1. トップページ
  2. 夢芸人の芝居

Fujikiさん

第90回時空モノガタリ文学賞【祭り】入賞          第92回時空モノガタリ文学賞【沖縄】入賞          第94回時空モノガタリ文学賞【曖昧】最終選考        第95回時空モノガタリ文学賞【秘宝】最終選考        第96回時空モノガタリ文学賞【奇人】最終選考         2015年大阪ショートショート大賞【行列】佳作         第99回時空モノガタリ文学賞【失恋】最終選考         第105回時空モノガタリ文学賞【水族館】最終選考        第110回時空モノガタリ文学賞【雨】最終選考          第112回時空モノガタリ文学賞【弁当】入賞         第114回時空モノガタリ文学賞【パピプペポ】最終選考      第117回時空モノガタリ文学賞【本屋】最終選考         第118回時空モノガタリ文学賞【タイムスリップ】最終選考   第120回時空モノガタリ文学賞【平和】入賞           第126回時空モノガタリ文学賞【304号室】入賞       第127回時空モノガタリ文学賞【新宿】最終選考   第137回時空モノガタリ文学賞【海】入賞          第155回時空モノガタリ文学賞【ゴミ】最終選考   にふぇーでーびる!                                                                                                                                    ■ 2018年5月、電子書籍『フィフティ・イージー・ピーセス』を刊行しました。時空モノガタリ投稿作に加筆・修正したものを中心に原稿用紙5、6枚程度の掌編小説を50作集めた作品集です。かなり頑張りました! Amazonで売っています。http://amzn.asia/c4AlN2k

