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瀧上ルーシーさん

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性別 男性
将来の夢 プロ作家になること。
座右の銘 犬も歩けば棒に当たる。

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全力疾走

18/07/01 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:2件 瀧上ルーシー 閲覧数:147

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 これは追悼小説、または追悼エッセイだ。あるいはただの駄文だ。僕の自伝でもある。
 僕の名前はR、もう三十代の所謂小説家志望だ。
 十七歳の頃から小説を書いて新人賞に投稿している。その頃に持病も発症した。持病のことは事細かに語らない、へんに同情されたくないからだ。とにもかくにも十七歳の頃、今は無きとあるエンターテインメント小説の新人賞に処女作を応募してB評定を貰った。選考の一番最初から編集者が読んでくれる当時としてはとても珍しいネットからも送れる新人賞だった。評価が事細かに書かれた紙と一緒に手紙が送られてきてわざわざ「編集部全員で読みました」と書かれていた。その手紙を僕は入院中の病院で読んだ。
 退院自体はわりとすぐに出来たのだが、親と家に戻ってきてしばらくの間は何もやる気が出なかった。最初は漫画しか読めなかったし、少し良くなるとプレステ2に移植されたギャルゲーばかりをプレイして日々過ごした。病気になって以来友達もゼロだった。しかも中卒だ。彼女もいないし家まで訪ねてくる「元」友達もいない。
 両親は僕が小説を書いていることを知っていた。とくに母はその小説の中身も見ないで「すごいすごい」と僕を賞賛した。
 それから二十歳になり、今となってみればあまり意味はなかったが車の免許も取り、病気もかなり良くなっていた。
 僕はそれから五年、ライトノベルの新人賞に応募し続けた。二次選考を通過したことはない。一次選考ばかり八回通過した。使い回し原稿を含まなければ五回か六回だ。
 夢を目指している途中で東日本大震災が起った。僕は精神の調子を再び崩した。事細かには語らないと先ほど書いたが十七歳の頃僕は統合失調症にかかったのだ。薬の副作用で今でも毎晩半日くらいは眠っている。
 親にも暴言を吐き、今でも覚えている最低な言葉は「お前らの今までの子育てはネグレクトだ」と事実無根な言葉だ。僕が一人暮しを始めるまでの間、親とはぎくしゃくし、ジンやウィスキーなどの強い酒を昼間から飲み、睡眠薬遊びでラリって深夜の公園で一人で遊んだりもした。
 ある日父から貯金通帳を渡された。「出て行ってくれ」そうして僕は本当に家を出て行った。地震で死にたくないので、関西のとある県に向かって深夜に出発する夜行バスに乗り込んだ。
 一番後ろの座席をネットで予約したのだが、エンジンが近いらしくよく揺れて車内の明りが落とされても一睡もできなかったことを覚えている。
 私鉄にも乗り、住もうと実家で調べてきた市につくと、保証人不要で入居できる物件も扱っている不動産屋に行くと決めていたのに、駅前の不動産屋に僕はフラっと入った。
 僕はまず頼ろうとしていた不動産屋のホームページに書かれていた保証金に半年分の家賃を入れると書かれていたと、今入った不動産屋の人に言うと「うちに来て良かった。そんなの入ってから何が起るかわからないやないですか」と言われた。それからとんとん拍子に話が進んで、実家まで連絡をすると母と父が保証人になってくれることとなった。何件か審査不要で入居できるアパートの下見をすると家賃三万二千円の六畳1DKのアパートに入ることになった。最寄りの駅までも徒歩で行ける。不動産屋さんが個人的に携帯の番号を教えてくれた。一度「今度お食事でも」と言われたが、それは当たり前の社交辞令で実行されることはなかった。
 最初の三ヶ月は家具などを揃える都合もあり、金を湯水のように使った。喧嘩して出てきたはずなのに実家の両親も協力的で僕の部屋の荷物を宅配便で送ってくれたりもした。今思えば涙が出てきそうな程の感謝と自分を殺してしまいたいという気持ちが同時に湧いてくる。親は子の奴隷ではないのだ。しかも両親は大学生でもないのに仕送りまでしてくれた。
 それから僕は洗濯機もないアパートで日々生活をした。食事を外食に頼らなくなってもろくに自炊をしないので、百円コンビニの冷凍食品や五枚切りの食パンばかりを食べ、安い米は炊いたら冷凍保存していた。固めのご飯が好きだからと、固めに炊いて冷凍したら解凍するときに長い時間レンジにかけたことも相まって餅米のようなご飯になった。毎回そういうご飯に一番安い納豆をかけて食べた。関西でもスーパーで納豆は売っている。
