W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

投稿済みの作品

0

影響

18/05/05 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:64

この作品を評価する

 そのニュースの内容を真に理解したものはおそらくほとんどいなかったとしても、毎日のようにテレビの画面に黒ずんだ渦巻き状のCG画像がうつしだされて、識者、科学者、政治家、はたまたお笑いタレントたちが真剣な顔をよせあってさかんに意見交換する場面が連日放映されるのを、だれもがみたにちがいない。

 日菜子はしかし、それどころではなかった。半年前、じぶんの落ち度で手をひいていた老母が石段につまずいて倒れた拍子に股関節を折ってしまった。
 老母は一か月後に病院からだされて自宅で療養することになった。年老い、もともと体の弱かった母は、寝台での生活で脚部の筋肉がやせ衰え、まもなく自力での歩行はできなくなってしまった。
「寝たきりだけにはなりたくないね」
 と常々いっていたその寝たきりにさせたことに、重い責任を感じた日菜子は、病院通いを日課にしているような父親にまかせるわけにもいかず、決心してそれまで勤めていた会社を退職し、母の介護に専念することにした。
 けっして安易にかんがえていたわけではない。高齢者の介護がいかにつらく、大変なものだということは百も承知のはずだったが、いざじっさい、日に日に体がうごかなくなっていく母親の介護をはじめてみると、わずか数日でたちまち音をあげそうになった。介護ヘルパーをたのむこともかんがえたが、心から優しい人がくるならともかく、なかにはそうでないものもすくなくないときく。控えめで、高圧的な相手には委縮してしまう母のことをおもうと、やはりしらない人間にまかせるには忍びなかった。
 夜も昼も、片時もはなれず母をみまもっていると、そのやつれ方はひとしおではなかった。ベッドにへばりつくようによこたわるその姿は、まるでみずからの重みに押しつぶされそうになっているかのようだった。トイレにいくときなど、日菜子が肩をかしても、足がよろよろとおぼつかず、このときほど廊下のトイレを遠く感じたことはなかった。
 それでも日菜子はなんとか、母を抱っこしてトイレまでつれていっていたが、あるとき腰がズキンとひびいていやな痛みがつづいてからは、尿瓶と簡易トレイをベッドの下に用意するようになった。
「もうあたしなんか、死んだほうがいいんじゃないかしら」
 ちかごろ母は、よく弱音をはくことがあった。
「なにをいうのよ。しっかりしてよ、お母さん。わたしがついてるじゃないの」
「だけど、日菜子にばかり迷惑をかけて……」
 このとき日菜子は胸のなかで、母が死んだらどれだけ楽だろうとかんがえている自分を知って、背筋がさむくなった。ほとほと自分の弱さに愛想がつきた。
 その夜も、母がなんども体位をかえてくれとせがむのに、日菜子は重い母の体をなんどももちあげては、体の向きをかえてやった。疲弊のあまり、うとうとするたびにベッドのうえから母の、「日菜子、日菜子」と呼ぶ声がきこえて、床に寝ていた日菜子は目をさましては、また母の体位を変えるのにやっきになるのだった。
 そのうち意識がもうろうとしてきて、その場に崩れるようにねこんでしまうとあとは、泥のようにねむりこけてしまった。
 窓からさしこむひかりに、ふと目をさました日菜子は、なんだか気持ちがいつになくかろやかに感じられるのをふしぎにおもった。昨夜あれだけ起こされ、母の体位変換に全力をついやしたというのに、どうしてこんなに軽快なのか、わけもわからずベッドの上の母をながめた。
 母が、シーツの上におきあがって、笑っていた。とうとうあたまがおかしくなったかと一瞬、よからぬことをかんがえた日菜子だったが、母の、若かりし日のような天真爛漫な笑顔をみて、これはちがうと直感した。
「お母さん、すわれるの」
「もちろんよ。すわるだけじゃなくてよ」
 そういうと母は、支えもなにもつかうことなく、ベッドのうえにぴょんとたちあがった。おもわずあぶないとさけびそうになった日菜子の目前で、なんと母は、くるりとバック転をしてみせたではないか。あたまがおかしくなったのはじぶんのほうだと日菜子は、介護疲れがマックスにたっしたことを自覚せずにはおれなかった。。
「なんだか、体がむちゃ軽いのよ。あなたもやってごらんなさい」
 ベッドから床にとびおり、またとびあがってみせる母だった。目の前にくりひろげられる老母のアクロバットに、ひやひやしながらも日菜子は、うながされるままに一度その場でとびあがってみた。ふわりと体はうきあがり、天井まぎわまでふわふわと漂っていった。
「なんなの、これ」
「ね、体から重みがなくなったみたいでしょ」

 寝たきりの高齢者たちが寝床からはなれてたちあがったというニュースは世界各国で報じられたが、超巨大ブラックホールの圏内に太陽系が突入したという報道にばかり人々は目をうばわれて、あまりそのことは話題にならなかった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン