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池田Kさん

酒と煙草と書籍と男で構成されています。

性別 女性
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雀の春

12/12/24 コンテスト(テーマ):第二十回 時空モノガタリ文学賞【 お正月 】 コメント:6件 池田K 閲覧数:2665

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「あ〜ァ、おやじさんすっかり出来上がっちまッて」
「振る舞いの屠蘇で潰れるなんざァお客だったら有難いね」
 常なら反り合おう筈もない新造も遣手も、席を同じくして姦しい。禿どもは駆け回るし、若い衆もどこか肩の荷を下ろした風情で散らばっている。最前潰れた楼主もおかみさんも、眉間の皺が伸びて少しは若返って見える。
 正月一日は、吉原の数少ない休日だ。大門を閉め切った廓内に、普段とは違った穏やかな賑やかさが満ちる。苦界にも初春は来るのだと、皆信じたいのかもしれなかった。
「お目出度いこったね」
 そんな浮かれた様子を引いて眺めながら、雛菊はひとりごちた。
「そりゃもう、正月でござんすから」
「お夕、莫迦だねあんたは」
 呟きに律儀に相槌を打ってきたのは妹女郎の夕月だ。雛菊はわざとらしく眉を吊り上げて見せ、きょとんとする夕月に畳み掛けてやった。
「そういう意味じゃないンだよ。たかだか年が繰り変わるってぇだけのことを目出度い目出度いと騒いでる、連中の頭が目出度いッてのさ。こういう茶番はわっちァ好かねぇ。どうせ明日っからはまた旦那達の機嫌取りに明け暮れるばかりだってのに」
「でもサねぇさん」
 夕月が遠慮がちに首を傾げる。うなじが綺麗だ、この子は売れるね――などと、思わず遣手婆のような思考を巡らし、雛菊は密かに己にげんなりした。
「こうやって年が改まるごと、年季明けが近付いてくるんだって思えァどうですかね。目出度かござんせんか」
「ハ。年は明けても、年季はそう簡単に明けてくれりゃあしないよ」
 姉女郎とは言え、雛菊は番付の上位を狙えるような花魁ではなかった。そうそう羽振りのいい旦那が付いてくれるわけもなく、身受け話など夢のまた夢だ
 雛菊はひとつ大袈裟な溜息を漏らすと、雑煮の残りを一息に干した。まだ顔を拝んだことはないが、昨年から奉公に上がった飯炊きはいい仕事をする。思い掛けない美味に、しかし水を差された心持ちになり、雛菊は眉を顰めた。
「どいつもこいつも」
 悪態を吐いてふらりと立ち上がる。今日はもう部屋に下がって不貞寝を決め込む腹だった。夕月が着いて来ようとするのを、やんわり押し留める。
「休日なんだからサ、世話はいいよ。気にするってンなら、明日の挨拶回りの段取りでもさらっておきな。あんたいつもまごつくんだから」
 拗ねた夕月の頭をぽんと叩き、二階へと向かう。正月を祝うんだと勢い込んでいる連中は、そんな雛菊に気付くでもないようだったが、ふと若い衆のひとりと視線が合った。ははん、と合点する。ここ暫く前から、こちらをよく見ている男だった。
 気紛れを起こした雛菊は、そっと男に擦り寄ると囁き掛けた。
「悪いけどサ、ちょいと煙草盆を部屋まで持ってきておくんなんし」
「え、は、ハイ花魁」
 初々しさが鼻持ちならない、と意地悪な感想を抱きつつも、楼内では珍しい慣れない素振りが可笑しかった。
「し失礼しやす」
 随分待たせてから男は現れた。手間取っていたのだろうか。こちこちに固まっている男をすかして引き留め、話し相手をさせつつ手でも握りからかってやるつもりだったが、予想外に男から口を開いた。
「あ、あの」
「アイ」
「ゆ、夕月さんは、その、戻られては」
 その切り出しに、不覚にも雛菊は一瞬喉を詰まらせてしまった。
「あ、あァ、正月だからサ」
 なんとか言葉を返す。男の視線の意味を取り違えるなど、この数年有り得なかった失態だ。
「世話も休日ってことで、宴席に残してきたのさ。――なんだいお前さん、夕月に気があるのかい」
「ハァ、い、いやその、あっしの飯をいつも褒めてくんなさるんで、どうもあの、お礼を一言なりと」
「ああ――お前さんが、あの飯炊きの」
 雛菊は再び軽い衝撃を覚えた。そういえばこの若い衆は昨年から見るようになったのだ。新入りの飯炊きなのであれば、煙草盆の用意にもたついてもおかしくはない。気が付いても良いようなものだった。取り違えの件といい、勘が鈍ってきたとあっては、これはいよいよ本気で年季を明ける算段をつける頃合かもしれない。あはは、と、我知らず笑いが零れた。
「えっと、あの……?」
「あァ、いやサ、こっちの話さ」
 くすくすと笑い続ける雛菊の前で、男は視線を彷徨わせている。この視線の意味くらいはわかる。単に困っているのだ。
「もう行っていいヨ、悪かったね」
 雛菊が告げると、男はあからさまにほっとした様子で部屋を下がった。
「アそうだ――雑煮、美味しゅうござんした」
 背中に一言掛けて、もうそちらは見なかった。
 来年は無理だろうけれど、と雛菊は思案する。
「いつかの年明けに、年季も明けてやろう」
 そのときは素直に正月を祝ってやるのだと、固く誓った。


