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和傘栗 素敵さん

小説を書き始めました。 よろしくお願いします。

性別 男性
将来の夢 医師。作家。
座右の銘 おもしろき こともなき世を おもしろく。

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病室の花嫁

18/06/26 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 和傘栗 素敵 閲覧数:143

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水を打ったような虚ろな宵闇だった。
さきほどまでの蕭条な雨はおさまり、気づけば霧が出始めている。乳白色の薄霧が、静かに流れ動く。港の方角から、幾度となく汽笛が鳴った。
窓枠に肘をついて、私はぼんやりとその静かな運河を眺めていた。
オレンジや青、緑の光が、水面にくずれて滲み、異様に美化されて、その下にあるすべてを隠しているようにも見える。
私は、いつのまにか、先ほどの彼女とのやり取りを思い出していた。
―遺書をね、書いているの。
閑散な一人部屋の病室で、彼女がそう呟いた。
仕事が終わった帰り。いつものように、彼女の病室にやってきて、花瓶の水を取り替えている時だった。ベッドに身体を預け、小刻みに震える手を私に悟られまいとしながら、紙に筆を進めている。皮だけになったような手の甲が、病がどれほど彼女を蝕んでいるのか、鈍感な私にでも容易に想像することができた。
「遺書なんてまだはやいって」
私は精一杯の作り笑いをしてみせたが、相手を騙すにはなんとも乏しい表情であった。
彼女は、それでも気丈に微笑んで応えた。
「一応ね」
そう言って、また手を動かし始めた。
私は、怖くなっていた。
人は、いつか、死ぬ。頭ではわかっていた。
彼女には、彼女の寿命がある。わかっている、わかっているけど…。
「わたしって、文才ないなぁ」
眼前で、彼女はおどけて見せた。
私は黙って、遺書を書く彼女を眺めていた。
彼女がいない世界にほんの一歩だけ、けれど着実に足を踏み入れたことを、ただただ知った。
心臓に、氷を直接つけられるような悲歎を感じた。
手はぐっしょりと汗ばんでいた。
私は、深呼吸をし、ポケットに手をつっこむ。手が、目当てのものをつかむ。
箱だ。その箱が、私には唯一の光だった。
一カ月前から渡そうと思っていたもの。
「あの、これ」
私は、ベッドに近付き、彼女の目を見て言った。
婚約指輪だった。
「えっ、うそ」
しばらく、茫然としていたが、一筋の涙を真っすぐに流すと、彼女は右手の甲で拭う。
それから、彼女は淡々と返事をした。
「結婚はできません」
―どうして…!
そんな言葉が喉元まで出かかった。私は眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような表情をみせた。
彼女は、私から視線を外し、窓の外を見つめていた。
「だって、あなたと結婚したら…、」
彼女は囁くように、最後にこう言った。
「一人で死ねなくなっちゃうじゃない」
私はその言葉に息をのみ、ただ呆然と彼女の後ろ姿を眺めていた。
彼女の背中だけが、静かな部屋で小刻みに揺れていた。



プロポーズが断られて、数日が経った。
ある時を境に、何度もそのシーンを思い返す度に、死ねなくなるのは、ほんとうは私のほうなんじゃないかと、そんなふうに思うようになっていた。
だからこそ、彼女は突き放すような言葉を放ったのだ。
わたしのために…。
―よし、やってやる。
私は決心をした。
それからすぐに、友人の古谷に電話をした。
繋がると、事情を知る古谷は開口一番、「ついに決行か」と言った。
「協力してくれるか」
「もちろんだ」
古谷は二つ返事で了承してくれた。
「ありがとう。それじゃあ今週末、いつもの病院で」そう言って、電話を切った。



当日を迎えた。
私は慣れないタキシードを着て、病院の廊下でスタンバイをしていた。病室の戸が開き、彼女の友人が頭上で大きな丸を作った。古谷に目配せをする。
古谷は真剣な表情で頷く。それからすぐに、ウェディングの曲が流れた。
病室には似つかわしくない祝いの曲だった。レッドカーペットが敷かれていく。
「えっ、なによ、これ」
きょとんとする目。彼女はなにが起きているのかわからないといった表情をしていた。
「あなた。もしかして…」
私の姿を見たとき、彼女はやっと気付いたようだった。
そして、目頭を押さえて、大きく笑って、小さく泣いた。
彼女の友人たちが、ショートベールと花束を彼女に渡す。簡易的ではあったが、十分に彼女はそれで光り輝いていた。彼女は照れ笑いを浮かべ、それを受け取る。
何気ない病室に、光がさす。
幸せの水位があがったのがわかった。
私はゆっくりと、彼女に近付いて言った。
「結婚してください」
彼女は、小さく、ほんの微かに「はい」と、囁いた。
病室に拍手が咲き乱れた。
牧師の話からはじまり、指輪交換、結婚証明書署名。
そして、ウェディングキス。しょっぱい涙の味がした。
それから、集まってくれた友人たちと写真を撮って、楽しいひと時は穏やかに、あっという間に流れていった。



