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糸白澪子さん

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性別 女性
将来の夢
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恋と花束

18/07/03 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 糸白澪子 閲覧数:133

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 もはや楽園か?
 他校からいらした講師さんからはよくそう言われる。ここは100年以上の歴史をもつ4年制大学。白を基調とした西洋建築風の校舎が立ち並ぶ象牙の塔。付属博物館でもある時計台なんて、本当に映画に出てきても何ら違和感のない外観をしている。今の季節、紫陽花が景色に映える。
 そのキャンパスの一画、竹林の横の校舎へ、私は小走りで入る。金曜2限の教室はここの3階。階段を駆け上がろう……か迷ったが、しんどいから、やめる。エレベーター、使おう。既に10分くらい遅刻しているから本当は走ったほうがいいんだろうけれど、変なところで諦めがついてしまった。先生、怒ってないかな。呆れてるかな。ちょこっとだけ気にかけながらエレベーターに乗り込み、そのまま3階へ。
 そおっと、音が鳴らないように教室の扉を開ける。他の講義ならまだしも、ゼミの時間の遅刻常習犯は少ない。そのお陰か、私は一部の女子から少しばかり反感をかっている。いや、反感の理由はそれだけではないのだろうけれど。コソコソとみんなの後ろを通り抜け、いつも通り友達の横に座る。
そんな私を見て、友達は
「おはよう」
と小声で挨拶をしてきた。
「おはよう。ねぇ、今日の先生、機嫌悪そう?」
挨拶を返しつつ、私は彼女の耳元で先生のご気分を確認する。
「そんな風にはみえないけど、なんで?」
「だってあたし、今日の空きコマの3限、先生と面談することになってて」
 我が(あるかないかの)名誉のために注釈をつけよう。この面談は決して“遅刻しすぎて単位が危ないから”ではない。来年、4年生の冬に提出の卒論についての面談である。
「別にぃ? あたしからしたら、先生が不機嫌そうには見えないけど」
「そうか。それならOK」
 当の先生はというと、教卓に座ったまま頭を抱えつつハンス・ペーター・リヒターの作品と時代背景について滔々と解説している。常々、何考えてんのかよく分からない人だ。しかし、三十路そこそこで有名私大の助教授に就任するという天才でありながら、人当たりがよく、腰が低く、さらには誰に対しても紳士的であるが故、彼には数多くの隠れファンがいる。
「ねぇ三谷。三谷が今日、先生と面談するんならさ、何聞かれたか、あとで教えてよ」
彼女は、にやり、と笑いながら耳打ちしてきた。
「いいけど、でも、たぶん参考になんないよ」
「どうして」
「どうせあたしが先生としゃべる内容なんて、芸術について、だろうし」
「いいじゃん。先生の研究の守備範囲のど真ん中。だからあんたは先生から好かれるんだろうね、ミタニさんよぉ」
「好かれてねぇよ。しかも先生の研究は芸術学じゃなくて……」
「近代哲学」
「わかってんならそんな言い方しないでよ」
「でも先生、学部の頃は美学芸術学が専攻だったって、あ」
 彼女は何かに勘づいて斜め前の席に視線を送る。私もつられてそっちを見やると、ファンクラブのno.3がこちらを睨んでいた。はい、失礼しました、静かにします。私と友達は姿勢を正して授業に真剣に聞き入っている態度をとることにした。

 授業が終わり、友達と適当に昼飯を食べ、私は教授の個人研究室へと向かった。研究室の扉を3回ノックしてから、そっと開ける。
「失礼します」
ごにょごにょ言いつつ、部屋の中を覗き込む。部屋の奥にいた先生は
「ああ、どうぞ、そこにかけてください」
と、机のそばの空いた椅子を指しながら私に微笑みかけた。
「ありがとうございます」
 壁を埋め尽くすように書籍が並んでいる。文庫は文庫たちの中へ、ハードカバーはハードカバーたちと一緒に、画集(そう、一際目立っていたのは厚く大きな画集たち)は画集たちと並んで、本棚がそろえられていた。そして部屋の空気を循環させるかのように、聞いたことのないピアノのクラシックが流れている。
「三谷さん、お茶にしますか? コーヒーにしますか?」
 お茶がいただけると思ってはいなかった。
「じゃあ、お茶で」
座りながら、私は答えた。先生は本棚の空いたスペースに手を伸ばす。こちらからは見えなかったがそこには真空パックがいくつか積み重ねられており、どうやらその一つ一つに茶葉が入れてあるようだ。先生は静かに笑って、こくん、と頷く。ちいさなケトルに水を入れ、
「ホットしか用意できないのですが」
と先生は詫びる。
「大丈夫です。ありがとうございます」
現に、ここは少し冷房が効きすぎている。
 先生はケトルのスイッチを入れ、ガラスのティーポットに茶葉を注いでから私の前に座った。
「では、お湯が沸くまで面談といたしましょうか」
なるほど、そういった形式でございましたか。先生は、にっこり、微笑んだ。

