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糸井翼さん

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ぼくの復讐

18/03/13 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 糸井翼 閲覧数:261

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ぼくは父親が嫌いだった。
あの人は短気で、自分がなにかうまくいかなかったときに突然叫んだり、それから、幼い私と弟が遊んでいると怒鳴り散らしていた。暴力的ではないけど、すごく怖かった。お酒が入るともっとひどい。ぼくたち家族はあの人の顔色を窺って暮らしていた。
あの人は自分が正しいと思っていた。そして周りの人を軽蔑するようなところもあった。小さい頃は、大人の男性はこういう人が多いのだろうと思っていた。実際、学校の先生はそうだった。間違いや過ちを認めない人って多い。
でも最近、自分も少し大人になって、そんな人ばかりではないことに気づいた。ちゃんとした大人、その言い方は変だが、ちゃんとした大人は自分の弱さを知っているし、人のことをむやみに馬鹿にはしない。
ぼくにとって父親は半面教師だった。今となってはほとんど話もしない。ぼくはあの人を嫌ってきた。怖かった。今も怖くて、必要以上に距離を縮めることができない。そして、あのような大人には絶対にならないと強く誓っていた。
でも、そんな簡単なことではないと気付いた。ぼくは確実にあの人の子供だった。まず、ぼくはあの人同様アレルギー体質で、薬をたくさん飲まなくてはならない。薬を飲むせいなのかなんなのか、あの人同様太りやすい体質のようだ。弟はいくら食べても太らない、母親似の体質だったのだけど、おなじ量を食べてきたぼくは豚になってしまった。
中学生になって、ぼくはあの人同様背が低く、体重は重く、毛が濃い、汚い男になってしまった。性格も、そのころから少し気が短く、せっかちになってきた。ストレスをためると、風呂場で叫んでしまう。
それに、勉強をしていくと、かつての学校の先生や、父親も含めて、大人たちがいかにいい加減か気づいてきた。冷静になって考えると、それに伴って、そういう大人たちを見下す気持ちも出てきてしまっていた。父親に似てきてしまった。
それでいて、ぼくは極めてコミュニケーション能力の低い人間だった。思いをうまく表現できない。何を考えているかわからないが、いつもせっかちな、そんなひどい人間なのだ。そんな人間には友達はもちろんいない。人が寄ってこないタイプと言って良い。ぼくだって、そんな人は嫌だ。
ぼくはぼくが嫌いだった。
だから、ぼくはぼくに復讐するんだ。

大学に入って、まずは自分の嫌がることを始めることにした。
ぼくは人を見下すところがある。残念だけど、認めざるを得なかった。ぼくは友達もいないので、一人で勉強をがりがりしていくタイプだった。だから、あえて人と関わりあう学問を研究しようと思った。そんなとき、文化人類学を学んで、勉強すべきものはこれなんだと強く思った。文化相対主義という考え方がある。文化には優劣はないということだが、人間にも文化にも優劣はない。比較をして学ぶ学問にどんどん惹かれていった。自分がいかにだめかを考えるというよりは、相対的に物事を考えられるようになったのだ。
コミュニケーション能力の低いぼくは大勢でいることや、人前に出ることが嫌だった。だから、小規模ではあるが、劇団サークルに入った。そこで気づいたのが、大きな声を出せること。そして、表現するのが好きなこと。コミュニケーション能力の低いぼくでも表現することができる演劇は幸せだった。せりふがあれば、役の名前があれば、表現ができた。ぼくがぼくでなくなる瞬間だった。その一方で、ぼくはぼくを解放しているんだ。
ぼくは人との距離を近づけるのが苦手だった。だからあえて、人と無理して一緒にいるようにした。連絡も増やした。長く一緒にいると、人の悪いところも良いところも見えてくるようになった。この人は好きだ、一度そう思えた人はすべてを受け入れられた。
もちろん、人間関係は面倒でうまくいかないこともあった。家族との関係は相変わらずこじれていた。友人関係も難しい。友達だと思っていた人と自然と距離ができていくことも多かった。勉強も人間や文化を対象にしているので微妙なバランスが必要だ。演劇での表現も、自分の表現したいものと演技力の差を痛感する日々だ。人前に出ればいまだに緊張して失敗ばかりする。
そのたびに、自分への復讐は成功していると感じていたんだ。


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