1. トップページ
  2. 図書館の同級生

あらしおさん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

図書館の同級生

18/06/24 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 あらしお 閲覧数:74

この作品を評価する

 図書館の中は涼しい世界が広がっていた。自宅から自転車で三十分。炎天下の中を全力疾走してかいた汗も一瞬のうちに冷えてしまった。
 いつものように自習スペースの一番奥の席に出入口のほうを向いて座った。館内全体を見渡せる席だ。すぐ隣には本が並んでいて参考書もすぐ使える。何より気晴らしにすぐ小説を手に取れるのがいい。マ行から始まるその棚には、お気に入りの作家の作品が並んでいた。
 早速、数学の問題集を机に広げる。昨日は解けずフィクションの世界に逃げることになった微分の問題に再び挑んだ。しかし、やはり分からない。教科書や参考書を行ったり来たりして、時に解答をチラ見しながら、一時間かけて戦いを終えた。結果は完敗だろう。近々リベンジするためにページの端を折り曲げ、問題集を閉じた。
 志望校の過去問を広げながら館内を見渡した。八月の平日は夏休みの生徒や親子が多いが、さすがは図書館、いたって静かだ。自習スペースはほぼ埋まっていて、自分と同じように一人で受験勉強をしているような姿もあれば、中学生らしき数人が机を囲み宿題をする姿もある。一席はご老人が新聞を広げていた。
 真正面には貸し出しカウンターと出入口とが見える。出入口の扉には透明なガラスがはめ込まれていて、そこからは外の風景が見える。目が疲れたときは、そこから外の景色を眺める。
 英語の問題を終えたところで、小さなアルファベットを追っていた目を癒すために出入口の扉を見ると、ちょうど一人の生徒が入ってくるところだった。
 同じ学校の制服だった。顔に見覚えはない。しかし、その顔を見て、なぜか胸が高鳴るのを感じた。
 その生徒は右斜め前にある空席に出入口を背にして腰を下ろし、分厚い赤い本を取り出した。同級生のようだが、やはり誰か分からない。大きな学校ではないから三年も経てば異性でも大体の顔は見たことがある。それでも見慣れないということは理系なのだろうか。机の上の赤い表紙には有名な難関大の名がある。この過去問よりもはるかに難しいはずだ。
 同級生は過去問を広げると、真剣な表情で勢いよく解き始めた。シャーペンの音が静かな図書館に響いていた。

 同級生はその日から毎日図書館に現れた。
 自分が汗だくでいつもの席に着き、解答目安六十分の問題を解き、解答の確認を終えたくらいに、同級生は制服で現れて斜め右前方の席に出入口を背にして座る。汗一つかいていないその顔は涼しげだった。制服で現れるのは、午前中に学校である集中講義に参加しているからだろう。自由参加なのに真面目な人だ。
 同級生は席に着くなり休む間もなく問題を解き始める。時間を計っているようで、一定の時間に達すると一瞬の休息が入る。そしてまたすぐに解き始める。やがてシャーペンを赤ペンに持ち替える。そこからまた長時間、問題に向かっている。残った問題や見直しも丁寧にやっているようだった。やはり真面目な人なのだろう。成績優秀なことにも納得がいった。
 髪型と体型からおおよそ見当はついていたが、バッグにつけられたフェルト製の手作りストラップから、部活が分かった。引退して一か月も経っていないのでないか。帰宅部とは大違いである。
 数Vの教科書を開いている姿を見たこともあって理系であることが確実になった。理科の選択科目も自分と同じ化学と生物のようだ。むろん基礎科目ではないのだろうが。
 同級生は正午を回ってから図書館に現れ閉館前には帰る。自分は図書館で過ごす午後をいつからか簡単な勉強で済ませるようになっていた。難しい問題は午前中か図書館からの帰宅後に取り組んだ。
 ある時、友人なのだろうか、二人で図書館に現れたことがあった。
 友人らしき生徒は一年の時のクラスメイトだったが、異性との交流が少ない自分は話した記憶がない。見かけても挨拶をするということはないし、この日も例外ではなかった。そもそも自分は気づかれていない。一年の時の影の薄いクラスメイトなど覚えていないだろう。
 例のごとく右斜め前方に出入口を背にして座った同級生に対して、友人らしき元クラスメイトはその向かいに座った。
 いつも静かに勉強をする同級生も、友人といるときは楽しくお喋りをするようで、この時初めて笑顔を見た。小さな声で話してはいるが、席が近いため時々会話の内容も聞こえてくる。二人は同じクラスらしい。
 やがて先日の全国模試が話題に上がった。成績優秀な同級生も現状は厳しい判定のようだった。難関大学なだけあって、進学校とは名ばかりの田舎の公立高校では難しいものがあるのだろう。元クラスメイトのほうは成績が良くないらしい。その日はずっと元クラスメイトに勉強を教えていた。
 同級生は容姿も魅力的だったが、時折垣間見える人間性が素晴らしかった。自らの勉強はそっちのけで友人を手伝う優しさを持ち合わせている。勉強をしている姿はとても真面目だが友人といる時はまた印象が違う。自らは出しゃばらず、それでいて退屈そうなわけでもなく、実に楽しそうに友人の話を聞いている。きっと多くの人が好感を抱くだろうタイプだった。
 本も好きなようだった。三時間ほど続けて勉強した後、同級生は少し長めの休憩をとる。その時は決まって小説の並ぶ棚の前に行き眺めている。時には帰り際に一冊を手に取り借りて帰る。読書という趣味を持っているとは非常に好感が持てた。
 ある日、帰り支度を済ませ、荷物を持って立ち上がった同級生は出入口へは向かはず、まっすぐ自分のほうに向かって歩いてきた。驚いて一瞬身構えたが、同級生は途中で進行方向を変えマ行から始まる本棚へ向かった。横目で見やると一冊の単行本がその手の中にあり、心が躍った。それは自分が文庫版を肌身離さず持ち歩くほど愛読している作品だった。貸し出しカウンターへ向かうその背中をそっと見送った。