 授業進度から卒論のテーマから卒業後の進路から、それはそれはもう根掘り葉掘り尋ねられ、紅茶が出た頃には私は疲労困憊だった。真っ白のティーカップにたっぷり注がれた紅茶はよく見るそれよりも薄い色、いや、金色に近い色をしている。先生はご自身のカップにも紅茶を注ぎながら、
「そういえば、三谷さんも絵をお描きになるそうですね」
と話を振ってきた。
「ええ、まあ。小説を書くほうが主ですが、創作活動は幅広くやってます」
一口、金色の液体を含んでみる。温かい。先生は私をちらりと見て、微笑む。
「僕も昔はよく絵を描いていました。だいたい、学部の4年生か院の1年目くらいまでは」
「そうでしたか」
手に持ったままのティーカップから、じんわり、熱が伝わる。
「三谷さんはどんな小説がお好きなんですか?」
「読む分には何でも読みますよ。でも、自分が書くときは現代ドラマが多いですかね。日常の中からワンシーンを切り取るような」
「そうですか……これからも、作品は作っていかれるのですか?」
 そりゃ書きますとも。そう言いかけて、言葉が止まった。何故止まったのかは自分でもわからない。ただ、不意に先生の方を見ると、伏し目で静かに紅茶を飲む姿があった。そこにはさっきまでの“学生に面談をする先生”とは違った人がいるように見えた。
 先生がまたもちらりとこちらを見て微笑む。そうだ、質問。質問に答えないと。
「そうですね。小説を書くことだけは、長い間ずっと続けてきたことなので」
「長い間、ですか」
「ええ」
「僕もそうでした。ずっと絵を描いていました。辞めたには、意図的な理由があったのですが」
意図的な理由。あまり突っ込んで聞かないほうがいいか。
 創作者がその筆を置く決心をする瞬間。それは親だのお金だの社会だのといった“何かしら”のせいにはできなくなった瞬間の方が多いことは、私だって知っている。それに私の身の回りでもたくさんの友人たちがひとり、またひとりと創作から手を引いているのも事実だ。
 先生から少し目を逸らす。彼の後ろの本棚。ひときわ大きな画集の背表紙に『KLIMT』とある。世紀末美術を舞台に活躍した巨匠の画集ということか。
 先生は徐に立ち上がり、扉の近くの本棚から、2つの白い小さな物体を取って私の前に並べた。
「これ、僕が中学の頃に彫ったものなんです。保存状態が悪かったので、少々劣化が著しいですが」
私はずっと持ったままだったカップをゆっくり置き、その彫り物とやらをしげしげと眺めた。書道の篆刻に使われそうな、手乗りサイズの白い直方体の石材に、何やら深く彫りこんである。
「先生、これ、触ってもいいですか」
「どうぞ」
 優しく触ると、石材はその深みのある冷たさを指先に伝えてくる。そこには段の幅までそろえられた細やかな階段が張り巡らされ、湾曲に歪みのないアーチが精緻に彫り入れられた、さながら神話の中の建物のような、立体迷路のような彫刻だった。少しばかり石がかけているのはきっと先生のおっしゃるところの劣化によるものだろう。しかしそれがむしろ廃墟のような幽玄さを醸していた。
 何か感想を言おうと頭をひねった私は
「先生って、器用なんですね」
と訳の分からないコメントをしてしまった。
「僕、器用貧乏なので」
そんなジョークを微笑みながら言いなさる。
 先生は机の上の紅茶を眺めながら、独り言のように語る。
「僕は、ええ、僕だって知っているつもりですよ、ものを創る人の気持ちは」
 どうして? どうして“知っているつもり”なんて言うんですか。先生だって十分なくらい感じていたことがあるんでしょう? 真っ白のカンヴァスが感情のこもった作品に変貌する喜びも。思い描いた完成形になかなか近づけないもどかしさも。自分で自分の才能の無さに打ちひしがれる苦しみも。それでも胸の奥で燃え上がる炎も。全部、全部。
「先生」
私はほとんど全身全霊で涙を堪えていた。
「何でしょう」
先生は柔らかに首をかしげる。
「人が芸術に対して抱える感情は、恋に、似ていると思いませんか?」
少し間が空いてから
「一生片想い、みたいなものですね」
と、笑う先生。その笑顔はあまりに無邪気で、怖いほど純粋で、壊れそうなほど綺麗だった。
そのとき、目の前にいるのは学生に人気の助教授ではなく、芸術に唯々心を奪われた一人の青年であった。その青年に、せめてもこの涙をみせないために、私は精一杯微笑んだ。
「そうですね。本当に」

 もしかしたら、この青年は絵を描くという行為をやめても尚、恋をしているのかもしれない。白亜の神殿が立ち並ぶ楽園。そこに佇む、彼だけの芸術という名の女神に花束を捧げ続けているのかもしれない。面談は終了し、涙を堪えたままに私は個人研究室を後にした。4限の講義室に向かう途中、ひとつ、先生に聞きそびれたことがあるのを思い出した。
 お持ちのクリムトの画集にあの絵は載っていますか。ストクレ・フリーズの下絵。タイトルは確か、『成就』。


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