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マサフトさん

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矛の行方

18/03/18 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 マサフト 閲覧数:134

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息子を失ってからもう半年が経つ。わたしの両親は既に他界し、夫に先立たれたわたしにとって息子は唯一の家族だった。

この家は独りで暮らすには広すぎるが、今更引っ越す気にもなれず、さりとて出かける気も起きず、このところ引きこもりがちだ。このがらんどうの家がわたしの心情を嫌という程表している。

息子は交通事故で死んだが、事故を起こした相手もその事故で亡くなってしまった。息子は友人の運転する車に乗っていて、その友人は大怪我をしたものの命に別状はなく、先日退院したらしいので今日挨拶に来る。事故の後病院で一度会ったが、お互い放心状態で殆ど何も話せなかった。

「本当に申し訳ありませんでした」

喪服を着た青年が、訪ねるなり深々と頭を下げた。息子の生前に何度か会ったことがあるが、その時の感想通り好青年だと感じた。彼が息子を殺したと恨むのは間違っている。彼も事故の被害者で、友人を目の前で失ってしまったのだから。同情するに余りある。

「仕方のないことだったんですよ。あなたは悪くない。そう、悪くないんですよ」

その言葉とは裏腹に、心では今仏壇に手を合わせているのがなぜわたしの息子ではなくこの男なのだろうなどと考えていた。そしてなぜ仏壇に置いてある写真はこの男ではなくわたしの息子なのだろう。そんな理不尽な事を考えながら会話をしたので、きっとわたしの目つきは酷いものに見えただろう。少し申し訳なく思う。

人を殺した場合の「償う」という行為は、自らの名誉を守るために行われる。本質的には遺族の為ではない。そして遺族の「恨む」という感情は死者のためではなく、残された者が生きる糧を求める心だ。

だが本来恨むべき相手は死んでしまった。保険金など金銭的な補償があったが、それは償いではないし、何より息子の命が金に換えられる訳がない。

彼は償う立場でも恨まれる立場でもない。そう。彼を恨むのは間違っている。恨まれるような事は決していていない。だけどこうして面と向かうと言いようのない負の感情が沸々と湧いて来るのはなぜだろう。憎しみを抱かずにはいられない。わたしの生きる糧として恨まれてくれ。そんな馬鹿げた考えが一瞬浮かび、自分の恐ろしさに恥じ入った。線香の香りが心を少し落ち着かせてくれる。

彼はこのまま墓参りをすると言って家を後にした。わたしも一緒に行くべきだとは思ったが、今の心の状態で彼といると、感情のまま酷いことを口走ってしまうかもしれないと思い、一緒には行かないことにした。

季節はもう秋だというのに今日はとても暖かい。昼食を済ませて洗濯物でも干そうと思い立ったとき、突然涙が溢れ出た。
食卓に並ぶ料理の数は半分以下になった。炊く米は一合に満たない。ご飯だよ、と声をかける相手も居ない。洗濯カゴを見ても自分の服しか入っていない。

なぜ、息子が。なぜ、わたしが。どうしてこんな目に合わなければならないのだ。生きているのが辛い。でも自ら死ぬこともできない。

「わたしの生きる糧として、恨まれてくれ」

さっき自らが否定した考えが言葉となって口に出た。がらんどうの家ではこの声すら聞いてくれる人も居ない。余りの孤独に呻き声を上げる。

しばらく仏壇の前で泣き伏せていると、開けていた窓から甘い香りが迷い込んできた。金木犀の、甘い匂い。香りが身に染み込むと、ぐちゃぐちゃになった感情が少し和らいだ気がした。

息子は帰ってこない。心の傷は癒えない。恨みは、消えない。でも、そんな感情を和らげて落ち着かせてくれる香りもある。人を恨んだり落ち込んだりする以外にも、生きているときにやるべき事は数多くある。ただ、今はまだ感情の整理がついていないのだ。後はわたしが死ぬまでの長いような、短いような時間が、壊れた心を少しずつ治してくれるだろう。


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