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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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月に恋して

18/06/27 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:4件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:148

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 友よ、こうしてメールで告白することをゆるしてくれ。
 告白するのは、いまこのときをおいてない。機会は二度とおとずれないにちがいない。
 まず蛙のことからはじめようと思う。
 僕は池のほとりに傘をさしてたっていた。目はじっと、しな垂れる草の先がなびく水面下をみつめていた。草のあいだに蟇蛙がうごめいていた。青朽葉色の膜におおわれた頭を水面につきだしては、黒々とみひらく目で雨をうけていた。
 いままでみていた蛙がきゅうに、化け物のように大きくなって、僕の眼前で驚いたようにあんぐりと口をあけている。
 いったい自分の身になにがおこったのか、客観的なものの見方をするには僕は幼すぎた。僕はこちらを凝視しつづける蛙の皿のような目の奥底に透けてのぞく、放射状にひろがる瞳孔といつまでもにらめっこしていた。
 これが記憶のなかにある最初の変身だった。僕はあのとき、自分がみていた蛙になっていた。
 その後も、僕はくりかえし変身を体験した。蛙のとき同様、興味をおぼえてじっとながめていると、それがなんであれ、僕はそのものに姿をかえた。
 豆粒ほど小さなものから、象のような大きなものにもなれた。なりたい相手は、選ぶというより、関心の度合いに左右された。
 これがときに、トラブルをまねいた。
 大人になってから、カフェでコーヒーをのんでいるとき、壁をゴキブリがはっていた。僕は不快感を抱きながらも、ゴキブリの動きを目で追っていた。コーヒーカップが音をたてておちた。テーブルの端から茶色い液体が、滝のように流れおちるのがみえた。
 そのとき、とてつもなく巨大な女が、筒状にまるめた雑誌で、僕のいる椅子を叩きつけた。間一髪逃れることのできた僕は、椅子からあわててとびおりると、もとの姿にもどるために、ある一人の女性の顔を思い描いた。
 大女がみるみる縮んでいき、こちらをみて、口から声にならない声をあげていた。退治しようと思ったゴキブリが、一瞬にして眼前に人間の男としてたちはだかったら、誰だって彼女のような表情になるのではないだろうか。ウェイトレスはしかし、なにもなかったかのように厨房にもどっていった。ここで騒ぎ立てたところで、時給がアップするわけでもないといわんばかりに。
 僕の変身のビフォーアフターをまのあたりにしたものは少なくないと思う。君といっしょにいった飲み屋でも、あったよ。ほら、トイレから酔った君がでてきたとき、通路のところででくわしたことがあっただろう。それが鏡に映った自分と勘違いして君は、シャツの襟をなおしてテーブルにもどっていった。そうなのだ。あのとき僕は、君になりきっていた。二人で飲んでいるうちに、僕は君の人柄にとても好感をもったあげく、きみに変身してしまったんだ。
 あのあたりから、僕の変身感度はましたもようだ。道を歩いていて、桜の古木がみえたりすると、とたんに僕の体は苔のとりまくふとい幹にかわりだし、やがてにょきにょきとふしくれだった枝をひろげた。
 木に変身すると、心もまた木にかわってしまう。学芸会の舞台で木に身をやつすのとはわけがちがう。木の心というものを君は想像できるだろうか。それはなかば眠った状態で、もちろん人間のような意識などない。もし彼女、青木早苗の存在がなかったら、僕は桜の木としていつまでもその場にたちつくしていたにちがいない。――幼少時にはそれは、早苗のかわりに母だったと記憶している。
 青木早苗のことは、君にも紹介したね。僕がこの世で何より大切にしている女性だ。
 早苗はおなじマンションのおなじ階にすんでいた。エレベーターで顔をあわせたとき、むこうから笑顔であいさつしてきた。それから二人は、親しげに話をかわすようになり、いつしか互いの部屋を行き来するようにもなった。
 彼女のまえでは僕は僕でいることができた。一緒にいれば、いくら僕の神経が刺激されても、変身はおこらなかった。
 一度だけ、こんなアクシデントはあったが。
 彼女といると僕は心から安らぎをおぼえて、進んでおもてにでるようにした。白日の下を、何も気にせず歩く幸せを満喫するためだ。そこはわりと交通量の多い交差点だった。僕と彼女が横断歩道をわたっているとき、杖をついて歩いているお婆さんを追いこした。まもなく信号が点滅しだし、道路をわたりきった僕たちがうしろをふりかえると、はたしてさっきのお婆さんはまだ道路のなかにいた。
「あぶない」
 早苗は足早にお婆さんのところにかけよっていった。お婆さんをかばうようにしながら、歩道にもどってくるまでのあいだ、車たちは二人がわたりきるまで辛抱強く待っていた。
 何度も頭をさげて去ってゆく老婆を、安堵の表情でみおくってから彼女は僕のほうをみた。
「まあ」
 僕には彼女がなにをみたかをさっした。僕の顔には、あの老婆とおなじ、無数の皺がとりまいていたにちがいない。彼女と歩く老婆に、僕がみとれた結果だった。
 このときは早苗が直近にいたので、すぐ変身は解除された。一瞬だったので、僕の変身の目撃者同様、彼女も目の錯覚ぐらいに思ってそれ以上気にとめることはなかった。
 部屋に一人いるとき僕はたびたび、早苗になっている自分を発見した。彼女を思う強い気持ちは、そばに彼女がいなくても僕を容易に変身させるだけの力をもっていた。
 胸がつきだし、腰がくびれ……僕は早苗のすべてを、この目でたしかめることができた。彼女を冒涜してはいないかと、罪悪感にも苛まれたが、気がついたら僕は、鏡に映しだされた彼女の裸身にくいいるようにみいっている自分を発見した。
 このことは君にも話した。君は寛大にも、自分の体を自分がみたところでべつに誰に迷惑がかかるものでもないといってくれた。あの言葉が僕をどれだけ救ってくれたか、やっぱり持つべきものは友だと思った。
 青木早苗が急に僕との連絡を絶った。電話は通じず、メールも返信はない。がまんできなくなって、彼女の部屋をたずねたところ、表札は破り取ってあり、ドアのポストにはテーピングがしてあった。いつの間にか彼女は部屋を引っ越していた。
 僕はうろたえ、途方に暮れた。一週間がたち、二十日がすぎ、そして二か月が経過した。彼女の不在は僕のテンションを異常に高め、そのため変身のスィッチもまた著しく鋭敏になった。窓から烏がのぞいただけで、僕は黒々とした羽毛におおわれた烏に変身していた。またテレビに映しだされるあらゆるものが僕の変身を助長した。自分の体が秒単位に目まぐるしく変身を繰り返すのにたえきれずに、ひたすら早苗の姿を思い浮かべた。僕は鏡にあらわれた早苗とむかいあうと、僕をこんな状況におとしいれた彼女が憎くなって、気がついたら自分の手首にカッターの刃をおしつけていた。
 そのとき君が僕の部屋を訪れ、僕を早苗と思いこんで、こういったんだ。
「あれ、奴とはもう別れたっていったのに、なぜここにいるんだ。奴が自分を君に変身させて、その肉体をながめて卑猥な悦びに浸っているとの告白話を俺からきかされて君が身震いしたのはついこのあいだのことだ。――もちろんそんなこと、妄想にちがいないがね。たとえ妄想でも、それを俺からきかされたとき君は、あまりの気色のわるさに、じんましんをおこして全身をかきむしったものだ。奴の異常さに君が気がついてくれて、俺も話したかいがあった。きょうも奴からなにかがききだせると思ってきたんだが、まさか君がいたとは思ってもいなかった。忘れ物でもあったのかい。奴はいないようだね、さあ、はやいとこ俺の家にいって、将来のことでも話しあおうじゃないか」
 そのとき僕が、あとからいくといって君をさきに帰らせたことは、もちろんおぼえているだろう。
 僕は、心から好いていた恋人と、心から信頼していた友を、いっぺんに失った。もうなにも信じることなどできない。
 僕はいま山の上にいる。彼女からうけた痛手は癒すすべもなく、いたずらに心は空虚になっていくばかりだ。
 死のうと思い、崖の淵に立った僕の上から月が照らしつけた。子供のころ、僕は月に憧れていた。あまねくものみなを優しい光に包みこむ月に……。
 そうだ、月になろう。それが僕の、さいごの変身だ。


