くまなかさん

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蛇足

18/06/26 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 くまなか 閲覧数:98

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 真夏の直射日光の中を三時間待っていたから、私は脱水を起こして座り込み、親切な人に促されるまま病院へ向かった。待ち合わせの相手にはとりあえずショートメールで簡単に伝えた。電解質と糖分とを含んだ点滴に血液から口説き落とされて、私は確かに。
(終わった)
そう考えた。なにせ、途中どこかの喫茶店に移動していいか、ちょっとジュースを買ってくる、細々と連絡をしていたけれど”今筆が乗っている。直ぐに行く”一回しか返ってこなかったから。恋人である待ち合わせ相手よりも、よほどこの点滴の方が私を慮ってくれるし、こうして癒やしもしてくれたから。
 もう過去形にしてもいいだろうか。恋人だった相手は作家志望だ。パソコンの前にのめり込むこと甚だしかったが、私に宛てたメールには確かにほのかな詩情があったし、恋人が紡いだ文字列には良くあるような無機質さもなく、よく言う文章の音の響きよりも、本人の体のリズムが良く文字に表れていた。少しぽっちゃりとした……おおらかさと朴訥さがあった。滑稽味と人情が。
 私が恋をしたのは、十四インチのパソコンの画面上だった。掌編の小説を読んだ。ブルーライトを蹴散らすような、生身で猥雑な人々が居る。それは下町に育ち、ホワイトカラーとして働く私にとって、生まれ育ちを全肯定するような一作だった。地である人情と、人情を金に変えていく事に痛みすら覚えていたから、祝福に見えたのだ。
 そこからメールとコメント欄でやりとりをして、私は恋人に初めて会った。会った瞬間に肩を叩きたくなるような気安さと、余り良くない容姿をはにかむ様子すら好意的に映り、その日にはお付き合いを申し込んだ。
 恋人は私の転職を阻んだ。元の年収が良かったし、公務員の端っこにいた恋人は私の仕事を聞きたがった。割と華やかな企業に勤めていたから、何か面白い化学反応が起こるかしらと期待して、聞かれるがまま社外秘と個人情報以外は細々と喋る。恋人の論にかかると、手がかかる老人上司に面白みを見出したし、手こずらせてしまったマナー講師には優しさを、体育会系の同期の強引さすら、何かもののあわれを感じるようで、確かに楽しい時間だった。

 別れ話に恋人は「なんで?」と言った。あれだけの人々の機微を書き分けていても、現実は違うものなのだろうか。私にはそれが不思議に思えた。「私が倒れても顔も見に来なかったでしょう?」丁寧に言い含める。
「だって、本当に大変なら入院だろうし」
「そうだけれど。心配はしてくれた?」
「うん。でないと今日も出てこない」
「締め切り前だっけ」
「明後日。だから、機嫌をなおして……終わったら今度こそ海へ行こう」
「もう約束は懲りたかな」
「そう言わずに。あなたへ詩篇を書いてもいいから」
「そのためにまた約束を破りそう」
「そんなに信頼、ないの」
 恋人は、ここに至ってからりと笑った。私も恋人本来のいいところを見つけてしまう。
「なら、次まで保留するよ」

 待ち合わせは午前十時。私は少し遅れた方がいいかと思ったけれど、恋人は居た。おおきくおおらかに手を振って「まあ、見てよ」と詩篇を私に見せた。私はその性急さも美点と思っていたけれど。
 詩篇には人情が無かった。美辞麗句並んでいたものの、それは恋人本来のものでは無いはずだ。私は読む専門で、作る人の心はわからない。しかし、詩篇は溺れるような恋の終わりに掴む藁としては余りにも脆いものだったのだろう。
「どうかな」彼女は期待を込めた顔をしたけれど。
「……あとがきとしては優秀だね。こんなの、君の文章じゃないよ」


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