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ちやさん

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平凡な日々

18/07/03 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 ちや 閲覧数:81

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 俺の生まれた日、うす雲の覆う三月だというのにやたら肌寒い日だった。

 妊婦にとって子供の顔を見ることが出来ずに息絶えるなど、想像していなかったはずだ。肌寒さからかストーブをつけてあり、やかんがかけられていた。彼女は自分の腹から子供が出てくるのを心待ちにしていたであろう。しかし思いもしない方法で子は母親の胎内から出されることになった。
 犯人は彼女を絞殺したのち、腹を裂いて子供を取り出したのだ。子供は奇跡的にかすり傷だけで済み、へその緒も切られて部屋に仰向けで放置されていた。父親が帰宅して見たものは、腹を切り裂かれた妻とその横でぐったりした胎児であった。ストーブの上に置かれたやかんが空炊きになるほどの時間、生まれたばかりの幼子は一人で耐えきり生を繋いでいた。
 警察は犯人のこの行動から、医療系従事者であると踏んで捜査を進めていった。盗まれたのは二千円入りの財布のみ。金銭目的ではないと思われるこの事件の犯人像は絞られ、誰もがすぐに事件が解決すると思っていたが、未解決のまま十五年後、時効を迎えてしまうことになる。

 父が死んだ。辛い人生だったと思う。妻を特異な状況で亡くし、突然初めての育児を男手一人でやり遂げた父。それだけならまだしも、なかなか捕まらない犯人に、警察や世間は第一発見者の父を疑った。
 思い返す父は寡黙だった。本当は吐露してしまいたい深い哀しみ、世間への怒り、それら全てを背負い込み笑顔を見せない代わりに、苦しみも表には出さなかった。しかし、遺品整理をしている時に見つけた父の日記には、父の思いがしっかりと記されていた。その表紙には、殺された母の在りし日の幸せそうな写真。そして、日記は必ず「多美子へ」と言う呼び掛けから始まっていた。初めての育児への戸惑い、喜び、そしてそれを分かち合えない寂しさ。
 日記を読み進めながら俺は号泣した。母を殺め、父を苦しめた犯人が憎かった。

 父が死んで間もなく、妊婦殺人事件の犯人が自白と大きく踊った新聞の見出し。怒りを口に出した所で既に迎えてしまった時効が撤回される訳でもないと、俺は頑なに口を噤んで騒ぎに耐えた。


 ポケットに手を突っ込みまさぐってメモを一枚取り出す。浮浪者に食べ物を渡して手に入れた情報。
 「ああ、荒川辺りに居るよ。 “ドクターだろ? 妊婦を殺して、お腹の赤ん坊を出してやったって自慢してた」破れた軍手をしたその人は、煙草をねだるジェスチャーをしながら、そんな話をした。俺は、煙草の箱を取り出すと、それを出して手の上に置いた。「ドクターは犬歯しかない。見たらすぐ分かるよ。で、取材って俺の名前も載るのか?」返事をせずに持っていたライターをつけて、火を勧めた。「行ってみりゃいいさ。奴は有名だから。殺人犯とか言っちゃう馬鹿は、皆に煙たがられるからな」
俺は黙って頷いて男と別れた。