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

2

夢芸人の芝居

18/04/11 コンテスト(テーマ):第155回 時空モノガタリ文学賞 【 ゴミ 】 コメント:4件 Fujiki 閲覧数:253

この作品を評価する

 村の老人たちは毎朝、日の出前に浜に出る。夜の間に打ち上げられた夢を拾うためである。かつては誰かの胸を焦がしたに違いない、苦渋の果てに捨てられた夢の数々。何日にもわたって波に洗われているため、元の持ち主が残した未練はもう消えている。老人たちは軍手をはめた手で夢をひょいひょいと拾い上げて魚籠に入れていく。
 この浜に夢が漂着するようになった原因は先の戦争である。艦砲射撃の烈火を浴びて海岸の地形が崩れ、潮目の位置が変わってしまったのだ。戦後、避難先の山奥から戻って来た村人たちは浜に堆積した大量の夢に仰天した。
「この村はもうダメやさ。きれいだった浜がゴミの山になってしまった」
 そう悲観して南米やハワイに移住していった家族も少なくなかった。南方に出征していた忠文が命からがら帰って来た時、村はほとんど打ち捨てられた状態だった。彼の年老いた両親はガマでの避難生活の間に病気で命を落としていた。
 捨てられた夢の再利用を最初に提案したのは忠文である。かつて村一番の美丈夫ともてはやされた彼は十八歳の時、活動写真の役者になるべく単身船に乗って内地に渡ったことがある。東京にある撮影所の門を叩いて回ったものの、与えられたのは臨時雇いの通行人役ばかり。折しも時代はトーキーの華々しい幕開け。島の訛りがきつい彼はとても使い物にならなかった。
「セリフのない役者なんて何も面白くない」
 そう考えた忠文は、銀幕への夢を失意のうちに捨てた。
 浜に打ち寄せられる夢は牡蠣の貝殻程度の大きさである。お椀のようにくぼんだ形をして内側につるつると光沢がある。見た目だけでは、ただの貝殻と区別するのは難しい。だが、くぼんだ部分にそっと耳をあてると、夢がそれぞれの物語を潮騒に乗せて語りだす。それを聞いて紙に書き取るのはまだ耳の遠くない若い衆の仕事である。師範学校を出た学のある若者は戦争に取られて戻って来なかったから、尋常小学校で読み書きがよくできた忠文の妹、ミツコが旗振り役を買って出た。
 忠文は紙に整理した夢に目を通して台本に仕立てる。帝都帰りの忠文は、村では芝居の権威として一目置かれていた。あとは村人に役を割り振り、あり合わせの小道具と楽器を用意すれば夢芝居の完成だ。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 今宵の夢は、田舎の家族に楽をさせようと都会に出てきた孝行息子と物書きを夢見た良家の娘の純愛物語。お代は結構、見なきゃ損だよ。さあ、夢芸人一座の夢芝居。はじまり、はじまり!」
 忠文が陽気に三線をかき鳴らしながら即席の舞台の脇で前口上を述べる。彼の三線は、進駐してきた米軍が出した廃材と業務用スープの空き缶で作った物である。衣装はいつもと変わらぬぼろ着だが、観客もぼろ着ばかりなので文句を言う者はいない。誰もが夢芸人の芝居に期待して目を輝かせていた。
 本日の芝居の筋書きはこうだ。苦学を重ねて帝大医学部に入学した青年が街角の本屋で出会った娘に一目ぼれする。娘は山の手に住む令嬢で、詩人になる夢を抱いて雑誌に投稿を続けている。家柄の違いを越えて惹かれあう二人。厳格な両親の反対を受けながらも、娘は青年への恋心を詩にしたためる。初めて雑誌に載った娘の詩を青年が読み、娘の家に駆けつけるシーンがこの芝居の見せ場だ。村人たちの演技に多少難はあるものの、娯楽に飢えていた観客は貪るように舞台に見入った。
 そして最後には、主人公の二人があらゆる障害を乗り越えて結婚する。青年は医者になって多くの人を助け、娘の出した詩集は飛ぶように売れる。もちろん現実には芝居のとおりに夢が成就したわけではない。苦学生だった青年は合格前に徴兵されてサイパンで戦死したし、娘は家を焼かれて詩を諦めた。そもそも二つの違う夢を合わせて恋物語にしたのは忠文の創作だ。しかし忠文はこの物語が夢であることを十分理解していた。夢は必ず幸福な結末でなければならない。観客にも出演者にも、最後に笑って踊りだしたくなるような物語が必要だった。
 夢芸人の一座は米軍の収容所や荒廃した村々を回って芝居を続けた。夢は毎朝新たに浜辺に流れ着くので芝居の題材には困らなかった。無料の公演ではあったが、観客たちは村人に感謝して食べ物を分け与えた。夢は何もかも失った人々に絶望から立ち直る気力を与え、島は少しずつ元の姿を取り戻していった。
 かつて自分が捨てた夢も他の夢と同じようにどこか遠くの海辺に漂着したのだろうか、と忠文は時々考える。国が疲弊し、現実に希望が見えない時、人は夢を必要とする。自分の夢も誰かの心の慰めになればいいと彼は願った。
「にいにい、今度の夢は大物だよ! 元の持ち主はすごい夢想家だったのかも」と言いながら、ミツコが帳面を手に駆け込んできた。
 夢は大きければ大きいほどいい。たとえ最後に叶わなくても、途方もない夢を追う楽しみは格別だ。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

18/04/13 文月めぐ

『夢芸人の芝居』拝読いたしました。
「ゴミ」というテーマから「夢」を題材にした話を書かれた点、秀逸だと思いました。
最後の一文、大変気に入りました。

18/04/13 Fujiki

文月めぐさま、お読みくださりありがとうございます。今回のテーマは、語る価値がないと見なされがちな物事に光を当てることができる良いテーマだったと思います。現実には夢を叶えることよりも夢を諦めたり妥協を強いられたりすることのほうが遥かに多いはずなので、捨てられた夢の話を書いてみたいと思いました。

18/05/14 冬垣ひなた

Fujikiさん、拝読しました。

時代背景や人々の描写も丁寧で、本当にどこかであった出来事のように身近に感じられました。捨てられた夢が芝居の中で叶えられ、少しずつ人々の幸せへとつながってゆく。どんな状況でも夢見る事の大切さを考えました。

18/05/15 Fujiki

冬垣さん、コメントありがとうございます! 芝居と同じく、小説を読む体験も他人の夢を見るようなものではないかと感じます。自分の書く話が誰かの幸せになっているかもしれないと思うと、書く意欲が湧いてきます。

ログイン