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このストーリーに関するコメント

13/01/16 そらの珊瑚

池田Kさん、初めまして。拝読しました。

筆運びのあまりのうまさに、ただ感服いたしました。
苦界で生きていかねばならない花魁の少し紗に構えた心うちが
さりげないエピソードによって、かすかな希望に変わっていくところ
お見事です。標題も絶妙でした。

13/01/17 池田K

>>そらの珊瑚さん。
初めまして、感想ありがとうございます。
2000文字に収める為に文章のテンポを犠牲にせざるを得なかった部分が我ながら気になったままのような体たらくでして、過分な評価を恐れ入ります。
吉原の正月について書こうと決めたまでは良かったものの、文献に当たるのに骨が折れました。慌しくまとめることになってしまったのは不徳の致すところですが、なんとか格好がついてほっとしています。
精進致します。

13/01/17 草愛やし美

初めまして、池田Kさん、拝読しました。

素晴らしいですね、正月の廓の様子、雛菊という花魁の気持ちの運び、流れるような文体に引き込まれ、情景が目に浮かびました。

苦界で生きていくということが、どれほどのものなのか、今を生きて楽をしている私などには、計り知れないものだと思います。正月という設定ゆえに余計に悲しく切ない生き方を感じました。

13/01/17 池田K

>>草藍さん。
初めまして、感想ありがとうございます。
閉鎖された江戸という時代の、更に閉鎖された吉原という空間には妙に惹かれるものがあります。そこで春を鬻ぐ女達の春、初春、イコール正月という連想で今回テーマはすんなりと決まりました。
吉原用語の解説にまでは字数を割けず、不親切だと知人には言われてしまったのですが、情景が浮かんだとのお言葉にほっとしました。
精進致します。

13/01/28 クナリ

「正月一日は休み」といった、何気ないけどこれまで知らなかった情報が差し込まれているおかげで、リアリティをより感じられました。
いけずな素振りの花魁の、表に出さない心中が人間味をかもし出しているおかげで、横合いから人の本音を覗き見しているような楽しさもありました。

確かに、字数のために言葉の説明を省かなければならないのは歯がゆいですよね。
「禿」を「はげ」と読んだらまったく違う光景になってしまいますし…。
それでも、読みやすさにかなり配慮されたのではないでしょうか?
言葉遣いの妙で、中世の風情を残しているのに読みづらく感じることなく、心地よく読めました。

13/01/29 池田K

>>クナリさん。
初めまして、感想ありがとうございます。
吉原も時代によって大小様々な変遷があるようで、正月についても三箇日が休みとする文章なども散見しました。この小説の中では正月一日だけが休みであるという説を採用しています。
禿については、確かに仰る通りです。(笑)振り仮名を振ることも考えたのですが、なるべく文章に途切れを刻みたくなかったことと、やはり字数の問題でそのままにした次第です。
リアリティや読み易さを感じていただけたなら幸いです。精進致します。

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