 荒川の整備された遊歩道から川岸へと降りていく。青いビニールシートが掛けられた小屋が点在しているのが見てとれた。川岸は枯れ草がこれでもかと繁っている。そして所々に細い木が生えており、そういう所に決まって小屋があった。
 川岸に着くと、浮浪者にしては小綺麗なスズキがひょっこり顔を出した。この人は元々良い所の勤め人だったらしいが、事情があって二年前からホームレスをしているのだとか。スズキは確かに品があった。
 「大学は行ったのか?」「まぁ」俺と年齢が近い息子がいるらしく、頻りに心配するのだ。
 「あの、それでドクターは?」「ああ、行こうか。すぐだよ」そう言いながらスズキは先導してくれようとするので、俺はリュックの中身を意識して慌てた。
「一人でいく」スズキはふくよかな頬を下げて「君だけじゃ会わないかもよ」と、言った。俺は正直困ったが「わかった」と答えた。スズキは頷くと、手を伸ばして葦を避けながら進んでいく。朧気な道をスズキは迷いなく進み、俺もその後を追った。ずんずん進むと、視界が開けて川の流れが見えるようになった。そして、小屋とも言えぬ粗末なそれの前に立った。
 「どうしてもドクターに会いたいんだよね?」スズキは小屋からの臭いに顔をしかめたまま、俺に問う。
「取材の為に」何度も繰り返した嘘をスズキに言うのは、毎度少しだけ抵抗があった。穏やかそうなその眼差しはなぜか俺の内部まで見透かしているような気がするから。
 「行こうか」スズキは鼻を手で覆い、粗末な扉を引いた。三月だと言うのに飛び交うハエ。目が慣れるとそこに布団があり、しかも強烈な臭いの中で人が寝ていることに驚いた。パカっと開いた口は尖った犬歯だけが取り残されて立っていた。「ぐぐ」開いた口から漏れた呻きは苦痛に満ちている。
 「君の探していた妊婦殺しのドクター」スズキが顔をしかめたまま言う。頭蓋骨がわかる肉が落ちた顔、瞼は閉じられているが中の目玉が動いているのが分かった。「うう」ドクターは苦痛に歪んだ顔で唸った。「きっと癌だ。長くはないだろう。ホームレス同士でも多少は助け合うものだけど、ドクターに手を貸す人は誰も居ないんだ」
 スズキは俺の腕を掴むと「出よう」と引っ張って小屋から出た。小屋の外も臭ったはずなのに、中の空気に身を置いた後だと、外の空気が清らかな気がする。
 俺は黙って地面を睨み付けていた。
「君、ドクターを殺しに来たんだよね」スズキのそれに俺はギクリとなってから、ゆっくり視線を上げた。「何かするなら今日だと思っていた。君にとって特別な日だ」俺は柔和なスズキの顔を見つめたまま押し黙る。
 「えっと下の名前は?」スズキの問いに、もう隠すことも無いと思い俺は「翔」と答えていた。スズキはたった一言「翔」と呼んだ。俺は驚くことに名前を呼ばれただけなのに涙がこみ上げてきた。俺を翔と呼ぶ人間は少ない。父と数人の友人。目の周りが熱くなって、口が震えた。父と歳が近そうなスズキが俺を呼び掛けた、たったそれだけで。
 スズキは俺の顔をじっと眺めてから、一枚の紙を取り出した。『連続通り魔 女性を庇った男子学生が死亡』
「息子が居てね、見ての通り亡くなった。私は今でも思うんだ。なんでうちの息子がって。私は早くに離婚して一人で懸命に息子を育てて来た。それなのに、どうしてうちの子が死ななければならなかったのだろう、と。私は息子を死なせるために育ててきたわけじゃないのに」言葉を切って、スズキは問いかけるような眼差しで俺を見つめた。
「君のお父さんはどうだろうか。刑務所に入れる為に子供を懸命に育ててきたわけじゃないんじゃないだろうか。違うかな? 翔」
 俺の体は制御不能なほど震えだし、零れ落ちそうになる涙を必死に堪えた。そして、あまり笑わなかった父の笑顔を思い出して、更に込み上げる涙に歯を食い縛る。
 「私は君を見ていたら……息子も私がこんな所で生きていることを喜ばないんじゃないかと思うようになってね。だから、君をドクターから解き放ったら、私ももう一度、社会に出ていこうと決めたんだ」そう言いながら、スズキは俺のリュックに手を伸ばす。びくっと体を引いた俺にスズキは「ティッシュ入ってない?」と言って、容赦なくそれを下ろさせた。そして、リュックを開けて中を覗き込んだ。まずはティッシュを見つけ俺に渡し、そしてロープを引っ張りだした。
二人でしばらくそのロープを凝視する。
 先に口を開いたのは、スズキだった。「用意がいい」俺は手を伸ばしてそれを奪い返そうとした。すると、スズキはすっと身を交わして言う。「まだ執着心を示すのか……」そう言ってから、穏やかだったスズキがリュックを俺に投げつけた。そして、手にロープを持って道を引き返し始める。
 「ちょ、どこに行くんですか!」俺は慌てる。「もちろんドクターを殺しにだよ」スズキは振り返りもせず、冷静に言いながら歩みを進める。
 「あんたは関係ないだろ!」くるっと身を翻したスズキは先ほどまでの紳士的な顔ではなく、怒りを浮かべていた。「関係ないさ。息子だって関係ないのに殺された。君は私の目を盗んでまだ殺そうと思っているだろ? なら、ドクターは私が殺そうじゃないか。息子だって無関係なのに巻き込まれた、なら私も」「意味がわかんねぇよ!」
 俺がスズキの掴んでいるロープを奪い返そうとすると、必死に抵抗されて、服を掴み合いロープを互いに離さず、二人は激しくもつれあっていく。俺が力一杯ロープを引っ張ると、その勢いでスズキが地面に突っ伏した。俺は慌てて、スズキの横にしゃがみこんで、体を起こそうとした。
 「嫌なんだ! わかるか、君に。親の気持ちが。君のお父さんの気持ちを考えたら絶対殺らせない! 私は、息子の平凡な暮らしを見ていたかった。歳をとっていく姿を、家庭をもったり……」スズキが四つん這いになり、俺のロープを再び握った。「ドクターは死ぬんだ! 苦しんで死ぬんだよ。もう、いいじゃないか」
 俺は不思議な感覚に襲われていた。目の前の男性になぜか同情し始めていた。見ず知らずの俺の為に泥を付けて必死に諭している。誰のために? ドクター? 俺? 違う。自分の為だ。息子を俺に重ね、俺をなんとか救おうともがき苦しんでいる。
 俺は立ち上がりながら、スズキの腕を引っ張りあげた。手の中に握られたロープを見下ろすと、手を開いてそれを落とす。スズキはそんな俺をじっと見つめてから、自分の体に付いた土を払い落とすと、大きく息を吸い込んだ。
 「君の誕生日を祝おうか。お金はコインロッカーに預けてある。腹空かないか? 誕生日と言えばケーキか」
スズキは落ちていたリュックを拾い、晴れ晴れした顔で笑った。
 俺の二十一回目の誕生日。


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