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吉岡 幸一さん

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性別 男性
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パンを殺す

18/03/17 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:162

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 街はずれのパン屋の前に今日も男の子が立っていた。学校帰りに立ち寄っては店に入ることもなく、ただガラス戸の横に立って道行く人を眺めていた。
 いたずらをするわけでもなく、客の邪魔になるわけでもなかったので、パン屋の奥さんは何も言わなかったが、内心では毎日店の前にただ立っているだけの男の子が気になって仕方がなかった。
 身なりもよく賢そうな顔もしていたが、背負っているランドセルだけは古く、ところどころ革がはげ細かな傷がついていた。
 男の子だし、元気に遊んでいると高学年になった頃にはランドセルも痛んでしまうのね。
 奥さんは将来自分に宿る子供のことを想像しながら、焼きたてのパンを棚に並べたりしていた。店の奥では去年結婚したばかりの旦那さんが慣れた手つきでパンを焼いている。
 五年勤めていたパン屋から旦那さんが独立したのは去年の春のことだ。ちょうど一年が過ぎた。パン屋を開業するにあたって奥さんも勤めていた薬局を辞めて手伝った。どうにかリピート客もつき始め将来の見通しもたってきたところだった。
 そろそろ子供を、と思っていたせいもあるが、もし男の子が困っているのなら助けてあげたいと考えていた。
「毎日お店の前に立っているけど、誰かを探しているの」
 ガラス戸を開けて店の外に出た奥さんは男の子の目線まで腰を落として聞いた。
「兄ちゃんを殺した犯人を探してるんだ」
 そういえば開業する前に会った土地の所有者が、ここで何年か前小学生がバイクにはねられて亡くなった、と言っていたのを思い出した。
 この子のお兄さんだったのか。ひき逃げだったとは知らなかった。
「まだ捕まっていなかったのね。顔を見れば犯人がわかるの?」
「顔なんて知らない。でも兄ちゃんが教えてくれたんだ」
 首を傾げていると、お兄さんが病院で亡くなる前に犯人の特徴を男の子に話してくれたと言った。
 二十代後半くらいの顔をしているのに髪の毛は老人みたいに全部白髪で、眼鏡をかけていて、首に十円玉くらいのホクロがある男だという。
「それでもし犯人をみつけたらどうするつもりなの」
「殺す!」
 男の子は迷わず答えた。冗談なんかではなく真剣にそう思っているのは尖った目を見ればわかる。
 このとき奥さんが必死に気持ちを落ち着けようとしていたのを男の子は気づいていないようだった。男の子の目は店の前を通っていく人の顔ばかりを追っていたので、奥さんを見ていなかった。
「でも、もう犯人はここには来ないんじゃないかしら。どこか遠くに逃げているんじゃないかな」
「犯人は必ず現場に戻るんだ。テレビのドラマでそう言ってたんだ」
 それはテレビだから、と言おうとして奥さんは黙った。なにを言おうと男の子には通じそうにないことを感じ取っていたからだ。それにあまり店の方向を見てほしくなかった。
「学校の帰りに寄り道はよくないわよ。早く帰らないとお母さんも心配するから」
 過剰なほどに優しい口調で奥さんは言うと立ち上がった。するといつの間にか外に出てきた旦那さんがそばに立っていた。
「店にお客さんはいないし、仕事も一段落ついたからさ」
 旦那さんは聞かれる前に外に出てきた理由を言った。そして男の子を見下ろすと「パンは好きかい」と聞いた。
 男の子がじっと旦那さんを見つめたまま頷くと、旦那さんはすぐに店の中に入り作りたてのパンを幾つか袋に入れて持って出てきた。
「うちのパンは美味しいぞ。お家に帰ったらみんなで食べてくれ」
 まるで未来の我が子に語りかけるように言って袋を手渡した。男の子は小さな声で「ありがとう」というと、おとなしく店の前を離れていった。途中、何度も何度も振り返り、旦那さんの顔を確かめながらパンの入った袋を抱えて去っていった。
 深く被った円筒上のコック帽、襟元まで隠す白いコックコートを羽織った旦那さん。髪の毛は見えず首も隠れている。ありふれた銀縁の眼鏡の奥には無邪気な瞳が笑っていた。
「何年か前、ここであの子のお兄さんがバイクのひき逃げにあって亡くなったんだって」
「そんなことがあったんだ。物騒だね」
 初めて聞くように旦那さんは答える。わざと感情を隠しているのか、忘れてしまったのか奥さんにはわからない。
 旦那さんが店の奥に戻った後で、奥さんも店に入った。
 作りたての甘いパンの香り、愛しい旦那さんが精魂込めて作った自慢のパン、未来の我が子もこのパンを食べて育つだろう。
 奥さんは深呼吸をしながら人差し指を立てると、棚に並んだパンをじっと見つめた。溜まる涙をぬぐうこともせず、一つ一つ指で突き刺して穴をあけ始めた。柔らかいパンに穴があいていく。指先にパン生地が絡みついてきる。もう売り物にはならない。わかっていたが止められなかった。
 男の子に代わってできるこれが奥さんの一度かぎりの小さな復讐であった。


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