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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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手放す、心得

18/04/23 コンテスト(テーマ):第155回 時空モノガタリ文学賞 【 ゴミ 】 コメント:2件 秋 ひのこ 閲覧数:310

時空モノガタリからの選評

ホテルの『お取り置き』と、捨てられた赤ん坊をリンクさせた点がユニークで、オリジナリティがある設定だと思います。ホテルの『お取り置き』は、単なる忘れ物なのか決意をもって捨てた「ゴミ」なのか。その線引きが曖昧な客たちの態度にイラつく主人公は、自分の内面を彼らに投影しているのでしょうか。赤ん坊を「取り戻せる」と分かった瞬間、腹からこみあげる「名前のつかない熱」は彼女の本能、つまり思考とはまた別の次元の意志のようなものでもあるように思えます。人間の感情というのは一筋縄ではいかない複雑なものなのかもしれません。どこか頑なな殻に閉じこもっているようにも見える彼女は、今後自分の中の相反する感情と向き合い、「赤ん坊」を受け入れることができるのか、気になりました。
 
時空モノガタリK

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 真新しいくまのぬいぐるみを胸に押しつけ、仏頂面した子供の隣で、小奇麗な女性が支配人に深く頭を下げた。支配人がにっこり笑い、ふたりを見送る。
 私はそれを、従業員用の扉の隙間から覗き見る。
「一件落着」
 背後で野太い声がして、私は飛び上がった。
 ホテル『やすうら』清掃チーフの高根さんだ。勤続22年の自称「永遠の25歳」。
「いい勉強になったでしょ。ああいうののために、『お取り置き』するの。わかった?」
 新人でハタチにも満たない私は、高根さんの『おばさんぽさ』が正直、苦手だ。
 くまのぬいぐるみは、あの親子が宿泊していた部屋のゴミ箱の中にあった。そして、このホテルにはゴミを取り置く『お取り置き』部屋がある。天井までそびえる棚を埋めるのは、客室ごとの番号をつけたプラカゴ。そこに各部屋の忘れ物のみならず、ゴミまでも1週間取っておくのだ。
 透明の袋に部屋中のゴミを集め、日付のラベルをつけてカゴに入れる。と同時に1週間前の袋を取り出して捨てる。その繰り返し。
 昨夜、あの子は手に入れたばかりのぬいぐるみをいらないとわめき、自らゴミ箱に捨てたのだという。それなのにホテルを出てから「やっぱりいる」と大泣きし、母親が駄目元で連絡してきたのだ。
 失ったものを簡単に取り戻せると思ったら大間違いなのに、と私はひそかにあの親子を疎ましく思う。ゴミはゴミ。その判断は、相応の覚悟がいる。

 一週間後、今度は私と同い歳くらいの女がやってきた。部屋で捨てたお守りを探しにきたのだ。
 高根さんとふたりで『お取り置き』を探すと、桜色の小さなお守りが見つかった。「安産御守」という文字が目に入り、喉のあたりがきゅっと縮む。
 ゴミはゴミだ。あの女は捨てた自覚があるくせに、取り戻せると思っている。
 私は支配人にお願いし、自分で女に返しに行く許可をもらった。静かに彼女に近づき、目の前で閉じていた掌を開く。濃い化粧の瞳がぱっと見開かれた。よく見れば、痩せた身体のわりに腹が出ている。
「22週いってるんじゃないですか」
 刺々しい質問に、彼女は驚いたように私を見上げ、腹に手をあてた。
「21週4日」
 空っぽになった私の腹が内側から嗤うように痛んだ。中絶できる最終ラインは、21週6日。彼女は心底安堵を浮かべた顔でお守りを受け取る。
「あたしまだ18だし、このおかげで将来台無しだし、なかったことにしようって思って病院行ったけど、お金もってくるはずの彼氏が来なくて、そしたらやっぱ産むだけ産もうって気になって、でもこのお守りないと怖くて駄目で」
 舌ったらずな幼い話し方。頭が悪そう。多分、私もそうだった。つい先月までは。
「すごいね、ゴミまでとってあるとか聞いたことない。助かったあ。これママがくれたやつなの」
 産む、産まないをゴミを捨てる感覚でいったりきたり考える。その軽さが嫌というほど理解できてしまう。この子は、残りの2日でまた気が変わってお守りを手放すかもしれない。その時、同じように戻ってくるとは限らないのに。
 言いたいことは山ほどあるけど、どれひとつ口にする権利も資格も、私にはない。
「ありがとう」
 彼女が罪のない笑顔を見せた。

 仕事に戻る。用具室で備品を整えていると、後ろからぽんと背中を叩かれた。高根さんだ。
「よかったね、あの子。お守り見つかって」
「ゴミを取り置くって、甘過ぎます」
 身体中を満たす苛立ちが堪えきれずこぼれた。
「そもそも一度捨てておいてやっぱりいるっていうのが許せないです。手放すってもっと覚悟とか決断力とかいるものなのに。のうのうとまだ間に合うかもって電話してくる厚かましさが信じられません」
「でも人間誰しもうっかりすることあるじゃない。まるで命の恩人みたいに感謝されるし、あたしはいいと思うけど、このサービス」
「甘いです。ゴミはゴミなのに」
「チカちゃん……」
 高根さんの顔に困惑が広がったところで、外が騒がしいことに気がついた。バタバタと足音がして、勢いよくドアが開く。青ざめた支配人と目が合った。
「ソノダさん、警察の人が……」
 支配人を押しのけるように、私服の男性が進み出る。
「『村上愛子』さんですね。T県の公園のゴミ箱で先月発見された新生児の件でお話を伺えますか」
 エ? エ? と高根さんが目を白黒させる。私は支配人と高根さんに深く頭を下げた。ゴミを捨てる、ゴミとして捨てる、いらないもの。私は、決断したのだ。
 警察へ向かう車の中で、刑事が言った。
「一応、教えておくけど赤ん坊、生きてるから」
 頭を金槌で殴られたような衝撃。
 その瞬間、取り戻せる、と僅かでも考えてしまった自分にとてつもない怒りを覚える。捨てたのだ。捨てたのに。
 空っぽの腹から名前のつかない熱がこみあげ、私は両の掌で顔を覆い、前のめりにうめいた。


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このストーリーに関するコメント

18/06/05 光石七

こちらも入賞おめでとうございます!
拝読しました。
主人公のとげとげしさに漠然と疑問を抱きつつ読み進め、主人公が捨てたものに衝撃を受け、ラストの主人公の姿に胸が熱く、苦しくなりました。
今回の【ゴミ】というテーマで考えたことの一つに、「その人にとって価値の無くなったもの=ゴミ」というのがあったのですが、ゴミだと判断し手放す覚悟・決断という視点が目から鱗で、再度ゴミとは何か考えさせられました。
この後、主人公が生き直せますように。
素晴らしかったです!

18/06/06 秋 ひのこ

光石七さま
こんにちは、こちらにもわざわざコメントをありがとうございます!
この話は「お取り置き」と高根さんのキャラクターだけはじめから決まっていて、その他は主人公の設定も含め本当に二転三転しました。何パターンも書いて、「最後に赤ん坊が死んだ状態で見つかる」版も実は存在します。でもやっぱり物語りは救いがある方が好きなので、書き直しました。
余談ですが、取り置き方法や期間は私の創作ですが、実際にこのサービスをしているホテルがあるらしいですよ(^^)

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