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笹峰霧子さん

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わたしの中のチベット寺院

12/12/28 コンテスト(テーマ):第二十二回 時空モノガタリ文学賞【 お寺 】 コメント:8件 笹峰霧子 閲覧数:1816

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 私がチベット人の坊さんと馴染みができたのは、大学でインド哲学を専攻していたからだった。

 ゼミの先輩がチベット語が堪能で、現地人と日常会話ができるほどの実力があったので、サンスクリット語の講義を受けている私は、次第に先輩とその奥さんの家に出入りするようになった。

 先輩はチベットの寺院からの依頼で、若い坊さんを世話していた。
 若い坊さんは僧侶の恰好をしていながらも、若いのでやんちゃなぶりを発揮したときには、先輩に小言を言われていた。日本語が話せない彼に、私は個人教授をしたりもしていた。


 学生最後の夏休みに、その坊さんの本拠地であるインド内にあるチベット寺院へ、ゼミのみんなと行くことになった。
 私はその寺に着いた早々、風邪を引いて寝込んでしまった。

 寺院には1500人の修行僧がいて、毎朝勤行をしていたが、私達も参加することになった。
私は風邪を引いている間はその修行には出れず、お坊さんに食事を運んでもらった。


 お坊さんたちは私達日本人をとても丁重に扱ってくれた。
 日本に来ていた若い坊さんは、私をスクーターの後ろに乗せて、インドの町を走り回ってくれたのでとても楽しかったが、貧しい国ゆえ、小さい子供達が何か品物を持って買ってくれと群がり寄ってくるのには閉口した。

 無事10日間のゼミの研修が終わって帰国したとき、、夏も終わりかけていた。


 大学を卒業したとき、先に卒業していた先輩が自分の生まれた町に、チベット寺院を建てた。
 私が結婚してその県の近くに住むようになったとき、一歳の赤ん坊を連れて訪ねたことがある。私が法の修行に参加しているとき、寺院の坊さんが赤ん坊の守りをしてくれた。

 私は講堂の裏にある部屋で、参拝に来ている信者に配る仏の団子を丸めるのを手伝った。
 二度先輩のチベット寺院を訪ねたが、その後、生活に取り紛れて縁が切れてしまった。

 今もきっとあの地でチベットのお坊さんたちは修行に励んでいるだろう。
 赤ん坊だった私の子供が八歳になったのだから、お寺もうまく行っていれば10年になろうとしている。
また訪ねてみたい気がする。


 私は今38歳。
 珍しい専攻を選んだことで、思ってもみなかった人達と交わりインドの寺院へも行けて
良かったと思う。




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photo by Claude&Masakos photostream













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このストーリーに関するコメント

12/12/29 石蕗亮

笹峰霧子さん
拝読いたしました。
私も学生時代にチベット寺院の絵師の方とお話する機会がありました。
お互い片言の英語と身振り手振りで会話しました。
私も機械があれば行ってみたいです。

12/12/29 笹峰霧子

石蕗亮さん

「わたし」という主人公で話を進めました。
ほぼ事実ですが、自分の経験ではありませんのでノンフィクションとは言えないです。
ありがとうございます。

12/12/29 泡沫恋歌

霧子さん、拝読しました。

チベット寺院なんて、凄くオリエンタルな感じがして
なんだか憧れてしまいますね。

そういう異文化と触れることでイメージが広がっていくことでしょう。

12/12/29 笹峰霧子

泡沫恋歌さん

インドやチベットは私にとっては身近な情報として逐一入ってきていたので、自分が体験したような気分でこのエッセイを書きました。
お坊さんたちも一面では普通の生活があるのだなあと、最初は興味深く思いました。
ありがとうございます。

12/12/29 そらの珊瑚

霧子さん、拝読しました。

チベットは貧しい国でありながら、信仰心の深い人々の国というイメージで、行ったことはないけれど、好きな国のひとつです。

12/12/29 笹峰霧子

そらの珊瑚さん

チベットの僧院のことはずっと聞いていましたが
民衆はどんな生活をしているのでしょう。
私はあまり知らないですが、信仰心が深いのですね。
ありがとうございます。

13/01/16 鮎風 遊

崇高な感じがします。

それ以上に、チベット寺院に興味を引かれました。
一度訪ねてみたいものです。

13/01/16 笹峰霧子

鮎風さん

チベットの僧のことはずっと身近に聴いていました。
この物語の「わたし」は自分ではないのですが、一心同体のような気持で聴いていましたので、まるで体験した気分です。笑)
ありがとうございます。

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