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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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捨てられるほど、軽い

18/04/12 コンテスト(テーマ):第155回 時空モノガタリ文学賞 【 ゴミ 】 コメント:5件 冬垣ひなた 閲覧数:356

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「あんた態度悪いね、ちょっとぐらい笑えよ」
 なかなか注文を聞きに来なかったウェイトレスの私に、サラリーマンの男が針のような言葉を投げつける。
 昼のランチタイムに入り、家族連れの殺到したファミレスは、大勢の客でごった返していた。スタッフがてんてこ舞いの最中に訪れたために、苛立つ男の心中を推し量る時間もなく、私は表情筋を動かして対応する。
「申し訳ございません」
 今までに何百回も繰り返した業務的謝罪は、一応は男の気持ちを納得させたようだった。しかし私が席を離れてからも「だから女は」だとか呟いているのが聞こえた。
 その後に羅列される言葉のレパートリーは、考えるのも不毛だ。息子の保育園のノートに押される『よくできました』のハンコみたいに、無理に張り付けた笑顔で、私はファミレスの接客をひたすら続ける。
「守屋さん」
 混雑のピークを越え、時間の隙間を見計らって、店長が私をスタッフルームに呼んでくれた。
「バイトが応援に来てくれたから仕事上がっていいよ。お疲れさん」
「すみません」
「子供さん、早く治るといいね」
 店長のいたわりが、私を『6歳の息子が保育園で熱を出し、気が動転した母』に引き戻す。私は仕事用の笑顔を崩して帰宅を急いだ。


 蓮を生んだのはまだ夫が家にいた頃だった。
 2年の同棲生活を経て結婚、ありふれた人生を送るものだと思っていたが、夫はそうではなかったようだ。勝手に会社を辞め浮気相手と蒸発、私は夫から送り付けられた離婚届に判子を押し現在に至る。
 熱を出しぐったりとした蓮に薬を飲ませ、布団に寝かせてから、珍しく妙な時間に自由を得て、時計の針の落ちる音に耳を澄ます。
 何がいけなかったのか。
 はしゃぎすぎたんだろうか、湯冷めしたんだろうか。
 蓮が熱を出した原因を追い求めるうちに、テレビで「料理を手抜きするな」と忠告していたタレントの厳めしい顔が思い出された。
 共働きだった私には、こだわった食卓というものが用意できなかった。
 理想的に整頓された世の中ではきっと、それを手抜きというのだろう。「主婦のくせに」、無言の圧力がまるで夫からぶつけられた暴言のように私を苛立たせ、のろのろと立ち上がった。
 人生の美味しい部分だけを食べられ、分別され、また分別され、夫が廃棄していった私たち。ゴミ箱に入りきらないこの身体を、ぬるま湯のような午後の日差しが包む。
 時計がちょうど、3時の時報を鳴らした。
 私は台所の水道水で喉を潤す。
 自分一人の欲求など、この程度で満たせるのに、何故「男がして欲しいことをこなす女」という評価基準が存在するのか。
 私は一生理解できそうになかった。


 蓮の熱は翌日には治まった。念のために私は仕事を休んでいたので、久しぶりに二人でゆっくりとした朝食をとる。
「蓮、夕食はクリームシチューよ」
「お肉はいってる?」
「もちろん」
 後片付けした生ごみに、昨日の嫌な気持ちを圧縮して混ぜ込んで、私はゴミ袋の口を固く結んだ。
 幼児アニメに熱中していた蓮は、私がサンダルを履いてゴミ袋を携えるのを見て、慌てたように駆け寄る。
「ぼくもいく」
「ただのゴミ出しよ?」
 蓮が珍しく私にしがみつくのは、病気にかかり不安なのだろう。私は空いた方の手で担ぐように蓮を抱えてドアを開け、アパートに面した通りにあるゴミ捨て場へと直行した。
 すると、私の手をすり抜けて蓮が駆け出していく。異変に気付いたのは彼が先だった。
 ゴミ袋へ被せる青い網に子猫が絡まって、か細い声で鳴いている。生後間もないだろうが、母猫の姿は見当たらなかった。まだ動物になど絵本でしか出会ったことのない蓮が、声も出さずに強張った表情で、子猫が足掻く現実を見つめている。
 それが見るに忍びなく、私はゴミ袋を置いて急いで子猫を網から救出した。
「ほら大丈夫」
 私の掌に余るほどの大きさしかない子猫を蓮は見上げる。その時、塀の端に母らしい猫が現れて、彼の小さな顔はようやく表情を緩めた。
「よかった。おかあさんにすてられたのかと思った」
 私は、一瞬ガラス細工を落としたような取り返しのつかない恐怖を感じた。
 それがすぐ母猫の事だと分かると、私は蓮の頭を撫でる。
「くすぐったい」
「蓮は思いやりがあるよ」
 媚びるのが下手な女で、気の利かない妻だった。
 そんな評価はどうでもいい。
 私と蓮は、自然に繋がっている。
 柔らかな手を子猫にあて、人間らしい仕草で蓮は生き生きと言った。
「おとうさん、いなくても何とかなるもんだね」
 今度の大掃除で夫だった人の荷物を捨てようと私は決めた。これで居場所を誰に取られると怯えることなく、蓮は育っていく。あの人のお陰で片付けが上手になった。
 子猫を放すと私の手が一層軽くなり、肩書のない猫たちは幸せそうに遊んでいる。


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このストーリーに関するコメント

18/04/12 冬垣ひなた

≪補足説明≫
・画像は「写真AC」からお借りしました。

18/04/21 文月めぐ

拝読いたしました。
誰かとのつながりがあるものをゴミとして捨てる。過去と決別する母親の力強さを感じました。

18/04/22 冬垣ひなた

文月めぐさん、コメントありがとうございます。

利己的な束縛と、絆とは、しばしば家庭内でも混同されているように思います。子供が一番物事をはっきり見ているのかもしれません。テーマを女性の自由な選択肢の一つとして描きました。

18/06/09 光石七

拝読しました。
元夫の残像に縛られていた主人公。きっぱり決別して息子と二人歩んで行けそうですね。
自然とエールを送りたくなりました。
素敵なお話をありがとうございます!

18/06/14 冬垣ひなた

光石七さん、コメントありがとうございます。

最初に決めたストーリーでは割と普通の終わり方だったのですが、ラストで息子の台詞が突然に頭に浮かんで、登場人物に後押しされながら書き上げました。
初めて純文学を意識した思い入れのある作品なので、エール頂けて感謝します。

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