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一青アランさん

音楽作品を読み取ることが昔から趣味でした。音楽と言葉に関わる仕事がしたく、社会人になって、通常の仕事と併せてアナウンススクールに通い、DJ、放送作家コースを卒業。その後はコミュニティfmやネットラジオでラジオのパーソナリティを担当したり、放送作家さんのもとで原稿を作成したりしてました。 現在もブログで和訳したり、世の常についていろいろ綴っています。

性別 女性
将来の夢 英語で詩や小説、文章を書き、世に発表する。
座右の銘 To see a World in a Grain of Sand And a Heaven in a Wild Flower, Hold Infinity in the palm of your hand And Eternity in an hour ひと粒の砂に世界を見つめ 荒野の花に楽園を見よ 手のひらに無限をつかみ ひとつの時間に永遠を抱け

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ちょび髭おじさん

18/06/16 コンテスト(テーマ):第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】 コメント:0件 一青アラン 閲覧数:87

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「ママ、いってらっしゃい」
大好きなパンダのぬいぐるみを両腕に抱えた4歳の娘が保育施設の下駄箱が並ぶ出入り口で、私にお見送りの言葉を投げかける。
「行って来るね」
私は、二つに結わいたおさげ髪を揺らしながら保育士のお姉さんの手に引かれ施設の中へと進んで行く娘の後ろ姿を確認した後、自転車に股乗りし立ち漕ぎで職場に向かう。
先週梅雨入り宣言された雲空の中、私は超高速で自転車を跳ばす。じめついた熱気により汗だくになりながら到着したのは5階建てのオフィスビルだ。私はここで保険会社の営業職に就いている。フロアでタイムカードを押して、自分のデスクに座りパソコンを立ち上げて一呼吸
「ふうーー」
隣のデスクに座っている後輩の山下が「今日もお疲れ様です」と気遣いの言葉をくれた。私は吹き出ている額の汗を汗拭きシートで拭いながらありがとうと返す。その直後に山下は今日の顧客訪問スケジュールを確認。
「今日は3丁目の佐々木さんのとこと、あと桜台の金城さんのとこがメインですね」
「そうだね。山下君と一緒に動くのはその2件で、あと私は午後5時から部長との面談があるね」分厚い手帳をめくり私は自分のスケジュールを見ていた。私を励ますつもりで山下が
「頑張りましょう、すず…橘さん。」と言った後、しまった!という顔をしていた。私は笑顔を作りながらこう言う。
「しばらくの間は鈴木でも橘でも、どっちでも大丈夫だよ」
一か月前に協議離婚をした私の苗字は「鈴木」から旧姓の「橘」に戻ったばかりだった。周りが旧姓に呼び慣れないのも無理はない。離婚の理由はいわゆる「不一致」。性格だけでなく生活習慣や未来への志向等、上げれば切りのないものだった。

雲空の隙間から謙虚な陽の光がアスファルトを照らす中、本日2件目の案件のため世田谷の桜台に足を運ぶ。顧客宅から近いコインパーキングに社有車を駐めて、小さな店が建ち並ぶ商店街を山下と歩いていた。
「佐々木さんとこはご主人が結構ネックですね」
山下が1件目の訪問先での個人年金保険への案内が上手くいかなかったことを残念そうにぼやいていた。まだ初回の案内だから手応えがなくて当然だと山下をなだめる。
商店街を進むと並びに1件の古びたDVDショップがあった。小さなショーウィンドウには「オールディーズ特集!」と書かれたポップと共に歴代の名作映画DVDケースが整って並べられていた。その中に私はチャップリンの作品を見つけ「昔良く観てたなあ」と呟いた。彼の醸し出す雰囲気が好きだった。なんでもないけど、でも笑ってしまう。その空気が好きだった。
山下が「チャップリンですか。僕はまだ観たことないな」と興味なさそうに返答した。私は山下を急き立て顧客宅へ小走りした。
午後5時過ぎ、部長との面談のため小会議室へ移動した。たわいない会話から始まり部長から言い渡されたのは、顧客を廻る営業からサポート側へと働き方を変えてみないかという提案だった。要はデスクワークへ職務チェンジということだ。残業続きのママさんを置いておくことは会社の労働形態からみても芳しくないというところだろう。娘のお迎えの時間に間に合わないため両親にお迎えを頼むことも少なくない。事実今日も昼休みにお迎えのお願いメールを送ったばかりだった。部長の提案は優しさを含んでいたが、入社してから営業職一本でやってきた私は何となく居場所を失った気がした。
効率の悪い進捗だった今日の仕事に一区切りをつけ、午後9時頃に私はオフィスを出た。実家はここから自転車で30分以上ある。少々生気のない姿で自転車を進める中、部長の言葉が脳内をリフレインしている。
私は頑張りが足りないのだろうか。
私は何かを間違えていたのだろうか。
私は涙腺に涙が滲み、目の前がぼやけていくのを感じていた。視界の悪い中、自転車に両足を無造作に託していると大粒の雨が降り出し、更に視界が悪くなった。なんだかなー。とぼやきながら頬に暖かい涙と冷たい雨を感じながら実家へ向かった。
やっとの思いで実家に辿り着き、覇気のない動きで玄関を開ける。娘が「おかえりー」と廊下をテトテト小走りしながら迎えてくれた。びしょ濡れになった私の姿を見た娘は少し驚いた顔をしていた。だが次の瞬間
「ママ、パンダさん!」
と私の顔を指差してケタケタ笑い始めた。私は玄関の窓ガラスに写った自分を見て思わず吹いてしまった。雨と涙の水分によってアイラインが見事に目の周りに馴染み込み、これまた見事な完成されたパンダ顔がそこにあった。
「本当だ、パンダさんだね」と私は一緒にケラケラと笑っていた。娘は笑ったまま私に抱きつき言う。
「パンダさん、大好きー」

そういえば、あのハット帽を被った面白い歩き方をするちょび髭おじさんが言ってたっけ。
「人生は一部を見れば悲劇だが、長い目で見れば喜劇なんだ」って。


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