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伊川 佑介さん

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夜の散歩

18/03/28 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 伊川 佑介 閲覧数:99

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 大学の先輩が首を括って、その葬式の帰り道を恋人と歩いていた。それまで降っていた雨が止んで、濡れた路面に水溜りができている。僕はなぜだか無性に性欲が高まって、この静謐なムードの中でどうやって彼女をホテルに誘おうか考えていた。
「人って何の為に生きてると思う?」
彼女が急に立ち止まって僕に尋ねた。僕が考えていたこととのギャップに虚を突かれて言葉を失った。いつにない哲学的な質問を前に、先輩の死が妙に現実味を帯びてくる。彼はなぜ死んだのだろう。実際の所よく分からなかった。

 亡くなった先輩の事はあまり好きではなかった。見栄っ張りで、すぐ他人にマウンティングしたがる気性の人だった。キザでスカしていて、僕のことを下に見ているのが明らかだった。だから死んでも特に悲しくもない。端から興味がないからか、首を括った事にもそれほど驚きはしなかった。でも彼女は悲しんでいて、僕はその事に嫉妬してしまっていた。先輩がずっと彼女の心に残ると思うと口惜しかった。

「分からない」とは言いたくなくて、僕はそのまま無言で歩き続けていた。信号を渡ろうとして、潰れた蛙の轢死体を見つけた。この蛙は何の為に生まれ、何の為に生きたのだろう。周囲に飛び散った内臓をじっと見つめてみても、何も答えは出て来ない。

「人はね、生まれてから死ぬまで舟に乗ってるんだって。一人しか乗れない舟」
唐突に彼女が語りだした。
「行き先は決まっているけど、どこに行くかは分からないの。自分で舟を止める事も、方向を変える事もできないの。ただ舟の上に生まれて、そこで死ぬの」
「何の話?」
「人の意識は舟の上の荷物に過ぎないってこと」
「じゃあ先輩は」と言いかけて口をつぐんだ。舟の話を彼女にしたのが先輩である事に感づいたのだ。彼はよく抽象的でもっともらしい事を語った。突っ込んでみても中身なんて何もない。
 結局僕らはその日の夜も共に過ごした。何かから逃げるようであり、何かを忘れるためでもあった。互いが生きているのを確かめ合うようでもあった。それは同時に下卑たホルモン作用でもあった。



 何となく寝苦しくて、夜に散歩に出かけた。自販機で缶コーヒーとタバコを買って、人のいない公園のベンチでコーヒーを口に含んだ。生暖かい風が吹いていて、もう春なのだなと思った。
 あれから二十年近くの歳月が過ぎた。悪夢を見なくなったのはいつからだろう。あの時僕は何と答えれば良かったのだろう。潰れた頭の赤子の夢は見なくなっても、痙攣している彼女の姿は今も脳裏に焼き付いている。
 僕はずっと何かから逃げてきた。でも何から逃げているのかは分からなかった。生きる事は何かの罰なのではないか、歪んだ感覚にずっと囚われている。人が死ぬという事は復讐の結果なのかも知れない。僕を追いかけている何かが復讐を遂げるとき、僕は死ぬのだ。
 舟はどこへ向かっているのだろう? 僕には関係のない場所なのだろうか。
 
 公園を出て、近所の神社へ歩いていく。夜中なのに誰かいる気配がする。中年の男がぐるぐるぐるぐる、忙しなく同じところを走り回っていた。僕の存在に気づくとバツが悪そうに、「水子の弔いです」と、か細い声で言った。僕は石段に座ってタバコを吹かしながら、じっと男を眺めていた。
 神社を離れて帰途につくと、空き地に何かの光が見えた。ぼお、と青白い火が草むらに浮かんでいた。成仏しているのかどうか、僕には分からなかった。何か言葉をかけようとして、何の言葉も持たないことに気づいた。生暖かい風がまた吹いて、僕の前を音もなく通り過ぎていった。


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