1. トップページ
  2. 金の一点

W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

投稿済みの作品

0

金の一点

18/04/04 コンテスト(テーマ):第155回 時空モノガタリ文学賞 【 ゴミ 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:194

この作品を評価する

 次の一手を打ちおえた丸角五段は、おもわずにやりと笑った。
 若き天才棋士、将棋界のスーパーコンピーターとよばれる彼にとって、それはあるまじきことといえた。
 これまで何人もの先輩棋士たちが彼の、どのような状況にあっても能面のように無表情なポーカーフェイスのまえに、はたしてこちらの手の優劣がよめないまま、あえなく敗北の憂き目にあってきた。
 その彼が、ほくそえむとは。
 将棋盤の向こうで対戦相手の海老原浩二七段は、眉間に皺寄せ腕をくんだ。
 将棋はただ盤上だけが闘いの場ではない。相手の表情のわずかな変化、体のうごき、駒を打つ力のいれかたひとつにおいても、微妙な心理があらわれるものだ。
 しかしいまの五段の笑いはあきらかに、勝利をよみとった余裕の笑いにみえた。
 七段は再び、盤上の駒組に目をはしらせた。将棋は中盤にさしかかったものの、勝負はまだ五分と五分におもえた。いま相手が放った6五の桂馬も、こちらの盤石の美濃囲いをゆるがすまでにはいたらないはずだ。先手の自分になにかと有利な流れできていることを実感しているだけに、七段にはどうにもいまの丸角五段の笑みの意味がつかめなかった。
 彼はそして、定石にしたがっていまの桂の頭に銀をあてた。これで防げるはずだった。がそれから二手三手と駒がすすむうち、これはどうしたことか形勢が徐々に、自分に不利に傾きだしたではないか。
 そんなはずはと、海老原浩二は少ない残り時間を気にしながらもかんがえこんだ。そして彼は、相手の打った桂馬が何手もさきになってボディブローのように効き目をあらわしてくるのを知って、みぶるいした。まさに、天才とよばれるにふさわしい丸角五段の読みの深さに、おそれにちかいものをおぼえた。
――几帳面な性格で、ボールペンでもハサミでも、まがっておくことができずに、必ず縦横きっちりしていなければ気がすまない。家での食事も、汁ものはどこに、ごはんはどこに、主食はどこにと指示し、きめたとおりでないと食がすすまないと箸をおいてしまうとか。また、チリひとつ、髪の毛いっぽん、おちていると気持ちがおちつかず、周囲の者たちはそのことでつねに神経をぴりぴりさせているとか。――これは海老原七段が事前にしらべあげた丸角五段の人間性だった。 コンピューターの頭脳をもつといわれるだけに、ちょっとでも秩序をかいていたり、アトランダムなできごとは受け入れないものとみえる。さきほど海老原が用意していたお茶をのんだときも、静かな対局室にその茶をすする音がわずかにひびいただけで、非難するようなまなざしをむけられたことを七段は思いだした。
 じぶんよりはるかに後輩で、すくなくとも現状ではこちらより下位にいるのだからと、二段下の彼を腹のなかではなじってみても、実力の世界だけに海老原も、勝たないことには話にならないことがわかっていた。
 形勢はますます相手に有利なものになっていった。このまま指し続ければ、ずるずると追いやられ、挽回はまず不可能になることだろう。
 彼は、居ずまいをなおすと、口に手をあて、ごほんと咳払いをした。
 丸角五段が、目に見えて狼狽しだしたのは、その直後のことだった。いま七段が動かした金の駒に、五段の目がくぎづけになっていた。
 その金の字のなかほどに、ぽつんと黒いものが付着していた。記録係や周囲の観戦者の目にはおそらくうつらないか、うつっても誰もそんなもの、気にもとめなかったにちがいない。
 海老原七段にははっきりとその黒い点がみえていた。それが自分の鼻クソだということもわかっていた。わざとではない。口にもっていた指にたまたまくっついたのが、打った駒に付着してしまったというわけだ。失礼と、すぐにとろうとしかけた海老原だったが、いち早くそれに気づいた丸角五段のとりみだした様子をみるなり、ふいに考えがかわった。
 彼の人間性をかんがみるまでもなく、この駒についたちっぽけなごみに、狼狽もあらわな彼をみれば、こんどは海老原七段がほくそえむ番だった。
 丸角五段は手をのばして、駒にくっついた黒い点をとろうとしかけた。が、いま指したばかりの対戦相手の駒に、指をつけるのはさすがに遠慮がでたのか、指のさきは結局駒にふれずにひっこめられた。
 それでも駒の鼻クソが気になってしかたがないとみえ、王将をつめるよりも、その駒をとることに意識を集中しだしたもようだった。
 海老原七段はできるかぎりにげまわって、ころあいとみてその金を相手にとられるようにした。丸角は駒を手にとるなり、爪の先でひっかくようにして金の字のうえからもとは海老原からでた鼻クソをとりはらった。
 ようやく気がすんだのか、意気込みも新たに盤上に目をもどした彼は、そこにはもはやどうころんでも勝ち目のない、じぶんの負け将棋が展開しているばかりだった。





コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン