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しりとり

18/05/07 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:0件 sandie 閲覧数:123

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 病院から帰る途中、母は幼い僕を連れて映画館に寄った。
 片田舎のさびれた古い小さな映画館。
 窓口の前に立っていた色の白いやせた若い男からチケットを買い母はトイレに入って行った。
 タイツが伝線したからさっき買ったのに履き替えてくる、と言い残して。
 とにかくどこへ行くにも何をするにも長く待たせるのが倣いの母だったので、僕は待つのには慣れていた。
 ポイントは知らない人にはついて行かないこと。
 何かあったら大声で周りの人に知らせること。
 あとはおとなしくひたすら待てばいい。

 客の出入りも途切れる時分で次の上映時刻まではまだだいぶ間があった。
 閉ざされた館内のドア扉から洩れる音楽がかすかに聞こえてくる。
 外で降りつづいていた雨がひと際激しさを増し道路を叩きつけるように落ちるのを、入口扉の窓ガラス越しにぼんやりと見ていた。

「お母さん、遅いね」

 いきなりうしろからかけられた声に驚いて振り返る。
 チケット売り場の青年がにこりと微笑んだ。
 母はたぶん化粧直しでもしているのだろう。ついでに煙草を吸っているかもしれない。

 じゃあさ。しりとりしよっか。

 こくりとうなずいた僕に、じゃ、しりとりのり!
 と傍らにしゃがみこむと窓の外を見ながら彼は言った。

 ……りんご。ゴマフアザラシ。……しちみ。み? んー、ミドリガメ。めがね。んー……あ、ちょっと待って。

 ドアを開けて入って来た1人の客の顔を見るなり、青年の目にひとすじの光がはしった。

「いらっしゃいませ」

「ども。また来た」

 今日は、いつ終わるの。そのあと予定なければ食事でもどう。
 な、毎週通い詰めてるんだぜ俺。わかってるんだろう、そろそろ心開いてくれねーかな。

 仕事中ですから。

 胸元の開いたボタンの奥にのぞくシルバーのネックレスをいじりながら伏し目がちに青年が答えた。
 その色の白さに吸い寄せられたように凝視するでかい作業着姿の男の横顔を僕は盗み見る。
 ごくり、とその喉が上下するのがわかった。
 めがね――僕の発したことばの切れ端は宙に浮いたままだ。

 なあ、1回くらいつきあってくれよ。

 チケットを渡す白い手を包み込むようにして受け取るごつい大きな手、そのまま離す素振りはない。
 沈黙と紅く染まった青年の耳。おにいちゃんが困ってる、と思った僕はとっさに叫んでいた。
 ねぇ――

「めがねのね、だよ! ね!」

 浮遊していたことばの切れ端をつかみとり、突きつける。
 二人の目が同時にこちらを向いた。
 僕がその場にいたことをようやく思い出したようにぱっと離される手。

 …あ。うん、ええと、ネズミ!

 ネコだろ? じゃ、またあとで。考えといてな。

 扉の向こうの観客席に消えて行く男のうしろ姿を一瞥すると青年は僕に向かって、み、だよ。と笑いかける。
 なぜだろう。その目が濡れた飴のように潤んでいるのを見て僕は無性に言いたくなったんだ。

 「ネコ」でもいいよ、おにいちゃん。

 すとん、とことばのカケラが落ちて胸の底に嵌った。


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