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功刀攸さん

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踏み出す一歩

18/05/26 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:0件 功刀攸 閲覧数:111

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 ある日のことでした。突然ぐらりと揺れる視線の先に、ある男性の泣きそうな顔が見えたのです。
 母と私。よくある母子家庭で、父の顔は知りません。きっと父も私のことを知らないでしょう。何せ、父と母の関係は一夜限りのもの。それ以降、母は父と会ったことも連絡を取ったこともないと言っていたし、私は父の連絡先を知りません。母は父の連絡先を知っているようでしたが、私はどうやら父にとって望まれない存在ということなので、連絡先を教えてもらうことはありませんでした。
 父に望まれない存在だからといって、母に望まれない存在というわけではありません。母は私を亡くなるその時まで、私を愛してくれました。たった一人で子供を育てるなど、大変なことだというのに。どこの馬の骨とも知らぬ男に孕まされた一人娘を切り捨てた、母方の祖父と違ってなんと優しい人なのでしょうか。いえ、祖父の気持ちが分からないわけではないのです。大切に育ててきた一人娘が誰とも知らぬ男の子を孕み、相手は妊娠したことなど知らぬから一人で育てると言われれば、思わず拒絶の言葉も出るでしょう。
 そうして実の父に切り捨てられたと思った母は、祖母の援助を受けながら私を育ててくれました。私が保育園に入った頃から、どうやら祖父も祖母と共に援助を行っていたようですが、私がそれを知ったのは中学校に入ってからのことです。母の稼ぎだけでは、私を学校に通わせることは難しかったようで、祖父母からの援助で私たちは人並みの生活ができるのだと、その時に知りました。
「情けないお母さんで、ごめんね。ごめんねぇ」
 そういって、母はいつも私に隠れて泣いていました。私は母を情けないと思ったことも、感じたこともないのに。母にあるのはただただ感謝で、けれど母の涙が止まることはありませんでした。そうして少しずつ病んでいった母は、過労と精神の衰弱で病み、煙となって天へ昇りました。
 早朝は新聞の配達、昼は近所のスーパーでレジのパート。夜は内職と、母は私を育てるために必死でした。祖父母からの援助もあるけれど、どうにか母は私を一人で育て上げようとしたのです。祖父母もそれを知ってはいましたが、理解はしていなかったのでしょう。祖母は母と顔を合わせるたびに、電話をかけるたびに実家に戻ってこないかと言っていたのです。しかし母は最後まで、最期を迎えるまで拒否し続けました。
「お母さんが死んだら、おばあちゃんと……おじいちゃんのところに行ってね。大好きよ」
「うん。おばあちゃんと、おじいちゃんのところだね。分かったよ、お母さん。私も、私も大好きだよ」
 母の最期は呆気ないものでした。先程まで顔を合わせて話をしていたというのに、ふと視線を外した隙に――気づけば母は眠るように息を引き取ったのです。あまりにも突然で、あまりにも穏やかで、死という存在が目の前にあるはずなのにも関わらず、私は笑みを浮かべていました。
 そして私は祖父母に引き取られ、その後無事に高校を卒業することができたのです。大学への進学は考えていませんでした。母はせめて短大でも卒業させたいと考えていたようですし、祖父母は四年生大学へ通ってもいいのだ言っていました。しかし私は少しでも早く定職に就き、祖父母へ母にすることのできなかった親孝行というものをしたかったのです。せめて保育園から高校までの間に援助してもらった学費やその他雑費にかかった分のお金は、しっかりと返済しようと思っての選択でした。
 祖父は何も言いませんでしたが、祖母は気にしなくてもいいと言っていました。しかし、それでは私が納得できなかったのです。父のいない私をここまで育ててくれた母。そして、そんな母と私を助けてくれた祖父母に何も恩返しをしないままでいるなど、私が許せなかったのです。
 そして私は祖父の友人が経営している建設会社に就職しました。高校は商業学校だったので、事務方です。高校とは違う環境に慣れるには少し時間がかかりましたが、会社の人たちは同期でも年上ばかりで優しい人ばかりで特にこれといって心配はありませんでした。
 母が亡くなって五年ほど経った頃でしょうか。ある一人の男性と出会いました。
「始めまして。君が、彼女の娘だね」
 男性は、私の父だと名乗りました。しかしそれが本当かは分かりません。だって、私はその場から逃げ出したのですから。生まれてから一度も会ったことのない父を、出会ったばかりの男性を父だと、どうして認めることができるのでしょうか。父は私が生まれたことなど知らないはずです。一夜の過ちで生まれた私のことなど、それ以来会うことも連絡を取ることもない女性の娘だとどうして知ることができましょうか。
 そして、私は階段から足を踏み外してしまったのです。私の名前を呼ぶ、父と名乗る男性の目の前で。


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