 彼、秋吉浩二から届いたメールは、そこで終わっていた。
 読み終えたとき俺は、彼が重篤な精神障害に陥っていることを確信した。彼の非現実な告白は、本人の心の中では現実としておこっているにちがいなく、メールにもあるように、青木早苗にたいするみたされない執着心がそれに、さらなる拍車をかけたことは明白だった。
 俺は、告白の末尾の部分の不明瞭な文章に、彼の崩れゆく心をみるようで、さすがに胸が痛んだ。
 俺のところの窓にも、月がのぞいている。彼もいま、おなじ月をながめているのだろうか。
 ふと俺は、昨夜はそこに月がなかったことを思いだした。もっと南の、高い位置にあったはずだ。
 俺は窓をあけて、夜空をみあげた。きのうみた月はやっぱり、ずっと南の方角にかかっている。それではあれは……もう一度俺は、頭上にうかんでいる月にむかって目をみひらいた。
 その月には、みなれたウサギの餅つきでなく、人間の横顔のような模様が認められた。――じっとみつづけているとそれが、だんだんと青木早苗の顔になっていくように思えてならなかった。
 そんなばかなと、いくら一笑しようとしても、俺には笑うことができなかった。


































































































































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このストーリーに関するコメント

18/06/29 木野 道々草

拝読しました。拝後は、色々な感想が溢れてきて、抑えきれませんでした。とても面白かったです。特に、秋吉浩二と彼の友人のどちらを信用したらいいか、異なる読み方ができる構成が面白かったです。あるいはどちらの言い分にも、虚実の両方があり、それによって一つの物語が生まれているのでしょうか。私も日頃、自分以外の何かになってみたいと思っていたので、変身するというストーリーに引き込まれました。そして何よりも、W・アーム・スープレックスさんの、いつもより少し長めのお話を拝読できたのが嬉しかったです。

18/06/30 W・アーム・スープレックス

木野道々草さん、ありがとうございます。
いつもきめられたテーマに基づくのと違い、自由に書くのはかえってむずかしいものですね。変身物は私自身の追い求めるひとつのテーマだということが、これを書くことによって気づかされました。
木野道々草さんのお言葉にもあるように、物語を創作する者はある意味、作品の中で自分を変身させているといえます。
いいかえれば、ただ一人の自分だけでは満足できない人間には、創作の中に異なる分身を描かずにはいられないのかもしれません。

18/07/06 クナリ

最後に、一気に視界が広げられたようなラストシーンが圧巻でした!
ゾクッとしました……!

18/07/07 W・アーム・スープレックス

クナリさん、ありがとうございます。
「ゾクッとしました……!」のコメントに、私もまたゾクッとさせられました。
自分で書いたものは本当に、自分ではわからないものですね。

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