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藤光さん

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わたしのつばさ

18/06/27 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 藤光 閲覧数:91

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 五年ぶりに会った香澄はすっかり変わっていた。
 学生だった頃から、彼女の伸びやかな手足と整った顔立ちにはずっと憧れていた。身につけている流行のファッションや最新のメイクは何度も真似をさせてもらっていた。でも、待ち合わせに指定したカフェに現れた友人の顔は化粧気がなく、肩まで伸びた髪も行き届いた手入れがされてなくて、実際の年齢は三十五歳なのに、目尻に目立つ小じわも相まって五十歳のように見えた。
「仕事、忙しいの?」
「ん? どうして」
 わたしが言外に訊きたかったのは「どうしたのよ、その古ぼけたマネキンのような格好は?」ということだったのだけど、香澄はまるでピンとこないらしい。
「なんだか……。疲れてそうだけど」
「そう? 元気よ。それに……」
 ぐいっとエスプレッソ・マキアートをあおるように飲み干した。
 ――熱そう。
「仕事は辞めたもの」
「えっ」
 不意を突かれてびっくりしたわたしは、もう少しで持っていたキャラメル・フラペチーノを、膝に抱いた六ヶ月になる息子、空(そら)の上に落としてしまうところだった。
 不思議そうにわたしの顔を見上げる空。――大丈夫、落とさなかったよ。
「仕事は辞めた。あんなものにわたしの大切な時間を取られるなんて、人生の浪費よ。ロ・ウ・ヒ」
 香澄の勤め先は一流企業だ。さほど大きな規模ではないものの、その分野では世界のトップシェアを握る日本を代表する会社。彼女はその会社で一般事務をしていた。
 確か以前は、仕事が楽な上にお給料は良いと喜んでいなかったっけ。会社勤めを人生の浪費といってしまうのは簡単だけど、そんなに条件の良い勤め先を袖にするなんて惜しいと思わないのだろうか。
 零細企業の経理を担当している旦那、いまは子育てのために専業主婦をしている自分、香澄とわたしの身の上を引き比べると考えざるをえない。
「会社やその株主のために、わたしの人生をすり減らすなんて、まっぴらよ。十年勤めてやっと気づいたの、馬鹿だったのね、わたしって」
 ふうん。香澄って『無職』なんだ――と考えると、彼女の境遇がうらやましいと感じられなくなるのは不思議だ。わたしだって『専業主婦』っていう名の立派な無職なのに。
「いまは自分のため、わたしのために生きてるって感じられるの」
 わたしをとおり抜けて少し遠くに視線を据える香澄の瞳はきらきらしている。でも、ばさばさ髪で失業中の三十女ってどうなんだろう。うらやましくないなあ。
「じゃあ、香澄はいま何を?」
「翼を探してる」
 ――翼?
 チーズケーキをぽいっと口に放り込んだ香澄は「美味しい」と幸せそうに微笑んだ。
「翼を探してあちこち旅してる。北は北海道から、南は沖縄まで。おかげでホラ、すっかり日焼けしちゃって」
 確かに香澄の顔や両手はよく日に焼けているが……、翼って。
「翼を探してるって、鳥の?」
 わたしの顔に大きくクエスチョンマークが張り付いて見えたのだろう。香澄はくすくす笑い出した。
「違うわよ。わたしの翼」
「ワタシノツバサ?」
 わたしの顔のクエスチョンマークはさらに大きくなったに違いない。いったい何を言い出すんだ、このコは。
「そう。人はだれしも大空へ羽ばたいていくための翼を持ってるんだって。でも、天から両親の元へ生まれ出てくるとき、地上のどこかにその翼を落っことしてしまうの。
 多くの人は、そのことにまったく気づかないまま人生を送ってしまうけど、運良く自分の翼を見つけ出した人は、ほかの人とはまったく別の人生が開けるんだって。まるで大空に舞い上がるようにね」
 香澄は、初めて会った高校生の頃から時折不思議なことを言い出す癖があった。偽りの生活から抜け出したいとか、本当の自分を見つけるのだとか。
 当時は漠然とそんなふうに感じることもあったけど、もう二十年近く前のことだ。わたしたち分別ざかりの大人だよ、夢見がちな十七歳じゃないんだ。
「翼はどこでわたしを待っているのかわからない。翼はわたしを探してくれないのだから、わたしが翼を探しに行かなくちゃね」
「それであちこち旅して回ってるの?」
「そう。きっと見つけるわ、わたしの翼」
 香澄のやっていることが急に無意味なものに思えてきた。ばかばかしい。結局は時間とお金を持て余した人の道楽じゃない。
 そう考えはじめると、彼女の言葉がわたしの胸をするりするりとすり抜けていくように感じるようになった。
 古い友人に会った懐かしさや共通の知り合いの近況など、話したいことが色々あったはずなのに、そうしたこともどんどん色あせていくようだった。
 香澄は旅先で出会った美しい景色や美味しかった郷土料理、時折しでかしてしまう微笑ましい失敗などを面白おかしく話してくれていた。
 しかし、わたしは興味深そうに相づちをついたり、話しの続きを促したりしながらも、心の中では胸に抱いた小さな息子のミルクの時間や、今夜は早く帰ってくるという旦那のための夕食のことばかりを考えていた。
 早くこの時間が終わらないかな。
「ねえ、環(たまき)」
 香澄がのぞき込むように体を乗り出して話しかけてくる様子に我にかえった。彼女の話はあらかた耳を素通りし、わたしはぼんやりとしていた。
「あ、ごめん。なに?」
「環の翼ってなんだろうね」
 すっぴんの香澄からは、まったく邪気が感じられない。まるで二十年前のあの頃がそうだったように。
「さあ……」
「環は考えないの? ホントの自分――というか、そのために存在する自分かな。そんな自分になりたいって」
 若いなあ。子供みたい。そういえば子供は化粧なんてしないよね。そうか、そういうことなんだ、香澄。
 そのために存在する自分か。そういうのは、どこかにあるものではなくって、すぐそばにあるものじゃないだろうか。すやすやと眠っている小さな息子を胸に抱いて歩くとか、一日仕事を頑張って帰ってくる旦那に夕食を喜んでもらうとかね。
 一時間あまり話をして香澄とは別れた。これから東北の海辺の町を回るらしい。どんな景色や料理に出会えるか楽しみだと笑顔で話しながら手を振って別れた。

