1. トップページ
  2. 報酬は春告草

文月めぐさん

第144回時空モノガタリ文学賞【事件】にて、入賞をいただきました!拙い文章ではありますがよろしくお願いします。コメントもできるだけ書いていこうと思います。Twitter→@FuDuKi_MeGu

性別 女性
将来の夢 作家
座右の銘 失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。

投稿済みの作品

2

報酬は春告草

18/02/18 コンテスト(テーマ):第153回 時空モノガタリ文学賞 【 報酬 】 コメント:0件 文月めぐ 閲覧数:398

この作品を評価する

 二月下旬、まだまだ寒いが、もうこのあたりでは雪は降らないんじゃないか――春への期待が高まるこの時期。俺の心に降り積もっていた雪も、徐々に解けて、陽が差してきた。
 大きな生命保険の契約が決まった。新規のお客様で、ここまで額が大きいと、緊張もするし、変な高揚感がある。震える手でタッチパネルを操作して、契約を進めていくが、汗ばんだ手から何度もタッチペンが落ちそうになった。
 ずっと営業がうまくいってなかった。同期の中で成績も最下位。会社で弱気になっていると、営業先でも弱さが表に出てしまって、あと一歩、というところで引いてしまう。これだと四月やってくる新入社員に恥をさらしてしまう。周りから責められることはないが「頑張れよ」という言葉をこんなにも苦痛に感じたことはない。営業部一課の大塚課長とは毎日のように面談したし、アドバイスもたくさんもらった。だけど、だからと言って「ぽん」と急に大きな保険の契約をしてくれるお客様が現れるわけではない。こんな状況が続けば課長の貧乏ゆすりが増すだけだ。手帳を広げると、予定はみっしりと埋まっている。なのに、最後の難関である「契約」にはなかなか結び付かない。
 いつも俺のことをそばで見ている、上司の栗原さんに、「お前は亀でいいんだよ」と初めて言われた時には、すぐにその意味を理解することができなかった。亀? 俺はそんなにのんびり屋じゃないぞ、と思わず言い返しそうになった。
 「亀はのろまだと思われているだろ? でもさ、こつこつ努力することで、先に行って油断していたウサギを追い越すんだ」俺もずーっと亀さんだったからなあ、と言って力強く肩を叩いてくれた。
 「自分らしくゆっくり進んでいけばいいんだ。いつか追いつくさ」
 厳しいが、信頼できる上司である、栗原さん。彼に言われると、何だってできるような気がしてくるから不思議だ。

 「栗原さん、ありがとうございます!」
 契約者である宇山さんの家を出た瞬間、俺は栗原さんに向かって深々と頭を下げた。
 「なんで俺に礼なんてするんだ」
 栗原さんは笑いながら、いつものように優しさと激励がこもった手で、とん、と肩に手を置く。こんなに大きく、温かい掌を、俺は他に知らない。
 「まだコート着ないと寒いぞ」
 頭を下げたままの俺に向かって、栗原さんが声をかけてくれたことで気がついた。確かに冷たい風が頬や手先を撫でていく。しかし、コートを着ようとした瞬間、その澄み切った冬の風の中にある、強く訴えかけるような甘い香りにはっとさせられた。
 俺の表情の変化に栗原さんが「どうした?」と首をひねる。「いや、なんだか甘い香りが……」と辺りをきょろきょろと見渡すと、栗原さんは納得したように、ああ、と指である方向を示した。
 花が、咲いていた。
 「あれ、何の花ですか?」
 「梅の花だよ」
 宇山さんの家の庭に、円形の花びらを持った赤々とした花が咲いている。甘い中にもさわやかさと香ばしさがまざっているような匂い。すっきりと空へ向かって伸びる枝が凛としていて、とてもかっこいい。
 「梅は春告草とも言われるんだ」と栗原さんが花を見上げる。はるつげぐさ、と口の中で言葉を転がすように繰り返してみる。温かみのある響きだ。「どうやら、小林にも春が来たみたいだな」微笑む栗原さんに、苦笑いで、冗談交じりに「いくら大きな契約をもらえたからって、報酬は出ませんけどね」と答えると、ぽかんと頭をはたかれた。
 「報酬? そんなの、こんなきれいな梅の花を見せてもらっただけで充分じゃないか」
 そう言って、再び花を見上げる栗原さんが、縁起がいいねえ、とつぶやいている。ああ、俺はどうやらまだまだこの人に追いつけなさそうだ。いつか、追いつくことができるのだろうか。
 「行くぞ」と促され、鞄を肩にかけなおす。契約用の資料を宇山さんに渡した分だけ、先ほどより鞄が軽くなっている。でも、きっとそれだけじゃない。
 「はい!」
 気弱さと決別するように、大きく一歩踏み出す。
 華やかな香りが俺たちを見送ってくれた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン