた。
 突然、ぱっと顔を上げた鈴原さんは井川くんの方を向いた。
「さっきの台詞、お前さあ」
「お前さあ」
 井川くんが同じ台詞を復唱する。鈴原さんは次に矢部くんの方を向いた。
「じゃあ矢部くん、井川の台詞を遮って」
 鈴原さんは意気揚々と叫んだ。
「お前、俺のことお前って言うけど、俺もお前のことお前って言わないようにするから、俺のこともお前っていうのやめろよ、お前」


 すべてを書き起こし終えた時、外は明るくなり始めていた。稽古場を出たその足で行ったバイトが0時に終ってから家に帰って台本を作り始めた。
 稽古場での様子を思い出して吹き出しながら、大学ノートに書き殴られた台詞を綺麗な原稿用紙に書き起こす。「お前」とか「あんた」とかどこかで聞いたことのあるようなややこしい台詞に何度も書き間違えて、原稿用紙を何枚も無駄にした。時間も労力もかかるがこの作業は楽しい。鈴原さんの考えた物語が、伊藤さんたち役者によって芝居という形になっていく。その台本を作れることは俺にとって誇りだった。
 書き終えた台本を丁寧に鞄にしまってひと眠りした。目が覚めたら11時だった。大学の2コマの授業が始まっている。また寝過ごしてしまった。
 授業は諦めていつもより早めに稽古場に入った。まだ誰もいないだろうと思いつつドアを開けると伊藤さんが居た。稽古着にはまだ着替えていなくてベージュのワンピースを着ていた。一瞬裸かと思った自分をぶん殴りたくなった。
「あれ、宮田くん?今日は早いね」
 授業を寝過ごしてさぼったことは伏せて適当な嘘をついた。伊藤さんは特に疑う様子もなく俺の話を聞いていた。
「そういえば、台本出来た?」
 出来たと言うと、伊藤さんは子供のように無邪気な笑顔で「見せて」と駆け寄ってきた。
「伊藤さん、近いっす」
「あ、ごめんごめん」
 伊藤さんは俺から少し離れたが、なお無邪気な笑顔で俺を見ている。
 なんとなく恥ずかしくなった俺は伊藤さんに背を向けて鞄を降ろし、丁寧に台本を取り出した。
「やったー、いっちばん」
 台本を受け取った伊藤さんはやはり子供のように飛び跳ねながらパイプ椅子に腰かけ、台本をめくった。
 しばらくすると伊藤さんの「あれ?」という声が背中に聞こえて、俺は振り返った。
「どうしました?」
「これ・・・」
 伊藤さんは少し困惑したような表情で俺に開いた台本を見せた。
 それを覗き込んではっとした。
「あっ、ト書きがない」


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