 五年後――。

 空に妹ができた。
 二人目は授からないだろうと半ば諦めていたが、寒い雪の日――小さな娘が我が家の新しい家族に加わった。
 五歳になる空は、妹が可愛くてたまらない。いたずらが激しさを増す息子に加えて、赤子の娘を世話しなければならないわたしは、目が回るほど忙しくなった。
「また、カスミがでてる」
 子守の代わりにテレビを見せていた空の言葉に、洗濯物をたたんでいた手を止めて画面を振り返ると、テレビのトーク番組に香澄が出ていた。
 まだ赤ん坊の頃に一度会ったきりである母親の友人を息子が覚えているわけがないので、わたしの口真似なのだろう。そんなこと言ってたっけ。
 香澄は、新進のエッセイストとしてさまざまなメディアに取り上げられる人気者だ。もうすぐ四十歳のはずだが、華やかな美人はテレビ映えするのか、いろいろな番組に引っ張りだこだ。いまも自ら撮影した旅先でのスナップ写真を示しながら、新作エッセイの着想を得たきっかけなどを司会者に話している。
 テレビ画面でみる香澄は、完璧にメイクがほどこされていて、カメラが彼女の顔をズームアップしてもシミひとつ、小ジワ一本すら見当たらない。芸能人でもないのに、どういうカラクリだろうと思う。ま、わたしには関係ないか。
 カメラが切り替わって、画面は香澄と司会者がテーブルを挟んでトークしているツーショットを映し出した。
 ――やっぱり。
 あでやかに笑う香澄の背には、いつものように白くて大きな翼が見える。呼吸するようにゆらゆらと閉じたり開いたり、女性司会者の前髪に触れそうなくらい。でも、司会者は一向に気にしない。気づいていない、翼が見えていないのだ。
 ――私の翼、か。
 彼女は五年前にカフェで語ったとおり、自分の翼を見つけたんだ。香澄の大空へ舞い上がるための翼を。
「空――。こっちにおいで」
 ぼおっとテレビを見ている息子を呼び、おやつに食べたケーキのクリームが頬についたままなのをタオルで拭ってあげる。小さな娘があくびするのも聞こえた、お昼寝から覚めたのだろう。早く片付けなくっちゃ。
 子供は可愛い、旦那は優しい、家族は仲が良くてわたしは幸せだ。でも。

 ――彼女はわたしの背に翼を見るのだろうか。

 テレビを消し、再び洗濯物をたたみはじめた。
 


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