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虹子さん

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小さな保育室で起こったこと

18/03/30 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 虹子 閲覧数:137

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  私がそれを初めて目撃したのは、働きだして二週間ほど経ったころだった。

 三時のおやつの時間だった。アキ君がいすに座ろうとしたとき、田仲先生がアキ君のいすをさっと後ろへ引いた。尻もちをついたアキ君は泣き出した。
ひどく怯えた目をして口を縦に開けてわぁわぁと泣いていた。まだ生えそろっていない小さな歯がのぞく口の中で、舌に血がにじんでいるのが見えた。転ぶときに机であごを打ったのだ。

「どんくさっ」
田仲先生は手をたたいて大笑いし、私は、「大丈夫?」とアキ君の背中をさすることしかできなかった。

 夕方、田仲先生はお迎えに来たアキ君の母親に、口のけがのことを、遊んでいるときに一人で転んだのだ、と説明をした。
 嘘はバレない。アキ君はまだ二歳なのだ。田仲先生と母親が話している時は、ミニカーに夢中だった。口内を見られるのを嫌がり、母親に抱っこされると、嬉しそうにこちらに手を振って帰っていった。

 アキ君は待機児童で、週に三回、この小さな一時預かりの保育室に通っている。

 私はその晩眠れなかった。
 アキ君は私が勤めるずっと以前から、日常的に田仲先生からいじめられていたのだ。
「アキ見てたら、なんだかイライラしていじめたくなるのよね」
 
  子育てがひと段落し四十歳で始めたパートではあるが、保育士の仕事に喜びを感じていた私は、田仲先生がとても憎かった。すぐにでも園長に報告してアキ君を助けたかったが、二週間の新人パートに発言力があるはずもないうえに、園長は田仲先生を良い保育士だと評価していた。

数か月たっても何ら状況は変わりなく、田仲先生のアキ君に対するいじめは続いていた。急に遊んでいるおもちゃを取り上げたり、服を着替えるとき顔を何度もこすりつけるように上下させたりと、そのたびにアキ君は泣いて、田仲先生は笑っていた。
私は他のパート保育士と同様、見て見ぬふりをするようになっていた。その代わり、いじめを受けた後のアキ君に対しては丁寧にかかわるようにし、恐怖を少しでも緩和できるように努めた。アキ君は私に「先生大好き」とにっこり笑ってよくひっついてくるようになった。

田仲先生は独身で、私と同じ四十歳だ。「恋人や趣味がないから暇だ」と、私はたびたび休日に呼び出され、一緒にお茶をするようになった。
「私も結婚して自分の子どもほしいな」「うちなんか足の悪い母親と二人暮らしで」「安月給で、この先どうやって生きていけばいいのかわからないわ」
 外で会う田仲先生はいつも、保育室とは別人のようにとても寂しそうにみえた。私が自宅で家族といる時、ふと、伏し目がちに話す田仲先生のことを思い出すことが増えた。

 ある日、アキ君がいつものように泣いていた。自由遊びの時、田仲先生に室内用ボールを執拗にぶつけられていた。鈍い音とアキ君の泣き声、田仲先生のゲラゲラ笑う声だけが保育室に響いていた。私は他の子どもたちと体を縮こませ終わるのを待った。

「痛いっ」
急に大きな音がして、田仲先生の叫び声が聞こえた。振り向くと田仲先生のおでこから血が出ていた。ボールを拾う際に窓の鍵でぶつけたのだと、すぐに状況が分かった。アキ君はひっくひっく泣きながら怯えた目をしていた。
「もう、アキのせいよ! 」
田仲先生はおでこを押さえながらボールを拾うと、思い切りアキ君に投げつけて部屋を出て行った。

けがはすぐに治ったが、アキ君に対するいじめはその日以来、エスカレートした。
しかし、田仲先生がアキ君をいじめればいじめるほど、その直後に必ず何かしら、田仲先生に不幸が起こるようになった。大事な書類をなくしたり、原因不明のめまいに襲われたり、交通事故に遭い入院もした。

この不気味な出来事にパート保育士たちは恐怖を感じて、アキ君を避け始めた。私だけが変わらず、いじめられた後のアキ君の背中をさすりつづけていた。

そんな中、いつものように私がアキ君の背中をさすっている時、保育室の電話が鳴った。母親が倒れて救急車で運ばれた、との連絡をうけた田仲先生は、慌てて帰り支度をし、早退した。

「アキ君お願い。もうやめてあげて。田仲先生がかわいそうだよ」
 思わず私の口から言葉がでていた。
「やめるのって、なに」
私を見上げる幼い小さな顔が困っていた。
「あ、ごめん。変なこと言っちゃったね、なんでもないよ」
 私はアキ君を力いっぱい抱きしめて頭をなでた。

 春になった。アキ君は、空き待ちだった保育園に通えることになり、もう、この一時預かりの保育室に来なくなった。

 そして同じ頃、私の手元には「進行がんの疑い」とかかれた、がん検診の検査結果が届いていた。






 





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