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64GBさん

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156分の1

18/02/10 コンテスト(テーマ):第153回 時空モノガタリ文学賞 【 報酬 】 コメント:0件 64GB 閲覧数:277

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 昭和26年7月、その日母と死に別れるとは知らずに、4才の私は新しいお出かけ用の赤い靴を履いた。自宅から渡し船とバスで札幌の五番館デパートまで片道二時間かけて行った。屋上にある遊園地につれて行ってもらうために何日もいい子でいた気がする。
「恵美子は美人だからエレベーターガールになれるかもよ」母はそんなことを言った。美人という言葉に私は嬉しくなって「上に参ります!3階はおもちゃ売り場です!」と本物のエレベーターガールの横でマネをして母を赤くさせた。
 夏の暑さから自然とソフトクリームを食べようということになり、レストランで食券を買った。もったいないのと、どう食べていいのかわからずもたもたしていると、あっという間に溶けてしまい半ズボンから出た足に半分以上こぼした。
 なにもかもが素晴らしかった。

 その日は曇天であった。
 楽しい時間も終わりを告げ、母の買い物も終わり、家に帰ることになった。虫はそこらにたくさんいたが何も告げたりはしなかった。
 午後一時、石狩行きの中央バスに乗った。来る時はすいていたが、運転手と車掌を含め48人が皆大きな荷物を持ってすし詰めに乗り込んだ。
 昔のバスだけに乗ることのできる場所は僅かしかなく、母は「私達は終点だから奥に行きましょう」と私の手を引いた。人の荷物に当たって痛いので母の足元にしゃがんだ。発車オーライと言う声を聞いてバスは石狩方面に走りだした。
ああ、もう終わってしまうのか?と思った時、ボウという音が聞こえた。乗客が「うわー」と騒ぎ始めた。
私は立ち上がり何を騒いでいるのだろうとその方を見た。

 人が、燃えていた。

 可燃性セルロイドの映画フイルム20本に火がついていた。火柱が上がりバスの天井を伝って私たちがいる最後部に生き物のように迫ってきた。
 私はギャーと叫んだ。その声は周りの乗客の叫び声に混ざり母に届かなかったほどだった。バスはいつの間にか停車してドアが開いていた。出口は一カ所しかない。ドア付近の人達は慌ててバスから飛び降りたようだった。中程にいた人達も荷物を乗り越えながら出て行った。バスの中は黒煙で息もできなくなっている。退路は絶たれていた。

「恵美子!お前だけでも逃げなさい!」母の顔が白かった。
「いやだ!一緒に逃げよう」
 私は怖くて早く逃げたかった。
 側にある窓は脱落防止の鉄格子が外からくくりつけられていた。道行く人がバスに集まってきており一人の男の人がその鉄格子を壊そうとしてくれていた。私達は煙に耐えながら窓が開くのを待った。
「恵美子!この隙間からでなさい!」
「いやだ!」本当は出たかった。
「お母ちゃんも後から行く!おいしいアメを買ってやるから」
「ほ、ほんと?ほんとに買ってくれる?」
「本当だ!だから行きなさい!」
そう言われて苦渋の演技をして鉄格子の隙間から手を出した。
 外には沢山の人が集まっていて引きずり出されるように外に出た。後は気が狂ったように「お母ちゃん!お母ちゃん!」とバスを叩き続けたが、母は出て来ることができなかった。
 そして11人の犠牲者の一人となった。
 心の中ではわかっていた。母が間に合わないことを。
自分が大きな間違いを犯したことも。四歳児の魂は早くも千切れたのだ。自分の命を守る報酬として背負いきれない負債を受け取った。いくら泣いても釣り合わなかった。いつから泣かなくなったのか忘れたが、謝る相手を失ってから、かれこれ80年が経つ。そろそろ母とあの世で再会できそうだ。この人生で私も母になり、同じ気持ちを経験した。『ごめんなさい』から『ありがとう』と言えるようになっただけでもありがたい。

昭和25年と26年にバス事故が集中した。熊本県で路線バスが溜池に転落して22人が亡くなった。神奈川県では大型バスが炎上、17人が亡くなった。小学校の修学旅行のバスが岩手県で橋の下に転落、12人が亡くなっている。高知県では川に転落33人の命が露と消えた。そして母を含めて11人の事故が北海道で起きた。この二年のバス事故だけでも156人の犠牲者が出ている。
母の事故を通して後部座席からも脱出することができる非常口が設けられ、消火器の装備が義務つけられ、危険物は持ち込めないようになるきっかけになった。社会が受け取った報酬はこれだけである。


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