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浮遊する恋の危険性

18/05/21 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:0件 以下 閲覧数:78

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 濃いオレンジ色の夕暮れの中で見る踏切の影はさながら寂しい墓標だった。遮断捍がゆっくりと、ちょうど夜の帳を下ろすかのように下降していく。
 この踏切は車両基地の近くにあり、運が悪いと二十分近く足止めを食らう。開かずの踏切として付近の住民から避けられているのだが、勿論利用する者もいる。遮断捍のこちら側には人影が二つ、あちら側には車が一台止まっていた。
 警告音に立ち止まった少女は長い髪に止めたヘアピンの位置が気に掛かるらしくずっとそれを弄っている。小さな銀色の星がきらきら偏光する、控えめだが可愛らしいデザインだ。彼女なら全力で走れば踏切を渡り切ることも出来ただろうに、そうしなかったのは髪が乱れるのを嫌ってだろうか。
「お嬢さん、恋をしているね」
 隣に並ぶロマンスグレーの老紳士が少女に優しく語りかけた。少女ははっとした顔で老紳士の横顔を見上げて、ぽっと赤く染まった頬を手で覆い隠す。
「いいんだよ、恋は素晴らしいものだ。でもね、時には素知らぬ振りで隠しておかないととんでもない目に遭うこともある。足元をご覧」
 老紳士の声に誘われて私も彼女の足元を見た。黒いプリーツスカートからすらりと伸びた脚の先。白いハイソックスとマホガニーのローファーに厳重に包まれたそこは、地面から三センチほど浮いていた。
「やだ、私ったらいけない」
「浮かれる心も解るけれど、外では足をしっかり地面につけるんだ。さあ、心を落ち着けて。万が一奴らに見つかったら大変だからね」
 胸に手を当てて一呼吸すると少女はすぐに地面に降り立った。老紳士と少女はいたずらげに目配せし合う。
 その二人を一発の銃弾が裂いた。老紳士がどうと地面に倒れ込む。季節によっては猪や鹿がよく出没する田舎では銃声はそこまで珍しいものではなく、周辺は相変わらず踏切の警告音がカンカン無感動に鳴り響くのみ。一周回って逆に静かなくらいだった。
「当たったぞ!」
 そんな声が聞こえたけれど、やってきた特急列車の轟音にすぐ掻き消された。
「おじいさん!しっかりして!」
 少女は老紳士の上半身を抱え起こし、必死に呼び掛ける。最初は目を閉じ苦しげに呻いていた老紳士は、やがて少女の手を取り、胴に銃弾を受けたとは思えない穏やかな声で語りかける。
「お嬢さん、奴らが駆けつける前に逃げなさい。奴らは我々の持つ浮遊する能力を悪用する気なのです」
「能力?こんなの誰かに恋する気持ちがあれば誰だって出来るじゃない?それなのに、酷すぎる!」
「その通り。これは誰だって持ち得る気持ちだし能力だ。でもね、人々は意外と気が付いていないんだよ。特に奴らなような者が浮かぶことは一生無いだろう」
 特急列車はとうに通り過ぎているが、入れ違いに普通列車が線路を走っている。車輌の中の人々は皆疲れてうとうとするかスマートフォンを見るかしていて、老紳士と少女に気をとめる者はいない。万が一ちょっと目の端に映ったとしても、彼らは時速百キロの速度で一瞬にして遠ざかってしまうのだ。
「お嬢さん、さあ、もうお行きなさい」
「いいえ、今救急車を呼びます。おじいさん、もう喋らないで」
「そんなものいらないよ。私も君と同じで、この後は愛しい人に会いにいくんだ。君が飛ぶのを見送ったら飛び立つ。だから早く、君が想う人を強く頭に浮かべて」
 少女は老人の言葉を正しく理解したようだった。老人の頭をそっと冷たいアルファルトに下ろすと、雑念を避けるように瞼を閉じた。
 少女の身体がふわりと浮く。ぐんぐん高く浮遊し、黒いセーラー服は最早夜と呼ぶべき紺色に溶けた。時折髪留めの銀の星だけがきらきらと偏光していたが、やがて線路の向こう側のどこかへ消えた。
 老紳士は銀の星を見送ると胸の上で手を組んで目を閉じた。彼の身体はひたすら垂直にぐんぐんと浮かんでいく。
「今から会いに行くからね、君」
 そう小さく囁く声が、小さくても確かに、聞こえた。

 現在線路の上では回送列車がでんと横たわったまま動かない。老紳士の曰く「奴ら」は踏切の向こうできっと歯噛みしているだろう。途切れ途切れに見える景色の中から車がなくなっているので隣の踏切まで走っている最中かも知れない。
 私はそっと目を閉じてみた。愛しい者を思い浮かべる。朗らかな笑顔。私を呼ぶ優しい声。暖かな手の平。だが上手くいかなかった。私の足はぴたりと地に張り付いていて、彼らのように飛んでいけない。
「クソ、逃げられたか」
 いつの間にか踏切が開いていた。向こう側からやってきた男はすっかり日が落ちた周辺を眉間に皺寄せて見渡す。
 草むらの中にきらりと光ったものがあった。一匹の野良犬の眼だった。首輪をしているので元は飼い犬だったのかも知れない。野良犬は暫く男をじっと観察していたが、やがて尾を向けて走り去った。
 踏切がまた警告音を鳴らし始めた。


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