皆が帰ったあと、簡易ベッドを病室に置いた。
彼女は細い腕を、上空に伸ばし、結婚指輪を眺めていた。
ガラス玉のように澄んだ目。子供が宝石箱を開けるときの目によく似ている。
「ねぇ、後悔してない?」彼女が、天井を見上げながら私に訊いてきた。
「後悔って?」
「今日のこと」
私は、即座にかぶりを振った。
「後悔なんかするわけないよ」
「そう」
彼女はひとりごとのように囁くと、ゆっくりと目を瞑った。
「もう寝ようか」私は、ベッドサイドの電灯を消した。
夜の静けさの中で、月夜だけが二人を照らす。
幸福な今日の一日を思い返す。
病室でのサプライズウエディング。彼女の照れ笑い。震える手。彼女の母はハンカチで目頭を押さえていた。病室で結婚式を許可してくれた主治医の藤堂先生。看護師さんたち。協力してくれた友人たち。
―みんな、ありがとう。
身体が火照って、私はなかなか寝付けそうになかった。
そのとき、「ねぇ、あなた」
彼女が、私を優しく呼んだ。
「どうした? 体調わるいか?」
私は、上体を起き上がらせて、ベッドにいる彼女を見た。
「ううん、そうじゃないの。なんだか、眠れなくて」
どうやら興奮が冷めないのは、彼女も一緒のようだった。
「ドレス姿、とてもきれいだった」私は彼女にそっと呟いた。
しばしの沈黙の後、「ほんとうは、もっときれいなんだから」彼女はそう言った。
それから、二人で結婚式を振り返った。
「今日の牧師さん、話長くなかった?」
「ああ、それ思った!」
「あなたの両親泣いていたね。泣き虫は両親譲りなわけだ」
「きみのお父さんなんか、はじめからおわりまで泣いていたじゃないか!」
他愛ない話で盛り上がった。
そのとき、彼女がしみじみと言った。
「私たち、夫婦になったんだねぇ」
「そうだな」
私も小さく頷いた。
沈黙が続いた。
けれど、その沈黙が、今日は心地良かった。
まるで、お祭りの帰り道のような気分だった。
しばらくして、彼女がまたゆっくりと口を開いた。
「あなた」
「ん?」
「夢、あきらめないでね」
夢。私の夢。作家になる夢だった。
「うん、わかった」
「ねぇ、あなた。わたしの夢もきいてくれる?」
「夢? きみの?」
「そう、私の夢。いま、たったいま、できたの」
「なに」
「あなたが夢を叶えて、天国でその物語をきかせてもらうの」
「わかった」
「ねぇ、あなた、手をつないでくれる?」
「うん、いいよ」
私は、彼女のもとに近付き、手を差し伸べた。彼女の手は、私よりも体温が高かった。
「あなた、おやすみなさい」
「おやすみ」
彼女は眠れないと言っていたが、しばらくすると、すやすやと安らかな寝息をたてはじめた。
私も手をつなぎながら、ベッドサイドで突っ伏した。
目を閉じていると、やはり睡魔は襲ってくる。
今日は、夢の中でも彼女に会えそうな気がして、私は喜んで意識を投げ出した。



それから、数年後…

久しぶりに、彼女の実家に遊びに行った。
彼女の両親と三人で、DVDを見た。お遊戯会の映像がうつしだされる。
「右から二番目が彼女ですね」
「そうよ」お母さんが頷く。
画面には、私が出会う前の彼女の姿があった。
ドレスを着て、音楽に合わせて、優雅に踊っている。
「懐かしいなぁ」お父さんが、頬を赤らめて呟いた。酔いがまわってきたのだろう。
「懐かしいわね、ほんと」お母さんも同調する。
私は、二人の寂しそうな横顔を、黙って交互に見ていた。彼女の面影が、どちらの顔にも見て取れた。
それから、一時間ほど、彼女の思い出のビデオを見た。
幼稚園からはじまり、小学校の運動会、中学校の部活の大会、高校の合唱、就職したときの家族でいった温泉旅行、そして…、病室で挙げた結婚式。
生きていたときの彼女が映像にうつる。その隣には、現在よりも少し若い私がいる。
「きれいだわ」お母さんが呟く。
「俺に似たからな」お父さんが鼻をフンと言わす。
「あら、私に似たのよ」
そんな微笑ましいやり取りを二人は交わす。
そのとき、お母さんが何気なく言った。
「でも、よかったわ。この日、娘の夢が叶ったんだもん」
私は、それを訊いて、目を丸めた。
彼女の…、夢…?
「お母さん、いま、なんて?」
「あら、きいてないの? 娘の夢」
「夢? 彼女の夢ですか?」
「娘の夢ね、心から愛する人と結婚することだったのよ」
「えっ」
そんなこと、一度も訊いたことがない。
「あの子、言ったらきかなくてね。夢といえば職業とかでしょって聞いたら、好きな人と幸せになることが夢だもんって。それが叶ったら、次の夢を持つって、きかなかったのよ」
それを訊いたとき、私の中で、ある言葉が浮かんだ。
あの日の夜。眠る前の彼女の言葉…。たしか…。
―そう、私の夢。いま、たったいま、できたの。
あれは、夢が叶ったから、新たにできた夢だったんだ!
窓から心地よい風が流れて、カーテンが揺れた。
彼女もこの会話を聞いている気がして、私は少しだけ目を細める。
帰り道、コンビニに寄って原稿用紙を買って帰ろう。
天国にいる彼女に、土産話をもっていくために…。


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