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早川さん

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病室の夜の涙

18/07/03 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 早川 閲覧数:70

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 妻と夜にキャンプに行った。空には綺麗な星が瞬いていて、月が見える。テントを張って二人で横になった。
「明日はどこへ行く?」
 疲れたように妻が言った。
「川に釣りに行こう」と僕は言った。
 二人で並んで眠る。ごうごうと風が吹く音が聞こえる。テントは風に揺れていた。
 翌日、目が覚める。妻はテントの外にいる。妻は火を焚いて料理をしていた。パンを焼いて目玉焼きを作っている。
「おいしそうだね」
 僕はそう言って近づいて行った。いい匂いが立ち込めている。
「今日は釣りに行くんでしょ?」
「うん」
 僕は隣で頷いた。妻の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。今、何を考えているのだろう。そんなことがぼんやりと頭に浮かぶ。
 昼頃、釣り竿を借りて、僕らは釣りをした。しばらくの間、釣り針の上の浮きが川の水に揺れるのを眺めていた。
 瞬間浮きが強く沈む。僕はすぐに引き上げる。すると大きなマスが釣れた。妻は喜んでこちらを見ている。
「大きなマスね」
 感心したように妻は言った。その目はどこか無邪気に見えて、僕はそんな妻のことを愛おしく思った。
 結局その日はマス一匹しか釣れなかった。それで夕食の時に二人で分け合って食べた。
「おいしい」
 どこか温かみを帯びた声だった。
「おいしいね」
 僕の声はどう聞こえていたのだろう。
 その日、夕食を食べ終えた僕らは最後の一日を寝て過ごした。
「明日は朝から帰らないとね」
 妻は少し張り切ったように言った。
「そうだね」と僕はぼんやりとつぶやいた。
 それから朝が来て、僕と妻は車に乗った。車の助手席には妻が座っていた。
 車を運転して、道を曲がろうとした時、ふいにトラックと衝突した。車は吹き飛び、ぶつかったのは隣にいた妻の座っていた方だった。僕だけが幸いにして助かったのだ。
 僕は病院に運ばれた。そして妻が死んだことを知った。その時、心の中にあったのはショックな気持ちだけだった。相変わらず自分でも茫然としているだけで冷たい人間だと思う。
 あとがきのようにはなるけれど、それが妻と過ごした最後の思い出だった。記憶力がないせいか妻と出会った頃のことから死んだ時のことまでこうして文字にしてみないと忘れてしまう。
 それが何より寂しいことだった。
 僕は一か月の間入院することになり、こうして妻との思い出を文章にしていた。妻が死んでからもう二週間が経ち、今となっては記憶すらあやふやだ。
「奥さんを亡くされて辛いですね」
 看護師の人が僕の病室にやってきてそう言った。
「そうですね。こうして今も妻との思い出を書いているんです」
「それはたぶん凄くいいことだと思います」
 僕より年下に見える彼女はそう言った。
「本当は子供を作るはずだった。幸せな家庭を二人で築くはずだった。それが今では僕が書いたノートしか残っていない。これって悲しいことだと思いませんか?」
「とても悲しいことだと思います」
「それでも僕はこうしていてこれっぽっちも悲しいとは思わないのです。ただ寂しくてショックで、僕は冷たい人間なんでしょうか?」
「私だってそういう時はありますよ。ショックで感情を失ってしまうことが」
「そうですね」と僕はつぶやいた。
 僕は相変わらず物事を達観していた。すると妻の父親から電話がかかって来た。
「今回は辛かったでしょう?」
 妻の父親は僕にそう言った。
「ええ」
「君のことをずっと好きだったと僕は何度も聞いたよ」
「それは知らなかったですね」
「君から愛されていたと、あの人は運命の人だと言っていた」
「そうなんですね。今だからこんなことを言います。僕は妻のことすら信じられなかった」
「それは悲しいことだと思うよ。妻は君のことを愛していたんだよ」
「少しでもそんな気持ちに気付けたら幸せでした」
 電話は切れた。僕はそう言われてなんだか感傷的な気分になった。一応こんな僕にも人並の感情があるのだなと思った。
 いっそのことこの命を差し出して妻の代わりになれたら。そんなことすら考えては頭の中で消えていった。
 夕食に病院のカレーが出た。僕はベッドの上で折れていない方の腕でカレーを食べた。やけにおいしかった。
 いったい生きているとはなんだろう。どうして妻のことを信じることができなかったのだろう。そんな思いが巡る。ふいに脳内を妻の記憶が激しく駆け巡る。そして僕は嗚咽と共に泣いた。


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