 一人暮しを始めて親へ感謝するようになっていた。家事や買い物に時間を取られて、実家にいた頃より小説執筆に集中できない。その頃から僕は書く小説のジャンルを純文学に変えていた。
 一人での生活を始めて三ヶ月も経つと、僕はホームシックにかかっていた。実家に電話して「帰りたい」と何度も親に言った。だが親は――今だから言える。僕のためを思ってだ――愚痴くらいは聞いてくれるもののそっちでがんばりなさいと言うだけだった。
 ネットで赤の他人をコミュニケーションを取りながら僕は毎晩酒を飲んだ。朝から飲むこともあった、睡眠薬を三倍の量飲んで三日くらい眠ったこともあった。丁度クリスマスだったので親から電話が来たのだが、今寝るところ、と言ってすぐに切ってしまった。
 無駄にパソコンを自作して、大晦日には緑のたぬきを食べて、正月にはきな粉餅を食べた。
 年が明けたくらいから、積もり積もった寂しさに耐えられないで、喫茶店やパチンコに行くようになった。当時まだ禁止されていなかった日雇派遣で働いたりもした。今もそうだが親の庇護の元ぬくぬくと過ごしてきた僕から見ると、日雇いで働く人がどんなに汚い服を着ていても、派遣先で自分より若い社員に怒鳴られているのを見ても立派な大人に思えた。
 ギャンブルをしてドーパミンが過剰分泌され、頭がおかしくなり、僕は知らない土地を徘徊した。三日くらいで貯金通帳の中身も含め僕は一文無しとなり、進んで警察に保護された。新幹線で迎えに来た親と一緒に地元へ帰り、僕は人生で二度目の精神科病院に入院することとなった。
 精神科病院の閉鎖病棟には常人と殆ど変わらない人と言ってはいけない言葉だが狂人と、病気はもう殆ど治っていて親族が家に迎え入れてくれないから、入院している人などがいた。僕は半年足らずで退院できた。
 実家に帰ってくると、母は優しかったが父は怒っていた。近場の精神障害者のグループホームに空きが出来たら、入所させると言っていた。僕はそのとき「親父は僕のこと嫌いなの」と聞いた。「嫌いじゃないよ、だけどお前がやることは大嫌いだ」と父は言っていた。
 そのB型作業所も開いているグループホームの作業棟で、そこの職員と面談した。僕はグループホームに入所したくなくて「この手は小説を書くためにある。こんな所に入れられるくらいなら両手切り落として死ぬぞ」と脅した。所長が出てきて、「自分の命を人質にするなんて子供のやることだ」と僕は一喝された。
 違う日にまたグループホームの所長達と面談があった。「病院に戻しますか?」という話まで出たが父が折れてくれた。「Rは私達といるとそのうち甘えてしまうと思うのですが、今のRだったらなんとか一緒に暮らせます」と彼は言った。僕はその瞬間、実家で暮すことが許されたのだ。ただし作業所には通うことになった。
 百円未満の時給で僕は畑を耕したり、封筒に書類を入れたり、教会で開かれるバザーで店番をしたりした。最初は空気が読めなかったり、僕よりさらに頭があれな人に絡まれたりもしたが、車はないし、なんとか毎朝バスで通い続けた。
 作業所が終わる時間は早いので、家に帰ってからは新人賞に向けて小説を書いていた。ライトノベル作家にはなれなかったけれど、純文学の方では才能があるのでは? そんなことを思っていたのだが、今のところ十五回連続一次選考落ちだ。
 僕の小説を書く原動力は劣等感の克服だ。
 今更、誰でも知っている有名企業に就職することは不可能だし、屈辱という人生の負債が貯まっていた。女にもモテない。友達もいない。
 それに小説を書くのは好きだった。結果がふるわなくても快感だと思う。
 作業所に通所するようになって二年が経った。作業所はこんな僕のために卒業式まで開いてくれた。就職活動をして非正規雇用だが、僕は飲食店のアルバイトに就けた。
 そのアルバイトでも健常者に比べ仕事が出来ないでもっぱら掃除や洗い物ばかりやらされている。正直辞めくなることも多いが、親との関係性を悪化させないために今でも続けている。
 近頃、純文学を目指した作品も書くが、またエンターテインメントの作品も書くようになった。ネットでも目立った存在ではないが、創作活動を行っている。
 並べたら失礼だと思うが尾崎豊より早くに亡くなったM氏に追悼の意味も込めてこの文章を書いた。だが他にも読んでくれた作家志望者に「俺の方がまだマシ」と思ってもらえたら僕としても本望だ。この文章はかなりの割合、実際にあったことだ。
 僕もまだ走るのを止めていない。
 M氏にも向こうの世界で走り続けてほしい。


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このストーリーに関するコメント

18/07/06 クナリ

拝読しました。
生々しい筆致が、……彼岸まで届くように思います。

18/07/07 瀧上ルーシー

クナリ様
読んで下さいましてありがとうございます。
本当に向こうの世界に届いてくれたらと思います。

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