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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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四月になれば

18/02/28 コンテスト(テーマ):第153回 時空モノガタリ文学賞 【 報酬 】 コメント:1件 野々小花 閲覧数:240

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 一月の半ば、深夜のオフィスはひどく冷える。今日の分のノルマは、まだ当分終わりそうにない。徹夜になると覚悟した瞬間にため息が漏れる。私はボサボサになった長い髪をひとつに結わえた。ぐるぐると首にマフラーを巻く。最後に美容院に行ったのはいつだっただろう。毎日仕事で忙しくて、そんなことも忘れてしまった。
 専門学校を卒業して、小さなIT企業に就職したのが十年前。駆け込みの細かい仕事が放り込まれることも多く、そうなれば殺人的と表現しても大袈裟ではない忙しさになる。まさに今の状況がそれだ。
 朝になって、オフィスから這い出るようにして街へ出た。銀行へ行き、振り込まれたばかりの給料を下ろす。奨学金の返済、ひとりで暮らす実家の母への送金、それから自分の部屋の家賃を振り込んで、残りは生活費。十年間働いたけれど、貯金と言えるものは私には無い。それどころか奨学金という名の借金すらある。
 でもそれも、もうすぐ終わる……。
 三月分の給料が出れば、奨学金は全て返済できる。やっと、終われる。

 家に帰ると、絵葉書が届いていた。差出人の名前は、宇津木秀人。彼から届く葉書には、いつも私が生まれ育った島の風景が水彩絵具で描かれている。今回は、雪の降る海だった。
「……そうか。美容院へ行ったのは、あの時だ」
 去年の五月、母から「会わせたいひとがいる」と言われて、私は久しぶりに島に戻った。母に良いひとが出来たのだろうと思った。幼い頃に私の父は病気で亡くなって、それ以来、母はずっとひとりだった。突然のことで戸惑いはしたものの、娘としては安心する。相手のひとに失礼のないようにと、私は家に帰る前に東京で新しい服を買った。美容院にも行った。トリートメントが施された私の髪は、驚くほどつるつるになっていた。

「宇津木と申します」
 実家の居間で、私は男と初めて顔を合わせた。男は「母の良いひと」ではなかった。「娘の良いひと」になって欲しいと、母が家に招いた男だった。要するにこれは見合いの場だ。
「今年の春、島に海洋博物館が出来てね。そこで働いてらっしゃるのよ」
 母は嬉しそうにしている。私はどんな顔をすればいいのか分からなかった。何と言えばいいのかも分からない。宇津木という男は無口なようで、気まずい空気が流れるばかりだった。私はふいに自分の髪に手を伸ばした。うるおい過ぎてぬらぬらした髪は、自分のものではない気がする。ひどく落ち着かない気分だった。早くこの場が終わって欲しいと思った。たぶん、どう考えても、この見合いは失敗だった。

 宇津木から初めて絵葉書が届いたのは、私が島から東京に戻ってから二週間後のことだった。そこには、あの気まずい見合いに至るまでの経緯が書かれていた。独身なのかと聞かれて、そうだと答えたら話が大きくなってしまったこと。相手に会わずに断るのは失礼かと思い悩んでいるうちに断れなくなってしまったこと。全ては自分の優柔不断さが招いたことだと、私への謝罪の言葉で締め括られていた。
 私はすぐに返事を書いた。自分の見合いだとは思っていなかった。だから、何も気に病むことはないと手紙に記した。島の人は悪気はないけれどすぐに話を大きくしたり、強引で押しの強いところがあったりするので注意が必要です、と最後に書き添えた。
 ごく自然に、宇津木とのやり取りが始まった。宇津木は私より七つ年上で、絵葉書の水彩画は彼自身が描いたものだと知った。唯一の趣味らしく、休日になるとスケッチブックを片手に島を散策しているという。文章を書くのも得意なようで、絵葉書のなかで宇津木は饒舌だった。神経質で細かい文字だけれど、口に出して読むとそのリズムが心地よかった。
 夏の終わりに、私の手元には、向日葵の描かれた絵葉書が届いた。
『直接、お会いして言うべきことだと思いましたが、言葉で話すよりも書くほうが自分の気持ちが伝わるような気がするので』
 そんな書き出しから始まった絵葉書には、いつもより慎重に言葉を選んだのであろう文字が綴られていた。
『島に戻って、僕と結婚して欲しい』
 そう書かれた部分を、私は何度も読み返した。すぐには手紙を書けなかった。

 さっき届いたばかりの、雪の降る海が描かれた絵葉書を手に取り眺めた。あの向日葵の絵葉書が届いてから一か月後に、私は『来年の四月まで返事を待って欲しい』と手紙に書いて送った。四月になれば奨学金の返済が終わる。これは、区切りなのだ。
 十八歳のとき島から出ることを決めて、奨学金で本土にある専門学校に通った。夢だったプログラマーになれた。忙しくて家に帰れなくても、辛いことがあっても、途中で投げ出したりしなかった。奨学金の返済をしながら、自分の力で東京での生活を維持し続けた。
 四月になれば、そんな私の、自分のなかでの区切りがやっとつく。



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このストーリーに関するコメント

18/04/18 光石七

拝読しました。
主人公の真面目さと頑張りに好感が持てました。
区切りをつけた主人公の幸せを、心から願います。
素敵なお話をありがとうございます!

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