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飛鳥かおりさん

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言葉にせずとも

18/06/20 コンテスト(テーマ):第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】 コメント:0件 飛鳥かおり 閲覧数:168

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 月に一度の行事の日が今月もやってきた。芸人がやってくるのだ。毎日ひたすら単純作業をこなすだけのつまらない日常に変化をもたらすただ一つの行事でありながら、その実とても楽しめるものではない。笑えば処罰という監視体制のなか聞かされるお笑いなど精神修行以外の何物でもない。
「並べ」
 雨と汗の匂いが漂う体育館。俺たちは機械的に並べられたパイプ椅子に番号順に着席させられ、後ろで手を組んだ状態で背筋を伸ばす。一言も発することは許されず、芸人が出てくる瞬間をひたすらに姿勢を保って待つ。こんなことは苦でも何でもない。問題なのはこのあとだ。
 芸人が入ってきた。今日は二人組の漫才のようである。もう慣れている俺は全く聞く気もなく、いつものように考え事を始めた。思い浮かべずにいられないのは、十年前に喧嘩別れした息子のこと。

「父さん、俺、芸人になりたいんだ」
 息子が大学二年生になり、そろそろ将来について本格的に考えだす頃、突然そんなことを言い出した。
「芸人なんて安定しない職業、やめておけ!」
 親子喧嘩は長らく続いたが、最後は俺の「なんのために大学まで行かせたと思ってるんだ」の一言で、息子は大学を辞め家を飛び出した。それ以来連絡もなく、いまに至るまで音信不通である。
 なんで息子にあんな偉そうなことを言えたのか。当時の俺をぶん殴ってやりたい。殴って蹴って正座させて、説教を垂れてやりたい。何様のつもりだ、と。
 それから俺はこんな場所に収容されて、妻にも心配をかけて。誇れるような親とは真逆の存在。親の脛も齧らず一人で――あるいは誰かと出会って――生きている息子の方が余程立派なものである。俺がここにいることをあいつが知ったらどう思うだろうか。
 ざまあみろ。恥晒し。
 何とでも言ってくれ。どんな言葉でもいいから、もう一度声が聞きたい。元気な顔が見たい。

 芸人の話は左耳から入り、脳を介在せずに右へと流れていく。
 彼らもこんな所で仕事をしているあたり、所詮は二流、もしくは三流以下だ。芸人を目指す多くの者たちのなかで、一流になれるのなんてほんの一握り。
 だが、それは何に対しても同じなのではなかろうか。結局俺は一流企業に入っても上役の機嫌を取りながら立ち回るだけの自分のことが嫌いで嫌いで。好きなことにまっすぐ向かっていこうとした息子が羨ましかっただけなのかもしれない。
 あの芸人にしたって、誰にも笑ってもらえないとしても舞台に立つからには自分のネタに誇りを持って披露しているに違いないのだ。そういった者を見下げることで自己肯定しようとしていた己の器の小ささに、溜め息混じりに失笑する。
「27番、立て」
 しまった。笑ってはいけない時間である。芸人のネタに対してだろうが己に対してだろうが監視員には知ったこっちゃない。
 一度目は列の端で直立不動姿勢。二度目は懲罰房行きだ。
 俺は立ち上がり通路側へと移動しながら、そのときになって初めて芸人の顔を見た。
 バチッ――実際に音が鳴ったわけではないが、それほどに強く、俺の視線を俺を見つめる視線が捉えた。芸人コンビのうち背の小さい方が、俺のことを凝視していたのである。
 なんで、こんなところに――
 コンビの片割れにいる彼は、俺が最も愛した男だった。十年ぶりの再会がまさかこういう形で果たされるとは思いも寄らなかった。
「そこ、早くしろ」
 列の真ん中で立ち止まった自分への叱責が漫才の邪魔になる。俺はそそくさと端に移動し、気を付けの姿勢を取った。ここでようやく漫才の内容に耳を傾ける。
 彼らが披露しているのは、家出した息子と叱りに追いかけてきた父親のネタであった。俺は聞きながら眉間に皺を寄せ、熱くなる目頭を必死で押さえつけた。

 あははっ。あははは。あははははははは。
 俺の笑い声が狭い体育館に響き渡る。彼らの芸も残り数十秒というところだ。
 誰も笑わない舞台。俺だけは賞賛の意を込めて大声で笑ってやる。誰の文句も受け付けない。
「おい、いい加減にしろ!」
 俺は監視員に両腕をがっしりと掴まれた。
 あいつの舞台が終わるまでここを出てたまるものか。抵抗する俺を監視員が引き摺っていく。俺は小さくなっていく息子の姿を目に焼き付けながら、腹の底から笑った。滴る涙が俺の顔を顎の下までぐっしょりと濡らしていた。
 ちょうど体育館の出口まで引き摺られてきたところで、あいつらの舞台は幕を閉じた。閉まりかけたドアの向こうで揃ってぺこりと頭を下げている二人組に向かって、俺は最大限に声を張り上げた。
「お前ら、最高だったぞ!」
 ゆっくりと静かに閉まったドアの向こうであいつがどんな顔をしていたのか、俺には知る由もない。しかし、これから待ち構える苦痛の日々が屁でもないほどに、俺の心は喜びと安堵で満たされていた。


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