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腹時計さん

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降って湧いたチャンス

18/03/16 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 腹時計 閲覧数:160

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 神様はほんとうにいるのかもしれないと思った。

 先ほどまで新年会と称して飲み食いしていたというのに、今野は急激にアルコールが冷めて指先が緊張するのを感じた。
 それもそのはず。かつての部下、新井は小さなナイフで空を切り裂き、威嚇した。今野たちは逃げることも忘れて路上で立ち尽くしていた。女子社員たちは恐怖からか嗚咽を漏らしている。
「今野を出せ!」
 新井は会社統合のためにリストラされた二百人の内の一人だ。あれから半年以上経っているが、おおかた失業保険が切れてもなお職が見つかっていないのだろう。知り合いによると、無職の夫に見切りをつけた奥さんが子どもを連れて実家に帰ってしまい、もはや離婚寸前だとも聞いている。
 会社にいたときに比べてずいぶん頬がこけ、無精ひげが色濃く顔を覆っている。ろくにセットもしていない乱れた髪の隙間からは脂ぎった地肌が見えた。若い頃はさぞ女に寄られただろうと思わせる紳士的な顔立ちが今や無残に枯れ果てている。
「こんなことしても何にもならないぞ!」
「今野さんに散々世話になってただろう!」
 部下たちが口々に叫び、その吐息が重なり合って今野を取り巻く空気が白く染まる。こちらは先ほどまで飲んでいたとはいえ十人の大所帯だ。それに比べてよれよれのトレーナーを着込んだ新井は刃物を持っているがたった一人だ。
「お前だけは許せないんだ! 今野ぉ! 出てこい!」
「落ち着け、新井」
 今野は自身を守るように固めている部下たちを押しのけ、新井の目の前に立った。二人の間にはなんの防御もなく、数メートルの距離しかない。新井の目がぎらぎらと輝かせていた。
「かっこつけてんじゃねえよ……なんで俺を首にしたんだっ」
「首?」
 今野は心臓がどくどくと速いスピードで波打つのを感じた。
「おかしなことを言うね。君は首じゃなくて自分から早期退職したんだよ。退職金だってたくさん出ただろう?」
 リストラと言うと聞こえは悪いが、決して身一つで放り出したわけではない。通常の定年による退職よりも多めの退職金が出たはずだったし、何より早期退職者のリストに入れたのは確かだが、転職など容易にできると息巻いて勧告に同意したのは彼自身だ。
「お前のせいで無職になったんだよぉっ」
 新井は自分の能力を過信して、退職した。選ばなければ職はあるはずなのに、技術もない五十間際の男がこれまでと同じ給料を望むなどばかげている。
「不当な解雇だというのなら、なにか法的な手段に出ればいいじゃないか。我が社を訴えればいい」
 我が社、という一言で新井の目があきらかにおかしくなった。
「ふざけるなあっ」
 新井がさっとナイフを振り上げる。その標的は、間違いなく今野だった。
 女子社員の甲高い叫び声が聞こえた。

「……え?」
 間抜けな声だ。
 新井が持っていたナイフは、くすんだ青色のトレーナーに埋まり、そのまわりからはどくどくと鮮やかな赤色がにじみ出していた。
 悲鳴が上がる。救急車、という声が悲鳴のように上がる。
 痛みと混乱で状況がわかっていない様子の新井は、すぐ側で立ち尽くす今野の姿をぼんやりと焦点の合わない瞳で見つめた。
「ど、し……て」
「正当防衛だ、俺は何も悪くない」
 今野は震える声で主張した。新井に刺されそうになり、とっさによけてもみ合いになった後、体格の良い今野がナイフを取り上げた。しかし、新井がナイフを奪い返そうと抵抗する拍子にナイフが新井の胸に刺さってしまったのだ。
 一部始終を見ていた部下たちは、もちろん今野を信じた。すぐそばにいた四十手前の係長が膝から崩れ落ちた今野を支え、一方、新井はかつての同僚や部下たちに冷ややかに見つめられながら浅い呼吸を繰り返している。数人が新井に駆け寄って止血しようとしていたが。
「同い年のよしみで仲良くしていたつもりだったのに……」
「課長は何も悪くありません。僕たちが証言しますから」
 周りの部下たちはそろって哀れな新井を非難し、青ざめて涙を流す今野をかばった。
 しかしその涙と震えが人を刺してしまったという動揺ではないということを一体誰が知っているのだろう?
 歓喜によって人は震えるということを、今野は初めて知った。新井に妻を寝取られ、子どもまで引き取られてしまったときの絶望に比べ、なんと心地良いことか。もし刑務所に入ったとしても別に良い。恐らく証人たちが阻止してくれるだろうが。 
 新井の手で幸せだったはずの家庭を奪われた時から、もはや今野の頭には復讐の文字しか残されていなかったのだ。

 すべてが片付いたら、妻と子どもを迎えに行こう。欲望に負け、新井に貢いでいた美しい妻は一生、罪悪感にまみれながら生きていくのだ。そう思えば、晴れやかな気持ちになった。


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