 夏休みも終わりに差し掛かったある日だった。
 右斜め前方の例の席にいつもと違う人が座った。あの日以来、初めての出来事だった。
 席を奪ったのは同じ学校の制服の生徒だった。同じクラスになったこともある顔見知りの生徒だが、おそらく自分には気づいていない。同性であっても張り切って喋るほうではないので、その生徒ともほとんど喋った試しがなかった。
 その生徒は出入口を背にして座ったが、まったく気づいた様子がない。影も薄くて制服も着ていない自分など分からないのも当然だろう。やがて問題集を広げて解き始めた。いつも元気でお茶らけたイメージのある生徒だったため、真面目に勉強している姿は意外だった。
 しばらくすると図書館の出入り口の扉が開いて例の同級生が現れた。いつものように奥へ向かって真っすぐに歩いて来る。いつもの席には先客がいるが、左側はまだいくつか空いていた。きっとそこへ座るのだろう。そう思い込んでいた。
 ところが同級生はいつもの席の横を通り、席を奪った生徒の向かいの椅子を引いた。いつも出入口に背を向けて座る同級生が、今日は出入口のほうを向いて座った。
 席を奪った生徒は向かいに座った同級生に笑顔で話しかけた。同級生もそれに応えたようだったが、その表情は見えない。声も聞こえなかった。やがて問題集を取り出し勉強を始めた。時折、言葉を交わして教え合いながら、二人は勉強していた。音は聞こえない。見えるのは席を奪った生徒の笑顔ばかりだった。
 右斜め前方のテーブルから視線を外し、しばらく勉強を続けることにした。しかし集中力が続かない。十分と経たずにやめた。
 荷物をまとめて立ち上がると、初めてあの同級生に自ら近づいた。
 何か言ってやろうかと思った。しかし、声をかけることはおろか、目線さえ移すことができなかった。黙って二人の横を通り過ぎ、出入口へ向かった。
 貸し出しカウンターの前に来ると、先週借りた本を持ってきていたことに気づいた。以前あの同級生が借りているのを見て気になったものだった。読み終えたときには満足感もあって面白いと思ったが、今思えば大したことはなかったような気がする。その本を返却し、出入口の扉を開けた。
 扉が閉まる瞬間、ほんの少しの嫉妬心が自分に振り返ることを許してしまった。
 出入口の扉には透明なガラスがはめ込まれていて、中の様子が見える。
 今日は出入口のほうを向いて座った同級生が、この扉のガラスを見ていた。
 目が合った。
 実際は一瞬の出来事だったのだろうか。体感としてはとても長い時間だった。
 やがてあの同級生は目線を外した。席を奪った同級生が話しかけたようだった。
 自分は出入口の扉に背を向け、図書館を後にした。八月も終わりに近づいたが、図書館の外はまだ暑い。三十分自転車を漕いでも、昼間は留守の自宅に涼しい世界はなかった。

 あの日以来、図書館には行っていない。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン